五十嵐探偵事務所にお任せ!【短編小説】

Unknown

五十嵐探偵事務所にお任せ! 本編【約19900文字】

 ※前回書いた小説が病んでいて重い内容だったので、今回はシリアス要素ZEROの明るいライトな健全ほのぼのコメディー小説です。日曜日で暇な方は、ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。


 

 ◆



 俺の名前は五十嵐。下の名前はりょう。29歳独身。職業は探偵だ。

 昔から「シャーロック・ホームズ」という探偵モノの洋画に憧れがあった俺は、25歳の時に一念発起し小さな探偵事務所を立ち上げた。それから4年の月日が流れた。最初こそ超弱小事務所だったが、4年の歳月を掛けて実績を積み重ね、探偵として一定の成果を上げることに一応成功した。

 今では群馬県高崎駅前のボロい雑居ビルの2階の一角に俺の探偵事務所がある。俺の月収は、着手金・経費・成功報酬などの依頼報酬による完全歩合制なので月収5万の時もあれば月収35万の時もある。依頼の多さがそのまま給料に直結する仕事だ。

 従業員は現在2人いる。2人とも真面目に働いてくれる優秀な同僚だ。

 ──ちなみに雑居ビルの2階は事務所だが、1階には小さめのメイドカフェがある。なにが「萌え萌えきゅん♡」だ。俺は依頼者の願いを叶える事にしか興味が無いんだよ。煩悩にまみれ、可愛いメイドに心を奪われているようでは、過酷な探偵業など、とてもじゃないが務まらない。探偵を舐めるな。俺は可愛い女の子になんか1ミリも興味無い。メイドカフェに行ってる暇なんか無い。何故なら今この瞬間も、事件は起きてるんだよ! 現場でな!!


「──ねぇ涼く~ん、どうしたの~?♡ 目がトロンとしてるよ~♡ 耳も真っ赤だよ~♡ こうやって耳元で甘い声で囁かれるの好きなの~?♡ 超かわいい~♡」


 超かわいいメイドの声が、俺を現実世界へと引き戻した。ここは雑居ビル1階のメイドカフェだ。ここは夢のような空間だ。俺は週7でこのメイドカフェに通う常連客である。昼の11時に事務所に行く前は必ずこのメイドカフェを訪れている。正直、依頼なんてどうでもいい。適当にこなせばいい。探偵の仕事は面倒だ。俺は煩悩まみれの糞うんこだ。


「デュフフフフフフ。みゆちゃんが可愛すぎて、頭がぼーっとしちゃったンゴねぇ……」

「ありがと~♡ 大好き♡ 毎日来てくれてありがと♡ いつも私のこと指名してくれてありがとね♡ ところで時間は大丈夫?♡ そろそろ探偵のお仕事の時間じゃない?♡」


 そう言われて、俺はスマホを黒いジャケットのポケットから取り出した。時刻は11時58分。11時から俺の探偵事務所はオープンしている。俺は可愛いメイドに癒されているうちに、己の仕事を忘れるほどに時間感覚を失っていた。出勤時間を1時間近く超過してしまった……!


「あっ、やべえ! 大遅刻だ! もう事務所に行かないと!」

「また従業員さんに怒られちゃうね♡ ば~か♡」

「デュフフフフフ。もっと罵ってクレメンス」

「馬鹿!♡ ほんとに早く事務所行けよ!♡ 社会人としての自覚ないの!?♡」

「よし! 気合が入ったぜ! 行ってくる!」

「行ってらっしゃいませ♡ ご主人様♡」


 俺は光速でお会計を済ませて、走って階段を上り、雑居ビル2階の1番奥の「五十嵐探偵事務所」という小さな青い看板が置かれている部屋のドアを開けた。


「みんな! すまねえ! 俺はまたメイドカフェに夢中になって遅刻しちまった!」


 俺は、12畳ほどの広さがある事務所を開けた瞬間、光の速さで頭を下げて謝罪した。

 5秒ほど頭を下げ、顔を上げると、俺の探偵事務所の従業員2人はそれぞれPCの置いてあるグレーのデスクの前のオフィスチェアに座り、とても暇そうにスマホを弄っていた。

 

