第4話 疑惑の家族

イーデアリア病院。

南域において最大級の診療施設であり、被災者や難民の受け入れ体制も整えられた中央医療塔が特徴の医療機関だ。

整然と白を基調にまとめられたその建物は、どこか無機質ながらも“清浄”という印象を与える。


病棟の一室、やや日当たりのよい角部屋のベッドに女性が一人座っていた。

彼女の名はカナリア=ノーランド。火災被害により保護され、現在は治療と経過観察のため入院中である。


窓の外をじっと見つめるカナリアは、病院服に身を包み、首と両手には火傷を覆うための包帯が巻かれていた。

表情には疲労の色が浮かび、目元にはわずかに陰が差している。


「失礼します」


コンコン、と控えめなノック音の後、病室の扉が静かに開いた。

カインとノエルが連れ立って中に入る。


「カナリア=ノーランドさんでしょうか」


呼びかけに対し、カナリアは窓辺から視線を向けたが、返答はない。

わずかに戸惑ったような表情を浮かべるだけで、言葉は続かない。


「監査補佐官のノエルと申します。アパートデレシアの火災について伺いたいのですが、カナリア=ノーランドさんで間違いないですか?」


ノエルがやや声を張って呼びかけると、ようやく返事が返ってきた。


「ハイ、ワタシ、カナリアです」


返答には強い北部訛りが混じっていた。

その響きにカインが一歩進み、言葉を変える。


『もしかして、カナリアさんは北部地域の方でしょうか?』


『え、ええ、北部のアリアヘイドの生まれです』


北部言語でのやりとりが始まると、カナリアの表情がいくぶん和らいだ。


「どういうことですか?」


ノエルがひそひそ声でカインに尋ねる。


「カナリア=ノーランドは北部出身だそうだ。資料にはなかったな」


「だから共通語が通じにくかったんですね。っていうか、なんで先輩はそんなに平然と話せるんですか?」


「これでも監査官5年目だ。レガードのシステムが浸透しきってない地域出身者ほど、中央に出てきて監査案件を起こしやすいんだ。お前も覚えておけ」


「なるほど…そんな背景があるんですね」


レガードは言語詠唱と紐づいた魔導具であるがゆえに、発音の揺れや訛りが魔法の発動や制御に深刻な影響を及ぼす。

それゆえ、北部や東部など一部地域ではマニュアル通りの詠唱がうまく機能せず、生活トラブルの原因となることもしばしばだった。


『アパートの火災の件で調査に来ました。監査官のカインと、補佐官のノエルです。少しお話よろしいでしょうか』


『監査官?』


その言葉にカナリアの眉がわずかに動き、顔がこわばった。


『どうかされましたか?』


『…いえ、以前にも監査官の方がいらっしゃったもので』


『なるほど、何か失礼でもありましたか?』


カナリアは言葉を濁す。

その様子を見て、カインの眼差しが鋭くなった。

言葉がわからないノエルは、二人のやり取りに首をかしげている。


『いえ、ただ、今回のように言葉がすぐに通じず…かなりお手間をおかけしてしまったものですから。アパートの件ですよね? 大丈夫です』


『ありがとうございます。すでに警察に話されている内容もあるとは思いますが、何点かご質問をさせていただきます』


「カナリアさんはなんと?」


「以前、監査官と話が通じなくて困ったことがあったらしい。その時の記録があるだろうから調べてくれ」


「わかりました!」


カインは姿勢を正し、カナリアに向き直る。


『まず、事件当日についてです。事件発生は深夜の2時ごろとのことでしたが、カナリアさんは何をされていましたか?』


『寝室で寝ていました。主人の呼びかけで目が覚めて、息子を抱いて外へ出ました』


『なるほど』


カインは手持ちのノートに要点を記しながら、カナリアから視線を外さない。


『今回、火元はキッチンのコンロですが、着火魔法の暴走の形跡がありました。以前にもこのようなことがありましたか?』


『いえ、このようなことは初めてです』


『初めてですか。不思議ですね』


『どういうことですか?』


カインの目がさらに鋭くなる。

それに気づいたノエルが慌てて割って入った。


「ストップです、先輩」


「なんだよ」


「今すっごい怖い顔してました。尋問に見えますよ」


「普通の顔だろ」


「先輩の普通は、世間の“威圧”です」


カナリアをちらりと見やり、ノエルは真剣な目でカインを見つめる。


「ニコニコしてください。ね?」


カインはため息をつき、わずかに表情をゆるめた。


『失礼しました。少々、補佐官との認識の食い違いがありまして』


ノエルがじっと目でカインに圧をかけると、彼は居心地悪そうに視線を逸らした。


『ええ、大丈夫ですよ。それで、“妙”というのは?』


『今回の魔法発動は、魔力の過剰使用と長時間使用が原因と考えられます。普段そうした使い方をしていないなら、なぜ今回だけ?と気になるのです』


『私には…なんとも…』


カナリアは眉を寄せ、思案に沈んだ。


そのとき、病室の扉が開いた。


『ママ!』


勢いよく駆け込んできたのは、四歳ほどの男の子だった。

看護師がやや焦った様子で後ろから追いかけてくる。


『カシオ!』


カナリアが身を乗り出し、両腕で男の子を抱きとめる。


『痛いところは大丈夫なの?』


『うん! だいじょうぶ!』


抱き合う親子の姿は痛々しくも微笑ましかった。

男の子――カシオの顔には包帯が巻かれており、やけどの跡が見える。


『息子さんですか?』


『ええ、息子のカシオです。ほら、ご挨拶して』


照れくさそうに手を振るカシオに、ノエルがやさしく微笑んだ。


『可愛らしいですね。お怪我は大丈夫そうですか?』


『ええ、顔に少し火傷を負ってしまいましたが、幸い大事には至らず…ほんとうに、よかった…』


「顔、ですか」


ノエルがそっとカインの袖を引く。


「カナリアさんの件、調べたら出てきました。1ヶ月前、水魔法の止め方がわからず通報してます。北部訛りで制御詠唱がうまくいかなかったそうで、監査官と地域支援員がレガード使用の指導に入ってますね」


