第5話 裁かれない告発
私の名は岡部晴彦、35歳。
『白鷺新報』の記者。
地方紙の記者など、都会の人間から見れば
取るに足らない仕事かもしれない。
だが、私にはプライドがある。
小さな町だからこそ、
真実を書く責任がある。
そう信じて、10年間この仕事を続けてきた。
---
2025年10月25日、午前10時。
編集部のデスクで、私は町の匿名掲示板をチェックしていた。
地方紙の記者にとって、
匿名掲示板は重要な情報源だ。
住民の本音が、そこにある。
---
その時、一つのスレッドが目に留まった。
タイトル:「白鷺町の秘密」
投稿時刻:午前3時22分。
本文:
「この町の人間は、誰かの罪を全員で共有している。
私は知っている。
あなたたちも知っているはずだ。
10年前、何があったのか。
なぜ、誰も語らないのか。
私は、告発する」
投稿者:匿名
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私はすぐにスクリーンショットを撮った。
こういう書き込みは、すぐに削除される。
案の定——
5分後、スレッドは消えていた。
管理者による削除。
理由は記載されていない。
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「10年前」。
その言葉に、私は引っかかった。
10年前、2015年。
確かに、この町で何かがあった。
私自身、当時から白鷺町に住んでいた。
新聞記者として、町の出来事を追っていた。
だが——
2015年の秋、妙な空気があった。
住民たちが、何かを隠しているような。
そして、町外から来た私に対する態度が、
微妙に変わった。
---
私は資料室へ向かった。
『白鷺新報』のバックナンバー。
2015年10月号を引っ張り出す。
文化祭の記事。
秋祭りの記事。
町議会の報告。
普通の、何でもない記事ばかり。
だが——
ページをめくっていて、気づいた。
10月21日から10月28日まで、
一週間分の記事が、やけに薄い。
内容がない。
まるで、何も起きなかった週のように。
---
私は当時の取材メモを探した。
記者は全員、日々の取材メモをファイルしている。
2015年10月のファイル。
10月20日まではある。
だが——
10月21日から10月28日の取材メモが、
ない。
破棄されたのか。
それとも、最初から書かれなかったのか。
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私は編集長の部屋を訪ねた。
編集長は60代の男性、白鷺町の出身だ。
「編集長、2015年10月の記事について聞きたいんですが」
編集長は資料を見ていた手を止めた。
「何が?」
「10月21日から一週間、記事が異常に少ないんです」
「……そうだったか」
「何かあったんですか?」
編集長は私を見た。
「岡部くん」
「はい」
「あまり、古いことを掘り返さない方がいい」
---
その言い方に、私は確信した。
何かある。
編集長は知っている。
「でも、もし何か事件があったなら——」
「事件など、なかった」
編集長の声が、低くなった。
「いいね。これは命令だ。
2015年のことは、調べるな」
私は何も答えられなかった。
編集長が、ここまではっきりと
取材を止めたことは、一度もなかった。
---
午後、私は図書館を訪ねた。
司書の白鷺透に会うためだ。
彼は町の記録に詳しい。
何か知っているかもしれない。
「透さん、少しお時間いいですか」
透は返却本を処理していた。
「はい、何でしょう」
「2015年10月のことで」
透の手が、一瞬止まった。
「……何が知りたいんですか」
「匿名掲示板に、『10年前の秘密』という書き込みがあったんです」
透は私を見た。
「それで?」
「何かご存知ですか?」
「いいえ」
即答だった。
「でも——」
「岡部さん」
透は言った。
「記者として言いますが、
匿名の書き込みを信じるのは危険です」
「しかし——」
「何も、ありませんでした。
2015年10月、この町には何も起きていません」
---
透の態度が、おかしかった。
普段は穏やかな彼が、
明らかに拒絶している。
私は図書館を出た。
そして——
取材を続けることにした。
記者の本能が、告げていた。
ここには、何かがある。
---
【聞き込み開始】
私は町の住民に、片っ端から話を聞いた。
「2015年10月、何か変わったことはありましたか?」
だが——
全員が、同じ反応だった。
「さあ、覚えていないな」
「特に何も」
「普通の秋だったよ」
誰も、何も覚えていない。
あるいは——
覚えているが、言わない。
---
面白いことに、
住民たちの「忘れ方」が、奇妙に均等だった。
誰も詳しく語らない。
だが、誰も完全に否定もしない。
まるで——
沈黙の配分が、決められているかのように。
---
ある老人は、こう言った。
「岡部さん、あんたは町外から来た人だ」
「ええ、大阪出身です」
「なら、この町のことに首を突っ込まない方がいい」
「なぜですか?」
「知らない方が、幸せなこともある」
老人はそれ以上、何も話さなかった。
---
【父との会話】
その夜、私は実家に帰った。
白鷺町に住んで10年。
結婚して、妻と子どもがいる。
父は町の商店を営んでいる。
この町で生まれ育った人間だ。
「父さん、聞きたいことがあるんだ」
