第6話 祈りの代行人
私の名前は高瀬由香、34歳。
夫と小学生の娘と、3人で暮らしている。
3ヶ月前、夫の転勤でこの白鷺町に引っ越してきた。
静かで、穏やかな町だと思った。
だが——
この町には、何かがおかしい。
---
2025年10月28日、火曜日。
町内会から回覧板が回ってきた。
件名:「秋の祭儀のご案内」
本文:
「11月3日(月・祝)午後7時より、
白鷺神社にて秋の祭儀を執り行います。
全世帯、必ずご参加ください。
なお、参加されない場合は、
事前に町内会までご連絡ください」
---
私は隣の家の奥さんに尋ねた。
「この祭儀って、何をするんですか?」
奥さんは少し困ったような顔をした。
「……お祈りです」
「何を祈るんですか?」
「それは……」
彼女は言葉を濁した。
「当日、分かります」
「でも、何を祈るか分からないのに、
参加しなきゃいけないんですか?」
「そうですね……町の習わしなので」
---
私は納得できなかった。
宗教的な儀式なら、事前に説明があるべきだ。
「私たち、参加しなきゃダメですか?」
「できれば……」
奥さんは私の顔を見た。
「高瀬さん、参加された方がいいと思います」
「なぜですか?」
「それは……」
彼女は何も言わなかった。
---
その夜、私は夫に相談した。
「ねえ、この祭儀って何だと思う?」
夫は回覧板を見て、首を傾げた。
「さあ……秋祭りみたいなものじゃないか」
「でも、全世帯必ず参加って、変じゃない?」
「田舎の町だし、そういうものかもしれないな」
夫は気にしていない様子だった。
「でも私、なんか嫌な感じがするの」
「考えすぎだよ。せっかくこの町に来たんだから、
地域の行事には参加した方がいい」
---
だが——
私の違和感は消えなかった。
なぜ、誰も祭儀の内容を説明しないのか。
なぜ、「必ず参加」なのか。
私はインターネットで「白鷺町 祭儀」と検索した。
だが——
何も出てこなかった。
町の公式サイトにも、祭儀の記載はない。
---
翌日、私は町内会長の家を訪ねた。
会長は60代の男性、この町で生まれ育った人だ。
「すみません、祭儀のことで伺いたいんですが」
「はい、何でしょう」
「何を祈る儀式なんですか?」
会長は少し考えてから答えた。
「……町の安寧を祈ります」
「町の安寧?」
「ええ。五穀豊穣とか、そういったことです」
「それなら、なぜ全世帯必ず参加なんですか?」
会長の表情が、わずかに変わった。
「……この町の習わしなので」
「でも——」
「高瀬さん」
会長は私を見た。
「参加していただけますか?」
「内容が分からないのに、参加できません」
私ははっきり言った。
---
会長は深くため息をついた。
「では、参加されないということで
よろしいですね」
「はい」
「分かりました」
会長はそれ以上、何も言わなかった。
だが——
その目に、何か不安そうな色が浮かんでいた。
---
【異変の始まり】
10月30日、木曜日。
朝起きると、玄関のドアに
白い布が結ばれていた。
誰が結んだのか、分からない。
私は布を外して、ゴミ箱に捨てた。
---
翌日、10月31日。
また、白い布が結ばれていた。
今度は、玄関だけでなく、
窓にも結ばれている。
私は全部外した。
そして——
防犯カメラを確認した。
我が家には、玄関に小型カメラを設置している。
映像を見ると——
深夜2時、誰かが白い布を結びに来ていた。
だが——
顔は帽子とマスクで隠れていて、
判別できない。
---
私は警察に相談しようとした。
だが、夫が止めた。
「警察沙汰にするのはやめよう」
「でも、これって不法侵入でしょ?」
「そうだけど……まだこの町に来たばかりだし、
あまり波風立てない方がいい」
夫は困った顔をしていた。
「祭儀に参加すれば、こういうことも
なくなるんじゃないか?」
「え?」
「つまり、参加を促してるんだと思う」
「それって、脅迫じゃない」
「……そうかもしれないけど」
夫は言葉を濁した。
---
11月1日、土曜日。
朝、娘が泣いていた。
「ママ、写真が変なの」
「写真?」
娘が指差したのは、
リビングに飾ってある家族写真だった。
私たち3人が写っている写真。
だが——
顔の部分が、白くぼやけていた。
3人とも。
---
「何これ……」
私は写真を手に取った。
フレームを開けて、写真を確認する。
顔の部分だけ、
まるで光で飛んだように白くなっている。
色褪せたのではない。
何かで、消されている。
---
私は他の写真も確認した。
アルバム。
スマホの写真。
すべて——
家族の顔の部分だけが、白くぼやけていた。
---
「どういうこと……」
私はパニックになった。
デジタルデータまで、どうやって?