「五十嵐さんがメイドカフェに行って遅刻するのは毎日のことですから、今更なんとも思いませんよ」


 そう言ったのは俺の2つ年下の27歳の男性従業員、内田くんだった。内田くんはメガネをかけている。それ以外の特徴は特にない。内田くんは俺と同じようにオタク趣味がある。勤務態度は至って真面目である。この間、「彼女の作り方を教えてクレメンス」と頼んだのだが、内田くんは彼女ができた事が無くて27歳になった今も童貞らしい。29歳の俺も童貞である為、この探偵事務所は終わっている。


「メイドカフェ好きですねえ。てか最近、依頼が来なくて暇ですね……」


 そう言ったのは俺の3つ年下の26歳の女性従業員、坂本さんだ。坂本さんも、メガネをかけていて、それ以外の特徴は特にない。よく事務所のポットでお湯を沸かしてホットココアを飲んでいる。坂本さんの影響で俺も内田くんも事務所で頻繁にホットココアを飲む。坂本さんも勤務態度は至って真面目である。

 2人とも真面目だ。

 ……そう考えると、この五十嵐探偵事務所で最も勤務態度が悪いのは、この五十嵐探偵事務所を立ち上げた俺本人である……。しっかり者の内田くん・坂本さんがいなかったら、とっくに我が事務所は壊滅・崩壊していただろう。2人には感謝してもしきれない。

 ちなみに俺もメガネをかけている。

 内田・坂本・五十嵐のトリプルメガネ探偵トリオだ。

 俺はタイムカードを押して自分のデスクに向かい、真っ黒の安物の肩掛けバッグをデスクに置いて、椅子に座り、暇潰しにプロ野球のスマホゲームを遊び始めた。プロスピAというソシャゲだ。野球好きの俺にとっては楽しい。暇潰しに最適である。


「最近、依頼が来なくてめっちゃ暇だな……。平和そのものだ」

 と、スマホを弄りながら言う俺。


「そうですねぇ。私、探偵ってもっと忙しい仕事を想像してました」

 と、スマホを弄りながら言う坂本さん。


「依頼が来たとしても、ペットの捜索か浮気調査が大半ですしねぇ」

 と、スマホを弄りながら言う内田くん。


 みんな暇だ。

 ここ最近、あまり依頼が舞い込んでこない事に頭を悩ませている。探偵という仕事柄、まず依頼者がいなければ何も始まらないし、1円も稼げない。

 実はこの事務所の家賃も、なんとかギリギリ“払えていない”。2人には内緒だが、事務所の家賃を3か月も滞納している。俺がメイドカフェに毎日行くのを辞めれば余裕で事務所の家賃は払えるのだが、メイドカフェに行くことは俺の数少ない生きがいであり、やめられない。

 なので依頼が来ないと非常にヤバい状況なのだ……。

 ちなみに「五十嵐探偵事務所」のXやインスタグラムやTikTokといったSNS運用は1番若い女性従業員である坂本さんに一任している。彼女は広報としての才能がある。1回、脱走したペットの猫を見つけて依頼者に無事に送り届けたショート動画がXとTikTokでバズって、依頼者が激増したことがあるのだ。坂本さんは今時の女子らしくSNSが大好きで更に動画を編集する技術まで持っていた。五十嵐探偵事務所はペット探しに力を入れているというアピールが大々的に出来た。

 彼女のお陰で1度猫動画がバズって依頼者が増えた。だがそれ以降、客足は右肩下がりで減少傾向にある。

 このままでは、事務所の家賃を滞納し続けて、3人とも事務所から追い出される運命にある……。


「……クソ、一体どうしたらいいんだ……」


 絶望した俺は力なく呟いた。

 

