第1話 期待の新人

レガード。

それは魔力を“制度”に変えた魔導具である。


星歴2000年、終わることのない大陸戦争を前に、ある魔導技術者が提唱した構想――「魔力徴収と分配の国家管理」。


この夢想にも似た構想は、やがて魔導具レガードとして結実し、魔法を“才能”から“制度”へと転換した。


レガードの導入によって、各国は魔力の管理を中央集権的に行うようになり、軍事衝突は徐々に減少。

結果としてエクビウム大陸の統一連邦トリス=レガリウスが誕生した。


魔力は社会資本となり、誰もが扱うことのできるものとなった。

ーーしかし、誰もが“正しく”使っているとは限らない。


レガードの裏をかく者がいる限り、この魔導社会には《監査官》という矛盾の証人が必要なのだ。


「本日よりレガード運用監査室南域監査支部の監査補佐官として任命されました!ノエル=アスカリナです!よろしくお願いします!」


立ち上がったノエルは、制服の袖口をきっちりと正してから一礼した。

その右袖には、銀糸で編まれた《精詠章》が小さく輝いている。

魔道学校・詳細詠唱科で最優秀を収めた者だけに授与される、いわば“学術の勲章”だった。

声は張りがあり、目は真っ直ぐ。初々しいが、並の新人とは明らかに空気が違う。


支部内にパラパラと拍手が広がる。

決して人数は多くないが、その分一人ひとりの掌が優しく鳴っていた。


壇上のハルヴァ=メルゼン支部長が、例によってゆるい笑みを浮かべながら話し出す。

「と言うわけでね、省庁から見放されたと思われていたこの部署にもついに期待の新人が来たということで。みんな仲良くしてね。」


ハルヴァは、かつて軍務局にいたという経歴を持つ男で、現場主義の温厚な指揮官として知られている。

口調は飄々としているが、部下への信頼は本物だ。

ただし――稀に“余計な采配”をすることでも悪名高い。


職員たちはそれぞれ立ち上がり、手短な自己紹介を交わす。

ノエルは一人ひとりに丁寧に頭を下げ、そのたびに少しだけ緊張をほぐしていった。


ひと通りの挨拶が終わると、ハルヴァは支部内を見渡しながら腕を組んだ。

どこか企んでいるような顔で、静かに口角を上げる。


「ノエルちゃんはまだ補佐官だから、誰か監査官に同行させたいのだけど……」


ハルヴァの視線がゆっくりとカイン=ヴァルメルのほうへ移動する。

その目には明らかに“ロックオン”の光が宿っていた。


カインはその視線に気づくと、顔をしかめて書類から目を逸らした。


「……嫌です」


即答である。


「まだ何も言ってないよ?」


「支部長が何をおっしゃられるのか想像できるから、嫌だと申し上げています」


ハルヴァはにこにこ。カインは仏頂面。

絵に描いたような上下温度差だった。


「ノエルちゃんの指導監査官になって」


「嫌です」


「でもほら、皆やってるし……」


「いかにも直情そうな奴は嫌だと言っているんです。もっと理知的で、落ち着いた――」


「そんな子がタイプってこと?」


「ビジネスパートナーとしては、そうですね」


さらりと言い放ったカインの横顔に、ノエルの顔がみるみる真っ赤になっていく。


「メルゼン支部長! こんな失礼な人に教えを乞えって言うんですか!」


「ほら、本人からもこのように」


ハルヴァは芝居がかった大げさなリアクションで頭を抱えた。


「ええー! そんなぁ……指導官って、たぶんカインしか適任いないんだけどなぁ……」


「論理や理屈面のサポートが必要と言う意味では同意しますが…」


「なん!? じゃあ私の詠唱の正確性、先輩に証明して差し上げますよ!」


二人の間に稲妻が走りそうな空気が流れる。

支部内の空気がじり、と重たくなったそのとき――


ハルヴァがすっと間に入る。

同時に発動間近となっていたノエルの魔法もいつのまにか霧散していた。


「はいはい、戦闘詠唱は事務所外でお願いします」


両手を広げて二人を制しながらも、彼の顔はどこか楽しげだった。


「ところで、カイン」


「……嫌な予感がします」


「お前、この間の賞与面談のこと、忘れてないよねぇ?」


ハルヴァの顔に浮かんだのは、実に悪どい笑みだった。

カインの背筋に、ぞわりと冷たいものが走る。


「来期は“支部長の言うことをなるべく聞く”から、評価点を加味してくれって言ってたよね?」


「……あれは“努力目標”として申告しただけです」


「でも、まあ、決まりだよねぇ」


カインは短く、深いため息をついた。


「……わかりましたよ」


「じゃ、現状の案件にそのまま同行ってことで。ノエルちゃんは毎日日報を残すようにね~」


「……」


「カインはそのチェックよろしく!」


ハルヴァは背を向けて、軽やかに扉を開けた。

その背中からは、“勝ち逃げ”という言葉が見えそうだった。


部屋が静かになると同時に、カインは二度目のため息をつく。


「それでは行くぞ、アスカリナ嬢」

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