夫も、娘も、顔が消えている。
私自身の顔も。
---
夫が帰宅すると、私はすぐに見せた。
「見て、これ!」
夫は写真を見て、絶句した。
「……なんだこれ」
「分からない。朝起きたら、こうなってたの」
娘が泣きながら言った。
「パパ、怖いよ」
---
その夜、私たちは話し合った。
「やっぱり、祭儀に参加した方がいいんじゃないか」
夫が言った。
「でも、こんな脅迫みたいなことされて——」
「写真が消えるなんて、普通じゃない」
夫の声が震えていた。
「この町、何かおかしい。
でも、逆らうともっと怖いことになるかもしれない」
---
私は考えた。
このまま拒否し続けたら、
何が起きるのか。
写真が消えるだけで済むのか。
それとも——
もっと、何か。
---
「分かった」
私は言った。
「参加する」
---
【祭儀当日】
11月3日、午後7時。
私たちは白鷺神社へ向かった。
神社の境内には、町中の住民が集まっていた。
100人以上。
全員が、白い服を着ている。
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「これ、着てください」
町内会長が、白い服を渡してきた。
「何ですか、これ」
「祭儀の衣装です」
私たちは白い服を羽織った。
シンプルな、白い布。
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午後7時15分。
神社の拝殿の前に、
全員が集まった。
神主が現れ、祝詞を上げ始めた。
だが——
その内容が、おかしかった。
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「我ら、忘却を願う」
神主の声が、境内に響く。
「記されしものを、記さず」
「語られしものを、語らず」
「思い出されしものを、思い出さず」
---
「忘却?」
私は隣の夫に囁いた。
「何を忘れるの?」
夫も困惑した顔をしていた。
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「全員、唱和してください」
神主が言った。
住民たちが、一斉に声を合わせた。
「我ら、忘却を願う」
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私は唱和できなかった。
何を忘れるのか、分からない。
だが——
周りの住民たちは、
淀みなく唱えている。
まるで——
何度も繰り返してきたかのように。
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「我ら、記憶を分かつ」
「我ら、罪を分かつ」
「我ら、沈黙を守る」
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罪?
沈黙?
私は混乱した。
これは、何の儀式なのか。
---
祭儀は1時間続いた。
最後に、神主が言った。
「新たに加わりし者は、前へ」
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町内会長が、私たち家族を手招きした。
私たちは、拝殿の前へ進んだ。
神主が、私たちの額に
白い粉のようなものをつけた。
「汝ら、この町の一員となりぬ」
「記憶を分かち、罪を分かつ」
「沈黙を守り、忘却を願う」
---
「はい」
私は答えていた。
なぜか、答えていた。
意味も分からないのに。
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祭儀が終わった後。
住民たちは普通に談笑していた。
まるで、何事もなかったかのように。
---
「高瀬さん、よく参加してくださいました」
町内会長が笑顔で声をかけてきた。
「これで、高瀬さんも町の一員です」
「……はい」
私は答えた。
---
【帰宅後】
家に戻ると——
家族写真の顔が、戻っていた。
白くぼやけていた部分が、
元通りになっている。
アルバムも、スマホの写真も、
すべて元通り。
---
「ママ、写真が直ってる!」
娘が喜んでいた。
夫も安堵した表情だった。
「よかった……参加して正解だったな」
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だが——
私の中に、奇妙な感覚が残っていた。
何か、大切なことを忘れている気がする。
いや——
忘れさせられている気がする。
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翌朝、目が覚めると、
昨夜の祭儀の記憶が曖昧だった。
何を唱えたのか。
神主が何を言ったのか。
思い出せない。
まるで——
記憶が、霧の中に沈んでいくように。
---
私は夫に聞いた。
「昨日の祭儀、何だったっけ?」
「さあ……町の安全を祈る儀式じゃなかったかな」
夫も、はっきり覚えていない様子だった。
「そうだっけ……」
「まあ、終わったからいいじゃないか」
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私は窓の外を見た。
白鷺町の、静かな朝。
穏やかで、何も変わらない風景。
だが——
何かが、変わった気がする。
私の中で。
---
その日の夕方。
隣の奥さんが訪ねてきた。
「高瀬さん、昨日はお疲れ様でした」
「ああ、はい……」
「これで、高瀬さんも安心ですね」
「安心?」
「ええ。この町の一員ですから」
奥さんは微笑んだ。
---
その笑顔が——
どこか、空虚に見えた。
---
夜、娘が寝た後。
私は一人、リビングで考えた。
祭儀で、私は何に同意したのか。
「記憶を分かち、罪を分かつ」
その意味は、何なのか。
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だが——
考えれば考えるほど、
記憶が曖昧になっていく。
まるで——
考えてはいけないことを、
考えているような。
---
私は、それ以上考えるのをやめた。
なぜなら——
考えないほうが、楽だから。
忘れたほうが、安全だから。
---
そうして——
私は、この町の一員になった。
何も知らないふりをする、
沈黙の共犯者に。
```
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## 【記録者補遺】
```
【記録者補遺】
祭儀とは何か。
それは「忘れるための儀式」だ。
全員で忘れれば、誰も覚えていない。
誰も覚えていなければ、起きなかったことになる。
高瀬さんは、これで町の一員になった。
彼女は「何を忘れるのか」を知らないまま、
忘却の誓いを立てた。
写真が消えたのは、儀式不参加への警告。
物理的な改竄。超常現象ではない。
写真が戻ったのは、参加の証。
彼女が、共犯者として認められた証。
高瀬さんは今、何かを忘れ始めている。
まだ知らないことを、忘れている。
それが、この町のシステムだ。
```
---
その夜、白鷺町の東側で、
一人の青年の遺体が発見された。
白月健太、28歳。
死因は転落死。
神社の裏山から落ちたとされた。
だが——
彼の姉、白月加奈は知っていた。
弟は「いくみのことを覚えている」と、
ずっと言い続けていたことを。
そして——
匿名掲示板に書き込んだのは、
弟だったことを。
加奈は透に会いに行く。
「なぜ、弟は死んだんですか」
透は答えられなかった。
なぜなら——
思い出し続けた者は、消されるから。
第七話:追悼式のない遺体
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