「私がもっとSNSの更新頻度を増やしましょうか? 私の家の猫の動画とか載せたらちょっとバズるかも」

「ああ、頼む。今はガチで猫の手も借りたい危機的状況だ。ちなみに、坂本さんの家の猫の名前はなんて言うんだ?」

「メインクーンだから、めいちゃんです」

「めいちゃんか。可愛い名前だな。ちなみに、うちの実家の猫は白キジトラだ。名前は、まる」

「オスですか? メスですか?」

「オスだよ」

「まるくん。かわいい響きですね!」

「めいちゃんもかわいい響きだ。めいちゃんはメス?」

「はい。メスですよ」

「メインクーンって体がでかくて毛がふわふわで、超かわいいよな」

「はい。でも換毛期は抜け毛の量がすごいんですよ~。羊みたいに毛が取れて面白いですよ」

「へえ~、たしかにメインクーンは換毛期は凄いことになりそうだなあ。しかも大型猫だしなぁ」

「はい。ただでさえ沢山の毛が抜けるのに、大型猫だから体積が広くて、ほんとにめっちゃ毛が抜けます。編み物とかに使えそうな程」

「なるへそ」


 俺と坂本さんが猫について話していたら、急に事務所の電話が鳴った。

 女性が電話対応をした方が柔らかい雰囲気が出て印象が良いかもしれないという理由から、電話に出るのはいつも坂本さんの役割だ。

 坂本さんはスマホを弄る手を止めて真面目な顔になり、電話を取った。


「はい。五十嵐探偵事務所です。……はい。はい、ご依頼ですか? ええ、はい。わかりました。ちなみに行方が分からなくなってしまった猫ちゃんの大まかな特徴を教えていただいてもよろしいでしょうか? 茶トラ柄の猫ちゃんですね。ええ、はい、そうですね。詳しいお話や正式な契約手続きの方は事務所で直接行う形になります。また、契約の際はサインと印鑑が必要になりますので、印鑑の方を持ってきていただけますか。はい。そうですね。あと、いつも猫ちゃんに与えているご飯や大好きなおやつをご持参していただけますでしょうか。ええ、はい。あとは、使用済みの猫砂を猫ちゃんの捜索に使うので、ご持参していただけますとありがたいです。はい。よろしくお願いします。事務所の場所は、高崎駅の東口から徒歩●分の場所にある●●●●─●●という住所の雑居ビルの2階になります。はい、お待ちしてます。失礼いたします」


 電話が終わって、坂本さんは笑顔でこう言った。


「五十嵐さん、内田さん、依頼が久々に来ました。家から脱走したペットの猫の捜索の依頼です!」

「よーし、ついに仕事が入ったな。待ちくたびれたぜ。今日は3人で協力して猫探しだ。気合い入れるぞ」


 俺はそう言って、黒いジャケットのポケットからラッキーストライクというタバコとライターを取り出し、喫煙し始めた。ちなみにこの部屋は禁煙だと契約時に不動産会社から言われたが俺は無視している。どうせ事務所の家賃を滞納しすぎて追い出される運命なのだ。だったらもう契約なんて、あって無いようなものである。

 ちなみに、どうでもいいかもしれんが、今の俺の服装は黒いジャケットと紺のジーンズだ。

 俺がドヤ顔で喫煙していると、内田くんが俺にいきなりこう訊ねてきた。


「五十嵐さ~ん、依頼者が来るまで1階のメイドカフェで時間潰しません?」

「おい、何ふざけたこと言ってんだよ。いつ依頼者がここに来るか分からないだろ。第一、内田くんは探偵という仕事を舐めすぎだ。社会人としての自覚は無いのか!? ……って俺が言うとでも思ったか!? 今からメイドカフェに一緒に行くぞ!」