夕食の後、私は切り出した。
「何だ?」
「2015年10月、この町で何があった?」
父の箸が、止まった。
「……なぜそんなことを聞く」
「仕事だ。記者として」
父は深くため息をついた。
「岡部」
父は私の名前を呼んだ。
普段は「晴彦」と呼ぶのに。
「お前は、記者である前に、
この町の一員だ」
「それは分かってる。でも——」
「なら、分かるだろう」
父は私を見た。
「この町には、触れてはいけないことがある」
---
私は父の目を見た。
彼も、知っている。
そして——
隠している側だ。
「父さんも、共犯者なのか」
私がそう言うと、父は何も答えなかった。
ただ、こう言った。
「お前の妻と子どものことを考えろ」
---
【妻との会話】
自宅に帰ると、妻が待っていた。
「お義父さんから電話があったわ」
「……何て?」
「『晴彦に、余計な詮索はさせるな』って」
妻は困惑した顔をしていた。
「あなた、何を調べてるの?」
私は答えられなかった。
妻は白鷺町の出身だ。
もしかしたら——
彼女も、知っているのかもしれない。
「10年前のこと、知ってるか?」
妻の表情が、変わった。
「……知らない」
「本当に?」
「知らないわ」
彼女は目を逸らした。
---
その瞬間、私は理解した。
妻も、父も、編集長も、透も——
全員が、何かを隠している。
そして——
その「何か」は、
町全体で共有されている秘密だ。
---
【決断の夜】
私は書斎にこもり、
これまでの取材メモを整理した。
分かっていることは少ない。
だが——
確実なのは、
2015年10月、この町で何かが起きた。
そして、それは記録から消されている。
匿名掲示板の書き込みは、
おそらく内部告発だ。
誰かが、真実を暴こうとしている。
---
私は記事を書くべきか、迷った。
証拠は、ない。
証言も、ない。
だが——
記者としての本能が、告げていた。
ここには、真実がある。
---
だが。
もし記事を書いたら——
父は、どうなる。
妻は、どうなる。
私の家族は、この町で生きていけるのか。
---
私はパソコンの前に座った。
そして——
書き始めた。
タイトル:「白鷺町の消された記録」
本文:
「2015年10月、この町で何かが起きた。
しかし、その記録は存在しない。
新聞記事は、空白だ。
住民は、沈黙している。
これは、偶然か。
それとも——
意図的な隠蔽か」
---
私は5時間かけて、記事を書き上げた。
証拠はない。
だが、状況証拠を積み重ねた。
そして——
最後の一文を書こうとした瞬間。
ドアが開いた。
---
妻が立っていた。
「あなた」
「……何だ」
「お願い」
妻の目に、涙が浮かんでいた。
「その記事、書かないで」
---
私は妻を見た。
「なぜだ」
「お願い。私たちのために」
「真実を書くのが、記者の仕事だ」
「真実よりも、大切なものがあるでしょう」
妻は私の手を握った。
「あなたは、この町の一員なのよ」
---
私は、パソコンの画面を見た。
記事。
5時間かけて書いた記事。
そして——
削除ボタンを、押した。
---
【翌朝】
2025年10月26日。
私は編集部に出勤した。
編集長が、私を呼んだ。
「岡部くん」
「はい」
「昨日の件、もう調べていないだろうな」
「……はい」
「そうか」
編集長は安堵した表情を見せた。
「君は賢い。それでいい」
---
私は自分のデスクに座った。
そして——
ふと、気づいた。
自分も、沈黙する側に回ったのだと。
---
記者として、私は死んだ。
真実を追わない記者など、
記者ではない。
だが——
家族を守るため、
私は沈黙を選んだ。
---
それから数日後。
匿名掲示板に、再び書き込みが現れた。
タイトル:「誰も書かない」
本文:
「記者も、書かない。
警察も、動かない。
住民も、語らない。
この町は、全員が共犯者だ」
投稿者:匿名
---
私はその書き込みを見て、
何も感じなかった。
いや——
感じないふりをした。
なぜなら——
私も今、共犯者だから。
```
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## 【記録者補遺】
```
【記録者補遺】
「罪を分け合えば、罪ではなくなる」
誰がそう言ったのか、もう覚えていない。
だが私は今、一人で罪を数えている。
分け合った罪は、決して消えない。
むしろ、増える。
岡部さんは、記事を書かなかった。
彼は家族を選んだ。
それは正しい選択だったのか。
それとも——
彼もまた、罪を分配されたのか。
沈黙は、罪だ。
しかし、語ることも、罪になる。
この町では——
何をしても、罪から逃れられない。
```
---
その夜、白鷺町の町内会から、
一通の回覧板が回ってきた。
件名:「秋の祭儀のご案内」
本文:
「11月3日、町の祭儀を執り行います。
全世帯、必ずご参加ください」
祭儀の内容は、書かれていない。
だが——
町外から引っ越してきた家族、
高瀬家の主婦・由香は、
この回覧板に違和感を覚えた。
「何を祈る儀式なんですか?」
彼女が町内会長に尋ねても、
誰も答えてくれなかった。
そして——
祭儀を拒否した翌日、
高瀬家で奇妙な現象が起きる。
家中の家族写真から、
全員の顔が消えていた。
第六話:祈りの代行人
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