第18話

翌朝。 昨日の下駄箱での一件は、すでに学園中の噂になっていた。 『元カノ、西園寺さんに完膚なきまでに論破される』 『相葉(ヒロ)、元カノを完全スルーで西園寺さんと帰宅』


もはやユイに同情する声はなく、俺と雪菜(ユキ)の関係を邪魔しようとする者は、誰もいなくなった……はずだった。


「おはよう、ヒロくん」 「おはよう、ユキ」


いつも通り、校門で待ち合わせて一緒に登校する。 だが、校舎に入った瞬間、昨日までとは明らかに違う「空気」を感じ取った。


(……なんだ?)


視線が痛い。 昨日までの「お似合いだな」「ラブラブかよ」といった好意的なものではない。 もっと粘着質で、悪意に満ちた、好奇の視線。


「おい、あれ……」 「マジかよ、西園寺さんもあんなことすんだな……」 「ヒロって奴、西園寺家に脅されてるってマジ?」


すれ違う生徒たちの、そんなヒソヒソ声が耳に届く。


「(脅されてる? 俺が?)」


意味が分からない。 隣の雪菜も、わずかに眉をひそめている。


教室に入ると、その異様な空気は頂点に達した。 クラスメイトたちが、遠巻きに俺たちを見ながら、スマホの画面をタップしている。 誰も、俺たちと目を合わせようとしない。


「……おい、相葉」


俺が席に着くと、クラスで比較的仲の良かった男子が、おずおずと話しかけてきた。 「これ、見たか……?」


彼が差し出してきたスマホの画面。 そこには、『学園裏掲示板』という、趣味の悪い紫色のバナーが表示されていた。


そして、スレッド一覧のトップに、悪意に満ちたタイトルが固定されていた。


『【悲報】西園寺雪菜様、幼馴染の権力で地味男(ヒロ)を元カノから略奪』


「なっ……!?」 俺は、思わず声を上げた。


「これ、昨日の夜から一気に拡散されて……」


俺は、震える指でそのスレッドを開く。 そこには、匿名(どうせユイだろうが)の書き込みが、長文で綴られていた。


『みんな騙されてる! 西園寺雪菜は、昔の幼馴染っていう立場を利用して、相葉ヒロを元カノ(Yさん)から無理やり奪った!』


『Yさんはヒロとラブラブだったのに、西園寺さんが家の権力(西園寺コンツェルン)をチラつかせて別れさせた』


『ヒロは、西園寺家に逆らうのが怖くて、無理やり付き合わされてるだけ。あのお高い服も、成績アップも、全部西園寺家の圧力』


『昨日もYさんが勇気を出してヒロを取り戻そうとしたら、西園寺さんに完膚なきまでに罵倒されてた。Yさんが可哀想すぎる……』


「な……なんだよ、これ……」


デタラメだ。 俺がユイを捨てたことになってるし、雪菜が権力で俺を縛り付けてる悪女みたいになってる。


「……俺のせいで」


俺が、あの日ユイにハッキリ言わなかったから。 俺が、優柔不断だったせいで、雪菜がこんな酷い言われようを……。


俺は、怒りと罪悪感で、体が震えるのを止められなかった。 隣の雪菜に、何と言って謝れば……。


「……ふぅん」


隣から、静かな、冷たい息遣いが聞こえた。


ハッと横を見ると、雪菜が、俺のスマホと同じ画面を、自分のスマホで冷静に見つめていた。 その表情は、怒りでも悲しみでもない。 昨日、ユイを論破した時と同じ――絶対零度の無表情だった。


俺が青ざめているのとは対照的に、雪菜は落ち着き払っていた。


「……大丈夫だよ、ヒロくん」


雪菜は、俺に向き直ると、ふわりと微笑んだ。 その笑顔は、いつも通り優しい。


「ヒロくんが気にする必要なんて、何もない」


「で、でも、ユキが……!」


「こういう『雑音』はね」 雪菜は、自分のスマホの画面をトントン、と指で叩く。


「慣れてる(・・・)から」


その目は、笑っていなかった。 彼女は、そのままスマホを操作し、どこかへ電話をかけ始めた。


「もしもし、お父様? ……ええ、雪菜です。少し、厄介な『虫』が湧きまして」 「学園のサーバーに、ちょっとだけ(・・・・・・)アクセスさせて頂いても?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る