「そうこなくっちゃ! 行きましょう!」


 その様子を見ていた坂本さんは、分かりやすく呆れた。


「はぁ……。2人ともメイドカフェ大好きですね。そんなに楽しい場所なんですか?」

「楽しいぞ。童貞にとっては夢のような空間だ。特にみゆちゃんって子が可愛い」と俺。

「ユートピアですよ。ちなみに俺も童貞です。ゆいちゃんが可愛い」と内田くん。


 すると、坂本さんはスマホを弄りながらこう言った。


「え、2人とも童貞なんですか? じゃあさっさと彼女でも作って、彼女さんにメイドのコスプレでもさせればいいじゃないですか」

「それができたらそもそもメイドカフェなんて行ってねえんだよなあ。あと俺は、プロの接客じゃないと満足できない体になってしまった」と俺。

「メイドカフェは五十嵐さんとか俺みたいなキモい客ばかりで落ち着きます」と内田くん。

「五十嵐さんとか内田さんみたいなキモい客を捌かないといけなくて、メイドカフェのキャストさんも大変なお仕事ですね。私、探偵で良かった。この職場、人間関係が緩くて、めっちゃ楽だし」

「しかも仕事があまり来ないからな。こんなに楽な職場は無いぜ」

「私、今でも実家暮らしなので、あまりお金稼ぐ必要が無いんです。最近マッチングアプリを始めました。良い男性がいたら結婚して専業主婦になるのが夢です」

「俺は1人暮らしです。あと俺も良い女性を見つけて専業主夫になるのが夢です。最近Xでオタク趣味がある女の人を片っ端からフォローしまくってます」

「おい内田くん、女の子を片っ端からフォローしてたら女の子からの印象良くないんじゃないのか? てか坂本さんだけ実家暮らしなのか。1人暮らしは快適だぞ」

「うーん……1人暮らし、したい気持ちはあるんですけどねぇ……」

「ちなみに俺も良い女性を見つけて専業主夫になるのが夢だ。俺も彼女を探してる。3人揃って専業主夫(主婦)になる夢を叶えようぜ」

「もし3人揃って寿退社したら、この探偵事務所どうするんですか?」と坂本さん。

「廃業するに決まってんだろ。俺は探偵としての誇りや矜持は全く無い」

「え~。廃業はちょっと寂しいですよ。やっぱり私、結婚して主婦になっても、この探偵事務所で働きたいです」

「良い志だ。どうせ俺も彼女なんて出来ないから、のらりくらりと五十嵐探偵事務所を続けるんだろうな。それはそれで有りだ」

「あ、五十嵐さんと坂本さんの2人が続けるなら俺も続けますよ。探偵」


 3人でそんなやり取りをしていたら、やがて事務所のドアが「コンコン」とノックされた。

 

「あ、依頼者の方ですかね」


 坂本さんが真面目な顔でそう言った。


 ◆


 木製の長方形のテーブルを、黒くて大きな2つのソファで挟む形で、俺達は依頼者と対面していた。坂本さんはポットからお湯を注ぎ、ホットココアを依頼者のそばに置いた。テーブルの真ん中には茶菓子が入った木の器を置いている。

 こちら側のソファには左から坂本さん・俺・内田くんの順で座り、向かいのソファに依頼者の方が1人で座っている。


「脱走したペットの猫を捜索してほしい」という依頼だ。いなくなったのは、茶トラ柄の猫。性別はオスだそうだ。名前は「りんたろう」君だそうだ。


 依頼者は高崎市の●●町の戸建て住みの30代の女性のYさんという方。普段はご両親と3人暮らしだそうだが、現在依頼者Yさんのご両親はスウェーデンに2人で長期間旅行しており、しばらくYさんの1人暮らしの状態が続いているらしい。話を聞くと、昨日の夜、仕事で長時間家を空けていたYさんが玄関の扉を開けた瞬間に、猫(りんたろう君)が外へ飛び出してしまい、そこから行方は分からなくなったそうだ。そこでペットの捜索には定評のある我が五十嵐探偵事務所が選ばれたわけである。

