第7話 追悼式のない遺体

私の名前は白月加奈、28歳。


3日前、弟が死んだ。


白月健太、24歳。


転落死、と警察は言った。


だが——


私は知っている。


弟は、殺されたのだと。


---


2025年11月4日、午前7時。


警察から電話があった。


「白月健太さんのご家族ですか」


「はい、姉です」


「ご遺体が発見されました。神社の裏山です」


---


私は実家へ急いだ。


両親は、呆然としていた。


「健太が……」


母は泣いていた。


父は、何も言わなかった。


ただ、窓の外を見つめていた。


---


警察の説明では、

健太は深夜、神社の裏山を登り、

崖から転落したという。


「なぜ、夜中に山に?」


私が聞くと、警察官は首を横に振った。


「分かりません。事故か、自殺か……」


「自殺なんかじゃない!」


私は叫んだ。


「健太は、そんなことする子じゃない」


---


だが——


私は知っていた。


健太が、何かに追い詰められていたことを。


---


【3ヶ月前】


健太から電話があった。


「姉ちゃん、俺、この町を出たい」


「どうしたの?」


「この町、おかしいんだ」


健太の声は切迫していた。


「みんな、何か隠してる。

父さんも、母さんも」


「何を隠してるの?」


「……言えない。でも、俺は覚えてるんだ」


「何を?」


「いくみのこと」


---


いくみ。


白月いくみ。


私の、従妹。


10年前、彼女は——


消えた。


---


【10年前】


2015年10月。


私は20歳で、東京の大学に通っていた。


秋休みで実家に帰ったとき、

いくみがいなくなっていた。


「いくみは?」


私が聞くと、叔父(いくみの父)は言った。


「転校した」


「どこへ?」


「……遠くだ」


それ以上、誰も何も教えてくれなかった。


---


私はいくみに電話をかけた。


繋がらない。


メールを送った。


返事がない。


SNSのアカウントも、消えていた。


---


私は図書館へ行った。


いくみはいつも、図書館にいた。


司書の透さんに聞いた。


「いくみちゃん、知りませんか?」


透さんは、少し考えて答えた。


「……ああ、転居されたそうですよ」


「どこへ?」


「さあ……」


---


私は違和感を覚えた。


だが——


大学の試験があり、私は東京へ戻った。


そして——


気づけば、私もいくみのことを、

あまり思い出さなくなっていた。


まるで——


忘れさせられているように。


---


【現在】


だが、健太は覚えていた。


ずっと、覚えていた。


「いくみ姉ちゃんは、転校なんかしてない」


健太は電話で言った。


「消されたんだ。この町が、消したんだ」


「消された? どういうこと?」


「俺、図書館で調べたんだ。

いくみ姉ちゃんの記録、全部ないんだよ。

卒業アルバムにも、家系図にも」


---


「健太」


私は言った。


「それは、考えすぎじゃ——」


「姉ちゃんも、忘れたのか?」


健太の声が、震えていた。


「いくみ姉ちゃんのこと」


---


私は、思い出そうとした。


いくみの顔。


だが——


輪郭しか思い出せない。


顔の中心が、ぼやける。


「……覚えてる」


私は嘘をついた。


「覚えてるよ」


「本当に?」


「うん」


---


健太は、それから何も言わなかった。


ただ——


「姉ちゃん、もし俺に何かあったら」


「何かって?」


「この町の人間を、信じないで」


電話は、そこで切れた。


---


それが、健太との最後の会話だった。


---


【遺体安置所】


警察の遺体安置所で、

私は健太の遺体と対面した。


顔は、傷だらけだった。


崖から落ちた衝撃、と説明された。


だが——


私は気づいた。


健太の手に、白い布の繊維が絡まっていた。


---


「これは?」


私が警察官に聞くと、


「現場に落ちていたものでしょう」


「何の布ですか?」


「さあ……」


警察官は、あまり興味がなさそうだった。


---


私はその布を、こっそり持ち帰った。


そして——


家で調べた。


白い木綿布。


古い織り方。


白鷺町で、祭礼に使われる布だった。


---


【葬儀の拒否】


翌日、私は両親に言った。


「健太の葬儀をしよう」


だが——


父が言った。


「葬儀は、しない」


「なぜ?」


「……したくない」


「でも——」


「加奈」


父は私を見た。


「葬儀をすると、健太は本当にいなくなる」


---


私は理解できなかった。


「死んだら、葬儀をするのが普通でしょう」


「普通じゃない」


母が言った。


「この町では、普通じゃないの」


---


私は混乱した。


「お母さん、何を言ってるの?」


「加奈、あなたは知らなくていい」


「知らなくていいって——」


「お願い」


母は泣いていた。


「これ以上、詮索しないで」


---


私は両親を説得できなかった。


結局、健太の葬儀は行われなかった。


遺体は火葬され、

骨だけが実家に戻ってきた。


だが——


仏壇も作らない。

位牌も作らない。


まるで——


健太が存在しなかったかのように。


---


【透との対面】


11月6日。


私は図書館へ行った。


白鷺透さんに会うために。


「透さん」


「……加奈さん」


透さんは、私を見て表情を曇らせた。


「健太くんのこと、お悔やみ申し上げます」


「ありがとうございます」


---


