第7話




 心地良い眠りを妨げられたのはどれくらい経ってのことだったか。

 悲鳴が聞こえ左右に馬車が激しく揺れた。

「なんだ⁉」

 乗客がざわめく。

 止まりそうになった馬に鞭が入る。

「止めるな!」

 どこからか声が飛んだ。

 護衛兵だろう。

「……ん?」

 眠っていたミルグレンがぼんやり目を覚ます。


「大変だぁ! 後続の馬車が!」


 エドアルトが反射的に立ち上がった。

「すいません、ちょっっと通して……わっ!」

 馬車がガクンと止まる。

 荷馬車の中で人々が転んだ。

「だめだ! 馬が動かねぇ!」

「なに? 何が起きたの⁉」

「後続がどうのとか……」

 エドアルトが荷馬車の幕を上げて外を見る。


「メリク!」


 すぐに呼んだ。

 メリクはまだ寝ぼけ眼のミルグレンを自分の外套で包んで寝かせてやると、エドアルトの元にやって来る。

 後続二台の馬車が砂漠の中で立ち往生している。

 その周囲の、雪が積もった砂の下を何かが蠢いている。

 円を描くように二台の馬車を囲んだ。

「あれは……」


 ドオン!


 砂漠の地中から長い尾が突き出た。

 遅れてその巨大な胴体が現われる。

 立ち上がって咆哮する、骸の竜。


「――ダークドラゴンだ!」


 エドアルトが叫ぶ。

 彼はこの一年で魔物などの知識も随分増えた。

 メリクの教える魔術の知識も、相変わらず彼自身魔術は一つも使えなかったが、知恵としては身に付いている。


 あのガルドウームでの戦い以後はひたすらに剣の腕を磨いたのだ。


 ダークドラゴンだという言葉に馬車の乗客達は絶望の悲鳴を上げたが、エドアルトの言葉に籠った気持ちは、単純な絶望だけではなかった。

「すごい……、俺初めて見ます。メリクは?」

 砂塵を巻き上げる骸竜は、不死者の中でも最強の部類に入る。

 凶暴かつ力のある魔物だ。


「砂漠に出たのはね」


 メリクは翡翠の瞳を開いてじっと骸竜を見つめた。

 多分もう、彼の頭にはこの不死者に対して何をどうすればいいか、それは浮かんでいるのだろう。

 竜の尾の一撃を受け馬車が一台横転する。

 見ていた人々の口からも悲鳴が上がった。

 横転した馬車から人が次々に逃げ出すが、上空からその逃げ道に炎の弾が飛んで逃走を遮る。

 上空を旋回する二つの大きな影。

「サンドドラゴンだ! 二匹いるぞ!」

「さすがに竜はこの気候でも住処を変えないか」

 メリクが呟く。


「うわああああっ!」

「もうお終いだぁ!

 こんな砂漠の真ん中で魔物に襲われるなんて……俺はここで死ぬんだ――!」

 喚く男につられて子供が泣き出す。

「諦め早いよおじさん……」

 エドアルトががっくりと肩を落とす。


「どうしよう、メリク?」


 緑の術衣の長い袖を巻いてメリクは静かに笑む。

「ダークドラゴンは再生力が高いからね。魔法の方がいいと思うよ」

 エドアルトはマントを投げ捨て、聖戦士の剣を抜く。


「了解! サンドドラゴン二匹は任せてください!」


「お、おいあんたら」

「おじさん、戦わないならその馬貸してよ」

「はぁっ⁉ ちょ、おい……」

 エドアルトが呆然と立ったままだった護衛を強引に馬から下ろす。

 そこに素早く跨がると馬に合図を入れて走り出した。



「知恵の戴冠、叡智の抱擁……四海しかいの宝玉でその身を飾らん……。

 欠けたる刃を返し、神番しんばんの狙撃手よ、一閃を放て!

黄金の御手エトナ・クラウン】!」



 謳うように紡がれる魔言まごんがエドアルトの剣に走る。

 聖戦士の剣が青い光を帯びて輝いた。

 ありがとうのつもりでエドアルトは馬上で剣を高く掲げる。


「あ、あんた魔術師か」


 御者の男がメリクを見た。

「すみません、あそこへ馬車を向わせてもらえますか」

 穏やかに言ったメリクに乗客達がざわめく。


「な、な、何を言っとるんじゃあんたは……!

 あれを見ろ! 儂らまで殺されるじゃろう!」


「このまま逃げましょう! 早く出してちょうだい!

 ほらっ! 子供がいるのよ!」


 母親が捲し立てる。

 メリクは御者台の方へ自分から移動した。

 手綱を、と手を差し出す。

「あんた儂らを全滅させるつもりか!」


「次の街まであとどのくらいあると? 全滅というなら砂漠の真ん中でダークドラゴンと竜二匹に遭遇した時点で全滅は決まっています。

 それとも今から逃げて、何時間もあの魔物から逃げ切れるとでも?」


 乗客は戦場を見る。


 砂の中を骸の竜は縦横無尽に走り回る。

 退路を断って獲物を追いつめているのだ。

 次の街までは何時間も走り続けなければならない。


 とても無理だった。

 横から手が伸び躊躇う御者から手綱を奪い取る。


「――うるさいなぁ、おばさん。

 子供がいるって喚くなら、無事生き残る方に賭けなさいよ。

 危ないのはみんな一緒なんだからさ」


 ミルグレンが御者台に座った。


「さぁメリク様。こちらへどうぞ♡

 戦う気が無い奴はうっさいから寝てなさいよ。

 メリク様の邪魔したらあんた達承知しないわよ」


 にっこり微笑んでからキッ、と後ろを睨みつけ、

 また微笑んで彼女はメリクを見上げた。


「レイン……寝ぼけてる?」

「ぜーんぜん! よく眠ったから目もぱっちり! 馬車の運転は任せてくださいね。

 私、馬の扱いはエドアルトより上手いもん。そぉれっ!」


 手綱を小気味よく鳴らすと、彼女の言う通り馬は向きを変えて戦場に向けて走り出す。

 怯えて足を止めていたのに、手綱を握った人間の生気を感じ取ったらしい。


「君が誰の娘か忘れてたよ。――出来るだけ近くに寄せられるかな?」

「任せて下さいっ!」


 少女の頭を撫でるとメリクは御者台に立ったまま、眼を閉じて詠唱を始めた。


 

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