 Yさんは、普段りんたろう君が食べているご飯やおやつ、そして大きなビニール袋の中に大量の使用済み猫砂を持参して、俺達に手渡した。


「あの~。ご飯やおやつは分かるのですが、使用済みの猫砂は、一体どんな感じで猫の捜索に役立つんでしょうか?」


 Yさんの疑問に対して、俺がこう答えた。


「猫ちゃんにとって、自分の排泄物の匂いはとても安心できる香りです。使用していたトイレの猫砂を家の周囲に撒いておくと、戻ってきやすくなります」

「そうなんですね!」

「はい」


 直後、内田くんは立ち上がり、部屋の棚から数々の猫捜索グッズを持って、テーブルの上に並べた。

 そして内田くんは言った。

 

「Yさんから見て1番左から、側溝などを覗くファイバースコープ、動体検知カメラ、捕獲器、ルーペ、双眼鏡、マタタビ、猫ちゃんを安全に輸送するための洗濯ネット、キャリーバッグです。あとは軍手と懐中電灯ですね」

「へぇ~、本当に捜索が本格的ですね」

「実はうちは、ペットの捜索の依頼が1番多いんですよ」

「なるほど~。ペットの捜索に特化してるんですね」


 やがてYさんは神妙な顔でこう言った。


「普段は両親のどちらかが常に自宅にいるので、りんたろうは寂しい時間が無かったはずなんです。でも今は両親がスウェーデンに旅行中なので、私が出勤していると、りんたろうが家に1人ぼっちになってしまう時間がどうしても増えてしまって、寂しさやストレスを感じていたんだと思います。それが原因で、普段とは全然違う行動を取っちゃったのかなぁって……」


 話によると、依頼者Yさんは、今日は仕事を半日休んで猫の捜索に当たっていたそうだ。だが見つからないらしい。大切な家族の行方が分からないのは一大事だ。我々で何とかしなければならない。

 俺は真面目に言った。


「脱走して3日以内ならば、遠くまで逃げている可能性は低いです。また、家の中で飼っている猫の習性として、自宅からあまり離れた場所には行かないという特徴が見られます。これはほとんど全ての家猫に言えます。実は猫にも帰巣本能があるんです。今まで私たちが猫の捜索に当たった際、自宅から大きく離れた場所で発見された猫は1匹もいませんでした。Yさんのご自宅の周辺には何がありますか?」

「古い木造住宅が沢山あります。猫が隠れてしまいそうな空き家も沢山あります。もしかしたら、そういう古い家の軒下に隠れてるのかなぁって思います」

「なるほど。その可能性は高いと思います。心配なのは、りんたろう君が野良猫のテリトリーに入ってしまった場合です。ケガをしたり感染病にかかってしまうリスクがあります。迅速に捜索に当たるべきですね」

「ぜひ、お願いします」


 その後、依頼の着手金と成功報酬の金額を提示した。具体的な生々しい金額は伏せるが、「ペットの捜索の場合いくら掛かりますよ」という記載は五十嵐探偵事務所のホームページに載っている。

(ちなみにうちのホームページはPCに詳しい内田くんが改良してくれた。なんと阿部寛のホームページ並みに爆速で開くことができる……! これでスマホが通信制限になった人でも、五十嵐探偵事務所に繋がれる)

 あと、経費は総計いくらになるか分からないので、猫の捜索が終わった後に金額を提示する形になる。という事も伝えた。

 契約書にサインと印鑑を頂いて、契約は成立した。

 

「りんたろう君の写真をいくつか見せていただくことってできますか?」


 と坂本さんが言った。

 依頼者Yさんはスマホの待ち受け画面を俺たち3人に見せた。俺たちは前のめりになり、スマホの画面を凝視した。顔の特徴、体の模様や体型をインプットする必要がある。

 俺と坂本さんと内田くんは、みんな自分たちのスマホでりんたろう君の写真を撮った。

 その後、Yさんは何枚もりんたろう君の写真を見せてくれた。

 全ての写真をみんなで撮った。

 

「私、本当はりんたろうを1日中探したいんですけど、午後にどうしても外せない大事な会議があるんです……。だからみなさんにお願いします。どうかうちの猫を、りんたろうを見つけ出してください!」


