第20話

あの一件(ユイの自爆)から数時間。 放課後の帰り道、俺と雪菜(ユキ)は二人並んで、夕焼けに染まる道を歩いていた。


クラスでのユイは、もう「いない者」として扱われていた。 誰も彼女に話しかけないし、彼女も誰とも目を合わさず、授業が終わると逃げるように帰っていった。 自業自得とはいえ、後味の悪い一日だった。


「…………」


俺は、隣を歩く雪菜の横顔を盗み見る。 彼女は、いつもと変わらない穏やかな表情で、鼻歌でも歌いそうなくらい機嫌が良さそうだ。 「大掃除」が成功したからだろう。


だが、俺の心は重かった。 今日一日、俺は結局、何もしていなかった。 雪菜が悪女として噂されている時、俺はただ青ざめていた。 彼女が鮮やかにハッキング(?)で逆転している時、俺はただ見ていることしかできなかった。


『ヒロくんは、私のヒーローなの』


その言葉が、胸に突き刺さる。 ヒーローが、守られてどうするんだ。


「……ヒロくん?」


俺が黙り込んでいるのに気づいたのか、雪菜が不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。 「どうしたの? まだ、あの掲示板のこと気にしてる?」


「……いや」


俺は、立ち止まった。 雪菜も、つられて足を止める。 場所は、駅前の広場を抜けた、小さな公園の前。 夕日が、俺たちの影を長く伸ばしている。


「ユキ」 「ん?」


「……ありがとうな。今日も、俺……ユキに、守ってもらってばっかりだ」


俺がそう言うと、雪菜はきょとんとした顔をした。 「何言ってるの? 私がやりたくてやっただけだよ?」


「分かってる。でも……ダメなんだ、このままじゃ」 俺は、強く拳を握りしめた。


「ユキは、俺のこと『ヒーロー』だって言ってくれたけど、今の俺は全然そんなんじゃない」 「ユキに服を選んでもらって、勉強を教えてもらって、元カノとのゴタゴタまで解決してもらってる」


「……ヒロくん?」


「俺、情けないよ。ユキに釣り合ってる男とは、全然思えない」


俺の言葉に、雪菜の顔が、わずかに曇った。 「そんなこと……私、思ってないよ……」


「俺が思ってるんだ!」 俺は、思わず声を張っていた。 「だから、決めたんだ」


俺は、目の前の、完璧で、強くて、そして俺なんかのために必死になってくれる少女を、まっすぐに見つめた。


「俺、頑張るから」 「勉強も、運動も……もっと、もっと頑張る」 「いつか、ユキが本当に困った時、今度は俺が、ユキを守れるような男になる」


「ユキが自慢できるような、『ヒーロー』に、俺がなるんだ」


だから――。


俺は、震える息を吸い込み、人生で一番の勇気を振り絞った。


「返事、ずっと待たせて、ごめん」


「俺も、ユキが好きだ」


「俺と……付き合ってください」


「…………え」


雪菜の、完璧な表情が、フリーズした。 彼女は、大きな瞳をこれでもかと見開いて、俺を凝視している。 まるで、世界で一番信じられない言葉を聞いた、という顔で。


「……ヒロ、くん……?」


「俺じゃ、まだ、不満かもしれないけど……」


「……バカ」


雪菜の声が、震えていた。 その完璧な瞳から、ポロリ、と大粒の涙がこぼれ落ちた。


「え、あ、ちょ、ユキ!?」


「バカ……バカバカバカ! ヒロくんの、バカ!」 雪菜は、泣きながら俺の胸をポカポカと叩く。


「ヒロくんは、そんなこと(・・・・・)言わなくたって、最初から、ずっと……」 「私の、たった一人のヒーローだったのに……っ!」


「ユキ……」


「……うん」


雪菜は、涙で濡れた顔を上げると、今まで見たことがないくらい、ぐしゃぐしゃに泣きながら、 最高に、幸せそうに、笑った。


「うんっ……!」


次の瞬間、雪菜は、俺の胸に、勢いよく飛び込んできた。


「よろしく、お願い、しますっ……! ヒロくん!」


柔らかい感触と、シャンプーのいい匂い、そして彼女の涙の温かさが、俺の胸をいっぱいにした。


俺は、腕の中で泣きじゃくる「最強の美少女」の体を、 今度は俺が守るんだと誓いながら、 強く、強く、抱きしめ返した。

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