第2話 監査官の仕事
「それでは仕事の説明だ、アスカリナ嬢」
魔導車の車内には魔導駆動音が静かに響き、古びたレザーシートがかすかに軋んでいた。空気は乾いていて、カインは運転席に腰を下ろしながら、魔導計器に指を滑らせて起動準備を整えていた。
操作盤の魔導灯が順に点灯し、カインの指が淡々と手順をなぞる。魔力制御装置から微かな低音が漏れ始めたのを確認すると、彼は何の感情もない顔でイグニション・ルーンに手を伸ばす。
「そのアスカリナ嬢という呼び方、やめてもらえませんか」
その瞬間、不意にかけられた声に、カインの指が止まった。眉がほんのわずかに動き、彼はちらりとノエルを振り返る。
車の外では、連邦の庁舎裏に広がる管理区域がひっそりと静まり返っていた。魔導換気塔の低い唸りと、遠くで魔導浮車のエンジン音がこだまするだけで、他には人の気配もない。
「家の名は監査官に関係ないはずです。ノエルでいい、です」
カインは口元をわずかにゆるめた。いつもの皮肉めいた笑みというより、どこか驚きと興味を含んだ微笑だった。
「何がおかしいんですか!」
「いや、つくづくハルヴァも面白い奴を連れてきたなと思ってな」
二人は庁舎通用門を抜け、魔導通路の上に吊り下げられた標識や浮灯が瞬く中央通りへ出た。商人たちの掛け声と魔導スピーカーの音楽が交錯し、街は活気に満ちていた。
カインは無言のまま、魔導車のハンドルを指先でコツ、コツと叩いた。
その音が車内の静寂に小さく響くたび、ノエルの表情はじわじわと硬くなっていく。
窓の外の喧騒とは裏腹に、車内は緊張の糸がぴんと張ったままだった。
「ではノエル、我々トリス=レガリウス連邦国民が魔法を使うにはどうすればいい?」
「当然、レガードへ魔法の申請を行い認可される必要があります」
「正解だ」
カインはノエルに指を向ける。講義のような口調ではあったが、言葉の鋭さに威圧感があった。
「では、レガードとはなんだ?」
「レガードは五百年以上前に開発された、魔力インフラ整備のための魔道具です」
「正解。魔力を連邦民から徴収し、適切に分配することで、魔力量という才能に依存する時代を終わらせた」
人々の間をすり抜けながら歩き続ける二人。カインは立ち止まらずに問いを重ねる。
カインは目を細めて語った。
「しかしながら、素晴らしいレガードにも欠陥があった。」
丁度車が進行機の指示で止まる。カインがノエルの方に半身を向けた。その瞳はどこか静かで、言葉の裏にある真意を試すような鋭さを帯びていた。
「レガードには、人間の悪意を処理する機能が備わっていない」
「どういう意味ですか」
「エンジニアらしい回答で言えば、レガードが行っている使用魔法の認可、発動内容、そして記録は――人間が書き換えを行うことを“許容”している。」
ノエルの中で、正論と現実がせめぎ合った。
設計に書き換え機構があるのは当然――そう教わってきたし、それを疑う理由などなかった。
だが、“悪意がそれを使う”という想定は、机上には存在しなかった。
人は善である、という前提が壊れるとき、理論は無力になる。
ノエルの胸の奥に、小さな不安が灯った。
この国の魔法は、本当に「誰かの手」に委ねられているのかもしれない、と。
「しかし、それは魔道具であれば拭えない仕様です。それを否定すればレガードは魔道具から人を管理する“神”に変わります」
「いい回答だ。伊達に優等生ではないな。そう――レガードは神じゃない。だからこそ、監査官が必要なんだ」
カインはノエルと一度目線を合わせて、言葉の刃を研ぐように静かに語った。距離は詰められていないのに、ノエルにはその声音がすぐ耳元で響いたように感じられた。
「監査官が摘発した大規模なレガードの事件は、今までで十八件。有名どころなら上流貴族の令嬢リリス=ノーデリアが起こした列車ジャック事件だな。これらの事件は必ず中流以上の貴族や資金潤沢な商家が関係している。俺が言いたいことが分かるか?」
列車ジャック事件ーーー
12年前、リリス=ノーデリアが起こしたレガードの並列処理機能の脆弱性をついたクラッキング事件だった。
リリスは想い人から別れ話を告げられた際、特殊な端末を用いて乗っていた列車のブレーキ制御機能を停止し本来通過するべき駅を過ぎたというものだ。
当時は同車していた監査官によって即時魔力行使権利を凍結した。が、しかしその手法は世界を震撼させた。
「……監査官の敵は、社会的影響力の高い人間…」
「その通り。だから監査官にとって家名は重要なんだよ」
カインの言い分は真っ当であった。もし、列車ジャックの際に同乗していた監査官がリリスの縁者であれば被害はより大きくなっていたことは明白であったからだ。
しかし、であるからこそノエルは言い返さずにはいられなかった。
「つまり先輩は、私が誰かの差金でここへ来たとでも?」
「そうかもな」
ノエルは大きくため息をつき自分の足元を見た。
怒りか悲しみか、わからない感情が胸の奥を駆ける。
「この部署に私しか新人がいないのはきっと先輩のせいですね」
「…多分な」
「否定してほしかったです」
ノエルの皮肉にカインは気にしていない様子だった。
「だが俺は、普通より何も信じられない状況でも信じているものがある。」
「なんですか。」
気落ちしたノエルにはカインのその顔を見ることはできなかった。
「そいつがどんな仕事をしてきたか、だ。」
「どんな仕事を…」
「経歴って話じゃない、そんなことはいくらでも改竄できるからな。俺が欲しているのは肩書きではない優秀さを証明できる人材だ。」
ノエルは自分の腕にかかった腕章を見つめる。ここに来るまでは立派に思えていたその腕章もなぜだか少し小さく思えた。
そのうち魔導車体が静かに減速し、魔導スリットが発光を止める。建物の前に滑り込むように停まり、わずかな振動のあと、周囲の喧騒が少し遠のいた。
「――さてノエル、お前はどっちだ。ここからは“実地研修”だ」
そうして車から降りると、ノエルの腕には腕章はなかった。少し、動きやすくなった腕をノエルは少し上げてみた。それもまたノエルの気持ちを決起させた。
その直後、ノエルの鼻にまさしく火の残り香がかすめた。
危機を察知し顔を見上げたノエルだが、その決起した心が一瞬止まる。
目の前には黒く焼け残ったアパートが2人を見下ろすように立っていた。
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