 俺は真剣なYさんの眼差しを見て、消えかけていた探偵としての誇りとプライドが燃えてきた。「困っている人を助けたい」という俺の根源的な願いを思い出した。

 もう、ふざけている場合じゃない。

 ここからガチで猫の捜索に当たる。

 

「りんたろうくんを、必ず見つけ出すと約束します!」


 俺はYさんの目を真っすぐ見て、力強く宣言した。Yさんは頷いた。その目からは俺達への信頼が感じ取れた。

 俺はYさんに訊ねた。


「最後に確認しておきたい事があるんですが、りんたろうくんの生い立ちを聞かせてください。りんたろうくんは生まれた時からYさんの自宅の中で育ちましたか? それとも、野良生活の経験がある保護猫だったりしますか?」

「りんたろうは、生まれた時から家の中で育ちました」

「そうですか。なら、ご自宅からさほど離れた場所には行っていないはずです。野良経験がある猫の場合、脱走した際に行動半径が広めになる傾向があります」

「あ、そうなんですか。それを聞いて安心しました。りんたろうはあまり遠くには行っていない可能性が高いんですね」

「はい。遠くまで逃げている可能性は低いです。お隣の庭にいるのを見つけた! というケースも少なからずあります。最初は、半径50mくらいから捜索を始めて、見つからなかったら少しずつ捜索範囲を広げていきます。脱走した猫ちゃんの捜索範囲は、室内飼育か外出するか、また性別、避妊・去勢の有無などで変わってきます。室内飼育で避妊・去勢手術済みのオスの猫の場合は半径100m、メスの場合は半径50mくらいの範囲を捜索します。りんたろう君の場合はオスなので、より広範囲を捜索します」

「よろしくお願いします。頼もしいです」


 最後にYさんの詳しい住所とスマホの電話番号を教えてもらって、話は終わった。


 ◆


 それから俺と内田くんは、すぐにチラシ(ビラ)とポスター作りに着手した。

 内田くんと俺が案を練り、PCですぐデザインし、五十嵐探偵事務所の社内携帯の電話番号と、りんたろう君の写真と名前付きの紙を何枚も印刷しまくる。そしてチラシはYさんの近隣住民の家のポストに入れまくって、ポスターも至る所に貼る予定だ。

 坂本さんは各種SNSでりんたろう君に関する情報の拡散を呼びかけ、多くのユーザーに捜索の協力を仰いだ。

 

「脱走した猫は、夜間になると活発に行動する傾向にある。今は昼間だから、動かずにどこかでジッと身を潜めている可能性がかなり高いな。車の下、物置き、建物の隙間や裏、室外機の下、自動販売機の下、側溝の中、植え込み、木の上、屋根や塀の上。探す場所は無限にある」


 と俺は言った。


「ですね。プロの捜索活動は、やはり夕方から夜間が中心になります。今夜は3人とも眠らずに捜索しましょう」


 と内田くんが言った。

 俺たちの会話を聴いていた坂本さんは、笑ってこう言った。


「あははは。さっきまでメイドカフェに行こうとしてた人達とは思えないほど真剣な会話ですね」


 その言葉を聞いて、俺は妙案を思いついた。


「内田くん、坂本さん。俺には行くべき場所があるから、ちょっと行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい」と内田くん。

「行ってら~」と坂本さん。


 俺は大量のチラシと1枚のポスターを持ち、事務所から出た。


 ◆


「──おかえりなさいませ~♡ ご主人様♡ またいつもみたいに仕事サボってるの?♡ ほんとに駄目なご主人様♡ そんなところもかわいいね♡」


 みゆちゃんがいつもの笑顔で俺を出迎えてくれた。言うまでも無い。ここは俺が週7で通う、雑居ビル1階のメイドカフェだ。メルヘンチックな可愛い店内BGMが流れている。


「いや、仕事サボってるわけじゃありません。実は1つ頼みがあって来ました。今、りんたろう君っていう行方不明の猫を捜索してるんです。なので、お客さん1人1人にこのチラシを渡してくれませんか? あと、このポスターをお店の目立つ場所に貼ってもらえると助かります」

