第5話
「……それでね、その奥さんは何で旦那さんが屋根の上で下りれなくなってるのか訳が分からなかったわけだよ」
仰向けにソファに寝そべって話すメリクの話を、隣に同じく寝そべったミルグレンが声を立てて楽しそうに聞いてる。
メリクとエドアルトは、以前からそうだったようにやはり時々別行動をした。
もちろんミルグレンはメリクと一緒にいたかったが、それはエドアルトに止められた。
普段ならエドアルトに止められるミルグレンではないのだが、彼が真剣な顔で「メリクが一人で行きたいと言った時はついていっちゃ駄目だ。それがメリクの為なんだから」と言うから、頬を膨らましながら渋々引き下がる。
『メリクは、時々どうしても一人になりたくなるみたいなんだ』
彼は言った。
ミルグレンはメリクのサンゴール時代を知っている。
エドアルトはメリクと二人旅をしたと言っても二年や三年のことだ。
一緒にいた時間なら圧倒的にミルグレンの方が多い。
――でも。
今のメリクはサンゴール時代の彼とは何もかもが違う。
知っていたとしてもあまり参考にはならないのだった。
【闇の術師】の話を聞いた。
メリクに言われた話のようだ。
エドアルトの説明なので分からないことが多々あったが、要するにメリクは【闇の術師】で、闇の術師は一カ所に留まったり同じ人間と長い間同じ状態でいると、悪い運命を手繰り寄せてしまうらしい。
ミルグレンはそんなこと一切信じてなかったが、それでもメリクは確かに時々、心をどこか遠くにやる時がある。
エドアルト曰く、それでも「お前が来る前はもっと頻繁に色んな場所うろうろしてた」らしい。
……自分が簡単にメリクの帰る場所になれるとは思ってないけど。
メリクが一人になる為にどこかへ行きたいのならそれは止められないし、止めたくなかった。
メリクは浮ついて遊び歩くような人ではない。
彼が歩き出すのなら、それはどうしてもそうしなければいけないからだ。
でもいつか。
いつかは……そういう時にミルグレンも一緒においでと、いつものあの優しい声で言ってほしいなと思っている。
今すぐにじゃなくてもいい。
いつかでいいから。
(楽しみにしてるから)
ミルグレンはメリクを見上げる。
「?」
メリクが気付いて少し首を傾げた。
ミルグレンは悪戯っぽく笑うとううん、と首を振って毛布に深く包まった。
メリクが優しく彼女の髪を撫でてくれる。
ミルグレンは心地良いその感覚に身をまかせ、眼を閉じた。
……メリクは不思議な人だ。
いつも何を考えているんだろうと、ミルグレンは胸をときめかせながらよく考える。
サンゴール王国にいた時の彼の印象はもっとはっきりとしていた。
優しくて、頼りになって。
今はもっと謎めいた印象が強い。
ただそれはミルグレンの不安を煽るようなものではなく、彼女の心を強く惹き付け、放っておけないようにさせ、いつでも見つめていたいように思わせる不思議な魅力に感じられた。
「……もっと他の話も聞かせて」
ミルグレンは言った。
もっとメリクの声を聞いていたい。
「…………サンゴール王国が心配かい?」
メリクの顔を見た。
彼は優しい顔をしている。
ほら。
メリクの心は、いつだって自由なんかじゃない。
苦しめられた過去を持つ彼は一人になりたいと出て行って、楽しかったよと戻って来ても、心は本当には自由になれないのだ。
本当なら、今のメリクがその名を出す必要なんかない。
だが隣国ザイウォンに行ったと話した時に、ミルグレンが見せた嬉しく、懐かしそうな顔を彼はちゃんと見ていたのだろう。
メリクのそういう、自分の心より他人の心を想える優しさがミルグレンはとても好きだった。
「戻りたかったら、そうしてもいいんだよ」
メリクの心は誰のものにもならない。
旅を始めてからそれは分かった。
昔はそうではなかった。
アミアカルバやリュティス……いや、もっと大きな、サンゴールという国に対して彼は驚くほどに献身的な心を注いでいた。
だがサンゴール王国はそういう彼に対して傷しか返さなかった。
王宮の人間は彼を私欲の為に利用しようとしたし、
第二王子リュティスは彼に容赦無く接した。
そういうリュティスに絶対服従していた宮廷魔術師団も、いざという時にメリクを仲間だとは庇護してくれなかった。
――アミアカルバでさえ。
自分の母であるアミアカルバでさえ、彼を苦しめた一人だ。
メリクが強く、賢く、優しいのに甘えて、彼なら放っておいても大丈夫だろうと彼に対して、いつまで経っても明確な手を差し出さなかったから。
彼はだから、そのうちに他者の心に何も期待しなくなったのだろう。
今のメリクからは少し、そういう雰囲気を感じた。
彼は他者が何をしても怒らないし嘆かない。
ただ優しいだけだ。
でも本来無価値な他者に対して、ただ優しさだけを残した所にメリクという青年の真価があると思うのだ。
ミルグレンはメリクといる時いつだって彼に恋をしていてときめいているが、彼はひたすら優しいだけだ。それで彼が自分に恋をしてると思い込むほど、ミルグレンは子供ではもうなくなった。
でも、そんな彼はどれだけ一人で出て行っても自分の元に帰って来てくれる。
それだけでも嬉しい。
メリクにとって自分は特別だと思える。
幸せだと感じる。
ミルグレンはメリクの身体に凭れ掛かった。
「……ありがとう、メリクさま。でも、いいの。
お母様には側近や宮廷魔術師やリュティス叔父様だって側にいるもの。
だからわたしはメリク様の側でいい。
側にいさせて。足手まといには絶対にならないから」
優しい手がミルグレンの頭を撫でてくれる。
外は雪だ。
不安を呼ぶ白い雪。
だがメリクの腕の中にいるミルグレンの目には、ただ空から舞い落ちる綺麗なものにしか見えなかった。
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