第3話 燃え残り
焼け残ったアパートの前に、二人の影が落ちる。
もうすでに火は消え沈んだにも関わらず、未だ熱を持っているかのような威圧感があった。
手前には事件現場を象徴する立ち入り禁止テープが緩く結ばれ、少し離れた場所で近所の人間だろうか、流し見で野次馬に興じている。
ノエルは焦げた木材の匂いに顔をしかめながら、黒く煤けた建物を見上げていた。窓は砕け、壁の一部は崩落している。まるで怒りそのものが形を取ったかのような、無残な光景だった。
「ひどい…どうして、こんな…」
目を伏せるとノエルは気づいた。自分の手が震えていることに。
そうして小さな声で呟いたノエルに、隣に立つカインが振り向きもせずに言い放つ。
「そんなことはどうでもいい」
その声音は乾いて冷たかった。だが、その分だけ、現場に向き合う覚悟が滲んでいた。
「事件の概要について説明するぞ」
魔導車の中での飄々とした態度は消え、カインの顔には仕事人としての緊張が戻っていた。
「本日午前3時ごろ、ここ『アパート・デレシア』で火災が発生。火元は……左から3番目の部屋だ」
カインは手袋越しの指先で、焼け落ちた一室を指し示す。
「すぐに通報が入り、消防が到着したが、鎮火に時間がかかりこの有様だ」
ノエルは視線を火元に戻し、眉をひそめた。
震える声でカインに尋ねる。
「どうして、ここまでなるまで時間がかかったのでしょうか。通常であればすぐに鎮火が行えますよね?」
「そこがこの事件の焦点だ」
カインは内ポケットから魔道液晶端末を取り出すと、無造作に空中へ投影する。淡い魔光が浮かび上がり、端末上に魔法ログのデータが現れた。
「これが警察が調べた事件に使われたと思われる魔法の履歴の資料だ。どう思う?」
ノエルは隣に立ち、カインの端末を覗き込む。目を細めて詠唱ログを追う彼女の目が、ある箇所でピタリと止まった。
「使用されたのは調理器具起動用のファイヤースターター魔法ですねですね。でも……魔力量が異常です。これ、魔力を送り続けた時間と出力が高すぎます。連邦民の配分なら10日で枯渇しますよ」
「その通り。つまりこれは“小規模魔法を高出力で使い続ける”ことで意図的に火災を起こした。明確な人為的火災だ」
カインは別の端末から資料をノエルに転送した。彼女がそれを受け取って読み始めると、名の記載に眉を上げる。
「使用者はダグラス=ノーランド、ここの家主だ。現在は放火殺人未遂容疑で当局の聴取を受けている」
「そんな……」
ノエルは顔を曇らせたが、カインは淡々と続ける。
「だがな、ここからは警察の領分じゃない。俺たち《監査官》の仕事だ」
そう言うと、カインは再び魔道液晶を操作し、ログを複数画面に分割した。
「警察の記録によれば、ダグラスの近隣住民からの評判は極めて良好だった。日常生活も問題なし。だからこそ、放火殺人なんて誰も信じていない」
カインは野次馬たちを一度見てから言い放った。
ノエルはデータを見ながら、言い淀む。
「ですが、これだけ証拠が揃っていれば、あとは裁判で――」
「ノエル。ログの《使用端末》を確認しろ」
カインの言葉に従って端末を拡大する。
「PRT-24555……これって…」
「そうだ、プロトタイプ端末だ。PRTから始まる端末は原則、軍か技術開発局の試作品。一般市民が使うのはまずありえない。ダグラスはただの工場作業員のはずだ」
「でも、PRT型は一部中古品として流通していますし……」
「いや、そこだ。中古で出回ってると言っても、市場に出回っているのは極わずか。しかも、どれも開発者用か軍仕様が多い。工場勤務の一般人がこの型を持つのは不自然すぎる」
ノエルが液晶を操作しながら口を開く。
「ですが、可能性がないわけでもないです。ダグラスさん自身がたまたまこのような端末を手に入れた可能性だって…いやちょっと待ってください。」
ノエルは再度型番を確認して、頭に手を当てた。
「24555…?前3桁の数字は基本的に開発元会社の番号です。しかし、245はついこの間、倒産した慈善活動などをしているグリークアーツ社の番号だったはずなんです。」
「よくわかったな、俺も同様に思う。新規企業がこの番号を割り当てられたにしては早すぎる。」
カインの同意にノエルは一瞬戸惑ったが、ログを確認している間に現場に残る恐れに当てられた自分の心が戻りつつあることに気づいた。
ノエルは大きく深呼吸をして手を軽く握ってみた。「大丈夫」「いつも通りである」と。
カインは詠唱に入る。
「監査人カインが要請する
レガード魔法使用履歴閲覧
使用端末、PRT-24555
さらに、直近3日間
出力せよ」
『承認しました。』
低く響くレガードの機械音。液晶に次々と履歴が展開されていく。
「ノエル、この履歴、どう思う?」
「特に変な詠唱は……あ、この安眠魔法、私も使ってます」
「注目すべきは、内容じゃない。《量》だ」
ノエルはじっと画面を見つめ、目を見開いた。
「……変です。勉強中に自分の履歴を見たとき、これの半分もありませんでした」
スクロールしていく彼女の手が止まる。
「あっ」
液晶を見つめていたノエルの目がぴたりと止まり、次第に目が見開いていく。
「これ絶対おかしいです!ダグラスさんの勤務中の時間帯にも魔法が使われています。しかも連続して。ダグラス本人が使っていたとは思えません!」
カインはそれを聞くと静かに目を瞑り、思考を巡らせた。
「異常な魔力量、怪しい端末、在宅時以外の連続使用履歴。これだけの不自然が揃っている。本当にただの放火殺人未遂事件だと思うか?」
「……大規模なレガードの事件」
ノエルの脳内に車内で話したレガードの大規模犯罪例が浮かぶ。
ノエルの声がかすかに震えていた。カインは静かに頷いた。
「もしこれがダグラス以外の“誰か”によって意図的に発動されていたとしたら…この事件はレガード史に残る19件目になる。」
ノエルはすでに端末を確認していた。
「イーデアリア病院に奥様とお子さんが保護されています! すぐに向かいましょう!」
「そうしよう。魔導車に乗れ」
カインの号令にノエルがうなずく。二人は現場を後にし、新たな手がかりを求めて車へと向かった。
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