第19話
「ええ、お父様。いつもありがとうございます。……はい、すぐに」
雪菜(ユキ)は、通話を切ると、俺に向かって悪戯っぽく微笑んだ。 「お父様から、学園サーバーへの『お掃除』許可、もらったよ」
教室の空気は、最悪だった。 クラスメイトたちは、あの掲示板の書き込みを真に受け、俺を「権力に屈した可哀想な男」、雪菜を「権力で恋人を奪った悪女」として、遠巻きにヒソヒソと噂している。
(違う、そうじゃないんだ……!)
俺が唇を噛み締めていると、雪菜は動じないまま、カバンから薄型のノートパソコンを取り出した。
「ヒロくん、ちょっと待ってて。今から『大掃除』するから」
「え? パソコンで……何を?」
雪菜は、俺の問いには答えず、ありえない速度でキーボードを叩き始めた。 カタカタカタッ、と教室に響くタイピング音。 その姿は、勉強やスポーツをしている時とはまた違う、冷徹な「プロ」の顔をしていた。
「……ふぅん。発信元のIPアドレスは学園のWi-Fiを使ってるけど、匿名化が甘いな」 「端末固有ID(MACアドレス)を逆探知して……あ、見つけた」
雪菜が、エンターキーを強く叩いた、その瞬間。
ブツン。
教室の前面にある、授業用の大型モニターが、勝手に起動した。
「「「!?」」」
クラスメイトたちが、一斉にモニターを見上げる。 そこに映し出されたのは、あの『学園裏掲示板』のスレッドだった。
『【悲報】西園寺雪菜様、幼馴染の権力で地味男(ヒロ)を元カノから略奪』
「なんだ?」「誰が映したんだ?」 教室がざわつく。 ユイが、教室の隅で、ビクッと肩を震わせるのが見えた。
次の瞬間、モニターの画面が切り替わり、その掲示板の「投稿者情報」が、赤裸々に表示された。
【投稿日時:昨夜 23:15:02】 【使用端末:iPhone 1X】 【端末固有識別名:Yui_Aisuruhito_Love(・・・・・)】
「「「…………え?」」」
教室が、静まり返った。 『Yui』『Aisuruhito(愛する人?)』 あまりにも、ダサくて分かりやすい端末名。
クラス全員の視線が、ゆっくりと、教室の隅にいる一人の女子生徒に向けられた。
ガタガタガタ……!
ユイだった。 彼女は、自分のスマホを机から落としそうになりながら、顔面蒼白になって震えていた。 「う、うそ……なんで、そんな……」
そこへ、雪菜が、教卓のマイクのスイッチを入れた。
「皆様、お騒がせして申し訳ございません」
雪菜の、冷静で、透き通った声が、教室のスピーカーから響き渡る。
「ご覧の通り、一連の悪質なデマ情報の投稿者は、元カノであるYさん――(ユイのフルネーム)――ご本人です」
「ひっ……!」 ユイが、小さく悲鳴を上げた。
雪菜は、容赦しない。 パソコンを操作し、モニターの表示をさらに切り替えた。 映し出されたのは、俺のスマホから(いつの間にか)抜き出され、復元された、ユイからのLINEのトーク履歴だった。
『私、先輩と別れたの』 『もう一度だけ、やり直せないかな……?』
「『ラブラブだったのに別れさせられた』? 事実は逆です」 雪菜の声が、ユイを断罪する。 「彼女がヒロくんを一方的に捨て、バスケ部の先輩に乗り換えた。しかし、その先輩にも捨てられ、慌ててヒロくんに復縁を迫った」
モニターが、下駄箱でのやり取りを(どこから録音していたのか)音声ファイルとして再生し始めた。 『お願い! 今のヒロくんなら(・・・・・)……大事にするから!』
「……そして、ヒロくん本人に拒絶されたため、腹いせにこのようなデマを流した。以上が、事の真相です」
「「「…………」」」
動かぬ証拠のオンパレード。 クラスメイトたちの視線は、もはや「軽蔑」と「嘲笑」に変わっていた。
「うわぁ……」「最低じゃん」 「『今のヒロくんなら』って、露骨すぎだろ」 「怖っ……自作自演かよ」
「あ……あ……」 ユイは、その視線の十字砲火に耐えきれず、ついに顔を覆って机に突っ伏し、泣き崩れた。
雪菜は、ふぅ、と小さく息を吐くと、マイクのスイッチを切った。 モニターも、元の黒い画面に戻る。
「これで雑音は消えたかな?」 雪菜は、いつもの優しい笑顔で、俺に振り向いた。
「ゆ、ユキ……ありがとう……」 俺が、なんとかそれだけ言うと、雪菜は嬉しそうに頷いた。
クラスメイトたちも、 「西園寺さん、すげえ……」「カッコよすぎだろ」 「相葉、とんだ災難だったな」 と、完全に手のひらを返していた。
鮮やかな逆転劇。 俺は、雪菜への感謝で胸がいっぱいになった。
だが、同時に――心の奥底で、小さな棘(とげ)が刺さったのを、感じていた。
(……俺、またユキに守られた)
元カノを振るのも、悪評を火消しするのも、全部、全部、雪菜がやってくれた。 俺は、ただ彼女の隣で、震えているだけだった。
(俺は、こいつの『ヒーロー』なんかじゃない……) (このままじゃダメだ)
俺は、雪菜の笑顔を見ながら、強く、強く拳を握りしめた。 俺も、雪菜を守れる男に、ならなければ。
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