第10話



 砦の外に出ると東の空は少しだけ明るい。

 

 だが霧の向こうでは微かな変化でしかない。

 朝陽とは、どんな眩しいものだっただろうかと、そんなことを考えながら砦の城壁に腰掛けてメリクは弦を爪弾いていた。

 しばらくするとぼふっ、と後ろから引っ付かれる。

「えへへ」

 ミルグレンだった。


「メリクさま、あの人の傷治したんでしょ」


 彼は答えなかったが、穏やかな笑みでミルグレンには分かった。

 治癒魔法と言っても全ての傷に効果があるわけではない。

 しかもとても難しい魔法だから、メリクは人に対して安易に治癒魔法はあまり使わない。

 これも【闇の術師】の話に関わっているようだが、彼らは生命活動に関わる魔法はあまり使ってはいけないようだ。


 ミルグレンは治癒魔法が大変術師を疲労させる魔法であることを知っている。


 だから別に見ず知らずの人間の為にメリクがそんな大変な力を使ってほしいとも思わないので、そのあたりのことはメリクの裁量に全て任せている。

 大きな怪我でもいつかは治るのだ。

 人はその力を安易に捨てるべきではない。

 これは魔術大国で育って来たミルグレンにとって当たり前だと思えることだった。


 ――でもそれでも、メリクは時々誰かに治癒魔法を使った。


 しかも治しますと言ってやるのではなく、誰がやったか分からないようにこっそりとやることが多い。

 何でかなと思ったけど、メリクはお礼だとか何だとか言われると色々面倒だからね、などと答えていた。

 多分、それが本当の理由では無いだろうけど。

 でも旅人から高い治療費を巻き上げるような魔術師もいるのだから、それは本当の意味での善行だった。

 

 ミルグレンはメリクのそういう所がとても好きだった。


 治癒魔法のことではないけれど、ミルグレン自身幼い頃からメリクと一緒に生きて来て知らない間に彼に助けてもらっていたことが何度もある。

 メリクは自分の良い行いを、どちらかというと隠したがる傾向があるようだった。

 ミルグレンとは真逆だ。

 ミルグレンはついつい誉めてもらいたくて、何かすると私がやったのだと胸を張りたくなってしまう。

 しかしメリクは言えば絶対誉めてもらえるようなことでも、決して自分から口にはしない。


 ……それがどうしてかは分からないけど。


(メリク様はそう、人を見るの)


 今回はきっと、足の悪い母親がいるというあの話を聞いたからだとミルグレンは思っている。


 今まで治した人間達も何らかの事情を皆、持っていた。

 王都に向かう旅の踊り子。

 彼女が魔物に足をやられた時も同じキャラバン隊で移動していたメリクは彼女の足を治した。

 彼は旅の一座で使えなくなった芸者がどんな仕打ちを受けるか知っているからだ。

 商隊で実家に下がる途中の身籠った母親が魔物に襲われ頭を怪我したときも。

 兄弟で旅をしている巡礼と会った時もそうだ。

 弟が魔物に足をやられてずっと足を引きずったままだけれど、これも神の試練と思って受け入れますと苦労をしている彼らに対しても、メリクは去り際に魔法を使っていた。


 他にも色んな人をメリクは助けたけれど、共通するのは多分その人が死んだり治らなかったりすることで、別の死や不幸を強く手繰り寄せてしまいそうな傷である時に、その悪い運命を断ち切ろうとして、その人を救っている気がミルグレンにはした。


 ミルグレンは、メリクが――家族を幼くして失って天涯孤独の身の上である彼が、誰か大切な人を持つ人を哀れんで、それを救おうと思えることがとてもすごいと思っている。


「?」


 ミルグレンが見上げて来るのでメリクは小首を傾げた。

「ううん」

 頭を優しく撫でられる。

「風邪を引くといけないからもう少し部屋で寝ておいで」

「メリク様は?」

「なんだか眠気が来なくてね……もう少しここにいるよ」

「わたしもいちゃ駄目?」

 試しに聞いてみると、メリクはまるで聞きわけの無い妹を宥めるように、そっとミルグレンの額の辺りに手の平を触れさせた。


「……ちゃんと部屋で寝て来ます……」


 頬を染めて彼女が素直にそう言うと、メリクは優しく笑ってくれた。



◇    ◇    ◇



 ぼふっとベッドにミルグレンが戻って来る。


 とりあえずそんな風にすると埃が立つので静かに横になってほしかったが、ミルグレンに細かいことを注意すると倍返しになって罵詈雑言が返って来ることが多いので、エドアルトは敢えて何も言わなかった。

 これも三人旅をするうちに身に着けた処世術であろうか。


「メリクは?」


 窓辺のベッドの上で細々とした蝋燭の明かりだけを頼りに、魔術書を読んでいた彼が尋ねる。

「まだ外。う~~~~~メリクさま大好きですほんとに王子様……」

「なんだよ突然……あと王女様はお前の方だ」

「あの傷の人、メリク様が治してあげたみたい」

「へぇ、良かったなぁ」

 エドアルトも今では魔術が万能ではないことを知っている。

 メリクが使わない時にはそれだけの理由があるのだと思うようになった。

 だからどんな傷を負った人を旅の道中に見たとしても、メリクに治してやってくれなどとは安易に言わないようにしている。


「メリクさまってホントやさしい。きっと世界で一番優しいわ」


「へいへい……」

 ミルグレンのこんな惚気は日常茶飯事だ。

「何よその態度は!」

「いてっ! 突然怒るなよっ!」


 ミルグレンが荷物を投げて来たのでエドアルトはベッドから下りて窓辺に逃れた。


「サンドドラゴン二匹やったくらいでいい気になるんじゃないわよエド! 

 どうせ皆にチヤホヤされて英雄気分なんでしょっ! 

 あんたが二匹やっつけれるということは、

 私はあんなもん二百匹は朝飯前ということなのよ!

 それを忘れて私の前で威張るんじゃないわよ!」


 彼女がこんな風に言うと、本当にやりそうだから怖い。

「そ、そんなんじゃないよ。

 そりゃ俺がしたことで皆が喜んでくれんのは嬉しいけどさ……」

「ふん!」

「別に俺は調子になんか乗らないぞ」


「メリク様はお礼や見返りなんか何一つ期待してないんだから。

 ほんとカッコイイ♡ 秘密の王子様みたい♡

 こっそり助けてあげるなんてやさし~~~~~っ」


 このまま延々と惚気られそうなのでエドアルトは先手を打って逃げ出す。

 ミルグレンとの付き合い方も彼は随分上手になった。


「お、俺ちょっと外の風に当たって来よーっと」


「エド! ちゃんとメリク様連れて来るのよ!」



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