「そうか、よくある話だな」


レガードは、詠唱による言語制御を根幹とする魔導具だ。

そのため発音の揺れ、文法の違い、慣用句の癖といった“言語差”が制御に深く影響する。

とくに北部や東部などの方言地域では、誤動作や発動失敗がしばしば起こるため、特別な教育支援が求められる。


ノエルが表示した資料をカインが目を通す。

ふと、カインの視線が止まる。


「この件、発端となった水魔法の開始処理で使ってた詠唱も少し変だな、“ずっと”か…」


「開始処理?」


カインがノエルの端末を指差すに見せた。


「ああ、水魔法の出力時間に“ずっと”ってな。あまり使わないよな、なんせ永久に出力が続くことになるから」


「よくこんなところを…ただ、これだけでは不自然なだけではないですか?行政指導も気づいた上で見逃したんですよ」


「この詠唱はマニュアルとも一致しない。つまり、あえて独自のものを使ったか、もしくはマニュアルの誤読による発動内容のミスの可能性がある。」


「どちらも故意ではないですが、もしかして第三者が事故に見せかけてこれを引き起こしたって考えています?」


「可能性は全て考えるさ。丁度よくカナリアさんは連邦共通語に疎い。指導の内容もあまり理解していないようだ。」


「先輩って意外と想像力豊かなんですね。私、勘違いしていました。」


「バカにしてんのか?」


「お話中すみません…そろそろ検査のお時間でして、よろしいでしょうか…?」


申し訳なさそうに看護師が声をかけてくる。


カインとノエルは顔を見合わせ、室内の赤みを帯びた陽の色に気づく。


「ああ、すみません。最後に二つだけ質問を」


「なるべく手短にお願いします…」


看護師に会釈をしてからカナリアに向き直った。


『カナリアさん、ご主人は仕事の合間にお昼などで帰宅されますか?』


『いえ、主人の仕事場は片道30分以上かかるので戻ることはないです』


『なるほど。その間、他の方が家に来て魔法を使用することは?』


『ありません。平日の昼間は私がずっと家にいますから』


『わかりました、最後ですがレガードからの“配布魔法”はなんですか?』


『“配布魔法”って…』


そこまで話してカナリアは押し黙る。

カインは答えを待つように黙ってカナリアを見つめた。


「先輩、看護師さんの顔が限界です」


「いや待て、もう少しで答えが出そうなんだ」


「いや本当に限界です。すみません、すぐ連れて帰るので」


「いえ…」


「あっ、そうだ、看護師さん!」


不意にカインは看護師に対して呼びかけた。まさか自分に矛先が向くと思っておらず思わず看護師は声を漏らした。


「私たちが来るまでに捜査官以外で訪問した人間はいましたか?」


「…いなかったかと思います。」


「一応ですが、面会謝絶のほうが良いでしょう。容体のことは我々には把握できませんが、少なくともこの事件の真相を解明するまで。警察にもそのようにご連絡しておきますので」


「承知しました。病院の方でも対応するように共有します。」


看護師からぐるりとカナリアに向き直り、笑みを作るカイン。どこか嘘くさいがそれでもかろうじて爽やかに見える笑顔であった。


『病み上がりに失礼しました。今日はこの辺りでお暇します。ありがとうございます』


『いえ、また何かありましたら…どうぞ』


カインはそれを聞き終わると何事もなかったかのように足早に病室を出ていった。

魔道端末を捜査していたノエルは一歩遅れて慌てながら部屋を出ようとするが出口でぴたりととまりカナリアの方に向き直る。


『ありが、とう、ございました!』


カナリアは少し笑顔になりながらノエルを見送るのであった。


病室を後にし、二人は夕焼け染まる廊下を歩いていく。


「最後、カナリアさんはおそらく“配布魔法”を知らなかったのかな」

「え…」


ノエルの足が止まった。


「そんなことありますかね?」

「レガードの仕様を知らなければ無理もないのかもしれないが、レガードの個人通知に必ず表示されるはずのものだ。知らないことは俺も想像はできない。」


ーーー配布魔法

一定以上、レガードの使用歴があるユーザに対してレガードが配布する魔法

使用頻度が高い魔法の短縮詠唱及び、使用魔力の最適化が行えるため、魔法が不得手などの場合、使用する連邦民も多数存在する

しかしながら、最適化された方法は出力される魔法に応用性がないため多くの場合は詠唱を読み上げる方式を使う


「行政指導の時真っ先に説明されるはずだが、なぜ答えられなかったんだ」


「先輩…それ以上は想像力から妄想力になっちゃいますよ」


「そうだな…」




2人が車の扉を閉じるとカインは口を開いた。


「今日のところはここまでかな」


「あれ、グリークアーツ社とか調査しないんですか?」


カインの言葉にノエルは尋ねる。

ノエルは今日1日でカインという人間を理解しつつあった。

悪に対して妥協ができない、だとすれば中途半端に調査を中断することは本人の流儀からは逸れるだろう。


「今はほら…魔法監査官も業務倫理の監査官には勝てないからさ」


「なるほど…」


人の善悪は社会が決める側面もある。カインの流儀とてそうであった。

窓の外では、赤く染まった雲がゆっくりと流れている。


「帰りの車で、日報だけ頼む」


「わかりました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る