「わかりました♡ ご主人様のお願いだったら何でも聞いてあげる♡」

「助かります」

「だって動物は世界を救うんだよ♡ もちろん協力するよ♡ 私も猫が大好きだし♡」

「この依頼を達成した暁には、猫耳メイド姿で接客してください」

「もちろん♡ 猫を救ってあげてね♡」


 俺は、みゆちゃんに大量のチラシと1枚のポスターを手渡した。

 

「よろしく頼みます」

「猫探し、頑張ってね♡」

「頑張るンゴねぇ……。じゃあ俺は事務所に戻ります」

「行ってらっしゃいませ~♡ ご主人様♡」


 俺はメイドカフェを出て、2階の事務所に戻った。


「早かったですね。どこ行ってたんですか?」と坂本さん。

「メイドカフェだ。メイドカフェにも協力を仰いできた。お客さん1人1人にビラを配ってくれるそうだ。ポスターも店の目立つ場所に貼ってくれるらしい」

「おお、それはでかいですね。五十嵐さん、ナイスです!」

「俺が週7でメイドカフェに通ってた事が功を奏したな。人海戦術だ」


 内田くんはプリンタで大量にチラシとポスターを印刷している。

 坂本さんはスマホでSNSを駆使し、情報の拡散とユーザーへの協力を仰いでいる。

 俺にも勿論やるべき事がある。俺は、スマホを手に持ち、迷い猫の届け出と動物病院への問い合わせを行う事にした。

 猫が脱走した場合、最低限、探偵が届け出や問い合わせをしておく場所は次の6ヶ所である。


 ・保健所

 ・動物愛護センター

 ・近隣の交番と警察署

 ・道路清掃を管理している清掃局(土木課、環境衛生課、国道事務所)

 ・近隣の動物病院(迷い猫を保護した人が受診をする可能性がある為)

 ・ペットショップやペット関連の施設(協力してくれる可能性がある為)


 内田くんと坂本さんが作業をする傍ら、俺は片っ端から電話を掛けまくった。

 俺が全ての機関に電話をし終えたとほぼ同時に、2人も各々の作業を終えたようだった。


「私は一通りSNSで拡散を終えました。多くのリポストと良いねが既にいっぱい付いています」

「俺も全部刷り終わりましたよ」

「俺も各所への電話を済ませた。よし、今から3人でYさんの自宅に行こう」


 ◆


 Yさんは「うちの庭に駐車場があるので、車は駐車場に停めていただいて構いませんよ」と言っていた。

 俺、内田くん、坂本さんは猫の捜索グッズを俺の車(ジムニー)に積んで、3人で乗ってYさんの自宅へと車を走らせた。

 助手席に坂本さんが乗り、後部座席の左側に内田くんが乗っていた。

 俺の車の中では、syrup16gというバンドのCDが流れていた。

 車を走らせていると、助手席の坂本さんがこう言った。


「五十嵐さん、この病んでる歌詞のバンド好きですねぇ。いっつも聴いてません?」

「運転中に聴いてると心が落ち着くんだ」

「ふーん」


 やがて後ろから内田くんがこう言った。


「俺はアイドルソングとアニソンとEDMしか聴かないので、ロックの良さがいまいち分からないんですよね~」

「まぁ音楽の好みは人それぞれで良いと思うぞ。坂本さんは、普段どんな音楽聴くの?」

「そうですねー。私は超ミーハー人間なので、ミセスとか米津玄師とかback numberとか髭男とかking gnuとかVaundyとかあいみょんとかですかね。そのとき人気のアーティストしか聴きません。そういえば前から思ってたんですけど、五十嵐さんってking gnuの井口に顔が似てません? 丸顔でメガネで黒髪であごにヒゲが生えてるし」