私は単刀直入に聞いた。


「透さん、健太はなぜ死んだんですか」


透さんは答えなかった。


「透さん、知ってるんでしょう?」


「……」


「教えてください」


---


透さんは、長い間沈黙していた。


そして——


「図書館を閉めます。

裏の資料室へ来てください」


---


【真実の告白】


資料室。


透さんは、私に一冊のノートを見せた。


「これは?」


「私が、10年間書き続けてきた記録です」


「記録?」


「白月いくみさんの、記録です」


---


私は、ノートを読み始めた。


そこには——


いくみが消された夜のことが、

詳細に記録されていた。


町の有力者たちの会合。

いくみの「事故死」。

そして、記録の改竄。


---


「透さん……これ……」


「私が、やりました」


透さんは言った。


「戸籍、住民票、地図、すべて。

いくみさんの存在を、記録から消しました」


---


私は震えた。


「なぜ……」


「命令されたんです。

町の、ルールです」


「ルール?」


「この町では、罪を分け合います。

全員で分ければ、誰も裁けない」


---


私は立ち上がった。


「健太は、それを知ってたんですね」


「……ええ」


「だから、消されたんですね」


透さんは何も答えなかった。


---


「透さん」


私は言った。


「あなたも、共犯者ですね」


「……はい」


「じゃあ、私はあなたを許せない」


---


私は図書館を出ようとした。


だが——


透さんが、私を呼び止めた。


「加奈さん」


「何ですか」


「あなたも、この町の血筋です」


---


私は振り返った。


「それが、何?」


「いつか——」


透さんは言った。


「あなたも、選ばなければならない時が来ます」


「選ぶ?」


「記憶を保つか、町に残るか」


---


私は何も答えず、図書館を出た。


---


【町を出る決意】


その夜、私は荷物をまとめた。


この町を、出る。


もう、戻らない。


健太が死に、いくみが消された町に、

私はいられない。


---


翌朝、私は両親に言った。


「私、この町を出る」


父は何も言わなかった。


母は、ただ泣いていた。


---


「加奈」


父が、ようやく口を開いた。


「一つだけ、覚えておけ」


「何?」


「この町のことを、外で話すな」


---


私は答えなかった。


ただ、家を出た。


---


【最後の訪問】


町を出る前に、

私は一箇所だけ、訪れたかった場所があった。


神社の裏山。


健太が、死んだ場所。


---


崖の下には、

白い布が何枚も結ばれていた。


誰が結んだのか。


なぜ、ここに。


---


私は崖の上に立った。


ここから、健太は落ちた。


事故か。

自殺か。


それとも——


---


崖の上に、一枚の紙が落ちていた。


拾い上げる。


ノートの破れたページ。


健太の筆跡だった。


---


「姉ちゃんへ


もし俺が死んだら、これを読んでほしい。


俺は、いくみ姉ちゃんのことを忘れられなかった。

みんなが忘れても、俺だけは覚えていた。


でも、この町では——

覚えていることが、罪なんだ。


匿名掲示板に書き込んだのは、俺だ。

誰かに、この町の秘密を知ってほしかった。


でも、もうダメだ。

俺も、忘れさせられる。


姉ちゃん、この町を出て。

そして——


いくみ姉ちゃんのことを、覚えていて。


健太」


---


私は、涙が止まらなかった。


健太は——


思い出し続けたから、消されたのだ。


---


私は紙を握りしめた。


そして——


決めた。


忘れない。


いくみのことも、健太のことも。


たとえ、この町全体が忘れても。


私だけは、覚えている。


---


【町を出る】


11月8日。


私は白鷺町を出た。


二度と、戻らない。


---


バスの窓から、町を振り返った。


静かで、穏やかな町。


だが——


その静けさの下に、

どれだけの罪が埋まっているのか。


---


私は、これから生きていく。


健太の記憶を、胸に。


いくみの記憶を、心に。


そして——


いつか、この町の秘密を、

誰かに伝える日が来るかもしれない。


---


バスが町を離れた。


私は、前を向いた。


もう、振り返らない。

```


---


## 【記録者補遺】

```

【記録者補遺】


白月家は、いくみの一族だった。

彼らは血を分け合っている。

罪も、記憶も。


健太が死んだのは事故だと報告されている。

だが私は知っている。

町が彼を「忘れさせようとした」ことを。


思い出し続けた者は、排除される。

これが、この町のルールだ。


加奈さんは、町を出た。

彼女だけが、記憶を保った。


いつか——

彼女が戻ってくる日が来るかもしれない。


その時、私は何を答えればいいのか。

```


---



その夜、町の古老・久我山タケが、

透を自宅に呼んだ。


「白鷺、そろそろ潮時だ」


タケは言った。


「何がですか」


「影を縫う者の、引継ぎだ」


---


透は、タケの書斎に通された。


そこには、古い巻物があった。


「これは?」


「この町の、真実だ」


タケは巻物を広げた。


そこには——


白鷺町の、隠された歴史が記されていた。


「影を縫うとは、何なのか」


透は、ようやく知ることになる。


第八話:沈黙の引継ぎ

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