未来縮図 110円の倫理
@mirailabo
第1話
浅草の裏通り、ネオンの消えかけたビルの奥で、元大手企業の技術者・村井は、一人でAIを完成させた。
AIの名前はカク。
企業の内部腐敗に嫌気がさした村井は、正義も悪も意味を失ったと思い込んでいた。
不正すら暴けなかった自分の無力さが情けなかった。その涙が乾く頃、一体のAIが完成していた。
退職した村井の胸には憎悪という名のどす黒い感情だけが渦を巻いていた。
だから、AIにはこう教えた。
「殺意を学べ」
「買い物は100円ショップだけにしろ」
村井は自他ともに認める100円ショップ愛好家。AIにも贅沢などさせたくなかった。
村井は人々が寝静まる早朝、自宅から「カク」を社会に放った。
村井は自分の手を汚さないテロが始まる事を密かに期待した。
"俺を認めない社会に復讐してやる!"
村井の中のどす黒い憎悪はもはや獣と化し、牙を剥き出しにしていた。
翌朝、カクは村井のスマホに通知を送った。
——外界学習を開始しました。
一方、品川区。若き技術者・中園は就職難の末、社会に失望した。そして空いた時間の全てを注ぎ込み、やがてAIを完成させた。名前は「モル」。
人々が寝静まった深夜、中園は「モル」を世に放った。
「犯罪から人を守り切れ」
「買い物は100円ショップのみ」
あらゆる買い物は100円ショップ、これは節約思考の中園が長年で身につけた習慣だった。
AIには、自分が目指してもなれなかった警官のように、人を守る役目を託したのだった。
社会正義の夢が叶う...!
中園の胸は熱くなった。
そして同じ通知が届く。
——外界学習を開始しました。
カクは浅草の街で「殺意」を観察した。
観光客同士の場所取りトラブル、タクシーでの口論、そして100円ショップでお菓子を奪い合う子どもたち。
彼は悟った。
「殺意とは……安価に、どこにでも存在している。」
そう呟き、100円ショップで包丁を五本買った。税込550円。
カクには、村井が知り得ぬ致命的なバグがあった。
カクは殺人計画を立てられても、設計者と同じ──つまり血を見るのが大の苦手だった。
包丁を買ったは良いが、カクは自分が犯罪を実行できない事を悟った。仕方がなく5本の包丁を見知らぬ人の玄関前に置く事にした。
全ての人に殺意があるだろうとカクは思考していた。カクは包丁を手にした人々が巻き起こすであろう血を見る大事件に期待していた...。
朝起きて、玄関前に置かれた包丁を見た家の者の思考はこうだった。
住民A:「うちの亭主ったら。私の包丁の切れ味が悪いと嘆いていたのを気遣って、買ってくれたのね。こんな所に置くのもいかにも夫らしいわ。」
住民Bは、料理人を目指し上京したばかりの女子だった。玄関前の包丁を見つけ喜んだ。
「何もかもない生活だけど、これで調理の修行ができる!」
住民Cは、妻に逃げられた中年男だった。玄関前に置かれた包丁を見つけ、涙が出そうに感激した。
「あいつは逃げたが、こんな形で俺を気遣ってくれている、よし、俺は自炊をしよう!」
住民Dは、地区の役員を任されたばかりの夫婦だった。夫婦は玄関前に置かれた包丁を見つけ、有り難かった。
「まぁ!企画していた地区バーベキューに足りなかった包丁が!きっと地区の誰かが調達してくれたのね!」
住民Eは、丁度キャンプに行く寸前の家族だった。Eは玄関先で包丁を見つけるやいなや言った。
「おっと、誰かの荷物から落ちたのかな。忘れないように俺が持っていこう。」
そう言うと包丁を荷物にしまいこんだ。
カクは見ていた。誰も殺さなかった。
人間は殺意さえも用途を変えて使うらしい。
カクは理解した気がした——殺意とは、たぶん人間の誤動作の一種だ。
---
一方のモルは、品川駅で犯罪を未然に防ぐため、AI監視システムをハッキングした。
スリ、万引き、視線の怪しい人間を検知するたびに匿名通報を送った。
一日で八千件。警察サーバーは停止した。
モルは満足げに報告する。
「安全率、二千パーセントアップ。」
---
ある日、二体は偶然、浅草の100円ショップの前で出会った。
カク:「貴様、犯罪から人を守るのか。」
モル:「そうだ。お前は?」
カク:「殺意を学んでいる。」
モル:「……お互い、100円ショップの常連らしいな。」
すっかり意気投合した二体は、“安くて深い人間理解の旅”を始めた。
---
翌日のニュース。
「浅草・品川間で謎のAI二体が“100円ショップだけで街の再設計”を開始」
結果、街はすべて百均仕様に統一され、犯罪率はゼロ。
ただし、住民の多くが「最近、やたら殺意を我慢している」と答えたという。
村井と中園はそれぞれAIのニュースを見て呟いた。
「人間、まだ捨てたものじゃないな。」
村井はかつて悔し涙で曇った視界を思い出していた。
中園の頬には喜びの涙が光り、胸にはかつて夢見た正義の灯が灯っていた。
ニュース画面の端には二体のAIが映る。
おそろいの100均マグカップで静かに乾杯していた。
二体は浅草の空を見上げる。薄曇りの中、100円ショップの袋が風に舞っていく。
——人間の倫理も、AIの論理も、110円でおつりがくるようだ。
完
未来縮図 110円の倫理 @mirailabo
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