「ああ、井口に似てるとは、妹と姉と母から言われたことがある。あと何か月も前に、女友達からも言われた」

「あははは。じゃあ、あれ歌ってくださいよ。白日!」


 坂本さんは助手席で笑った。


「白日? 無理無理。あんなハイトーン歌えないって」

「さすがに井口の歌声までは真似できませんか」

「うん。井口の歌は天才なんだよ。あと、俺の顔が似てるっつっても、痩せてた頃の井口じゃなくて、ちょっと太ってた頃の井口だよな」

「そうですね。五十嵐さん、ぽっちゃり体型ですからね」

「デブと言わないだけ優しいな」

「まぁ私もデブなので」

「デブではないだろ」

「デブですよ。前職は看護師で激務だったので36キロしか無くてガリガリでしたけど、探偵の仕事始めてから、いつも暇で事務所でお菓子ばかり食べてたら55キロになりました。身長150しかないのに」

「痩せすぎてるよりは良いんじゃないか。第一、150センチで55キロってデブじゃないだろ」

「私は、自分の身長引く105を目指してるんです。だから45キロを目指してます」

「そうか。まぁ、無理しないようにな」

「はい。無理せず痩せます。ちなみに内田さんは、体重何キロあります?」

「俺は身長169で64キロです」

「うーん。面白みのない体重ですね。五十嵐さんは何キロですか?」

「俺は、身長171.5で、体重はりんご3個分だ」

「キティちゃんと同じ体重でウケる」と坂本さん。

「うん。俺も坂本さんみたいにダイエットしてるんだ」

「じゃあ一緒に頑張りましょう」


 体重の話をしながら、車は公道を走る。


 ◆


 10分ほど車を走らせていると、Yさんの自宅に到着した。

 車を駐車場に停め、3人とも車から降りた。戸建てという事もあり、庭は広かった。Yさんの家族の誰かがガーデニングが好きなのだろう。庭には多くの秋の花が咲いていた。

 現在の時刻は、午後1時40分だ。今日はかなりの長期戦が予想される。

 と思いながら俺が車から猫の捜索グッズを全て下ろしていたら、突然俺の横で、坂本さんが小さく、


「ん……? あれ……?」


 と呟いた。


「どうしたの?」


 と俺が坂本さんの目を見て聞くと、坂本さんは人差し指を口元に立てて「しっ」と小さく言って、かなりの小声でこう続けた。


「五十嵐さん、内田さん、玄関を見てください……」


 俺はYさん宅の玄関を見た。

 そこにはなんと、茶トラ柄の猫がいた……。その身体的特徴は、なんと全て、りんたろう君に当てはまる。

 猫は中に入りたがっているのか、ガリガリと小さく音を立てながら、玄関の扉を爪で引っ搔いていた。

 俺はつい、でかい声を出しそうになってしまったが、ぐっと堪えた。

 ここで大きな声を出したら全てが終わる。脱走している猫の警戒心は非常に高まって興奮状態になっているからだ。だから、声をかけるとしても小さく落ち着きのある声が鉄則だ。

 しかし、まさか1ミリも探さずに猫が見つかるなんて……。

 なんたる僥倖……。

 

「──にゃ」


 りんたろう君が玄関で鳴いている……!

 思わず、俺達3人は小さな輪になり、顔を見合わせた。内田くんは驚いた様子で目を大きく開けていた。それを見て坂本さんは笑いそうになり、口を手で押さえていた。そこで俺は寄り目をしながらダブルピースをして2人を笑わせようとした。すると坂本さんに肩を軽くパンチされた。

 

「ばか……! 五十嵐さん、なにやってるんですか……。ふふ……! ふっ!」


 人間は、声を出してはいけない場面であればあるほど、くだらない事で笑ってしまう愚かな動物である。

 やばい! 逃げられたか!?

 と思い、玄関を見たが、りんたろう君は坂本さんの笑い声には気付いていないようだった。ああ、よかった。


「すまん……」


 俺は真顔に戻って、小声で謝罪した。


「五十嵐さん、大事な場面でふざけるのやめてくださいよ、ほんとに……! ふふ!」

「だめだ坂本さん……! 笑うな……!」

「笑わせてきたのはそっちでしょ……!?」

「なんとか耐えるんだ……せっかくの大チャンスだ……」

「わかりました……でも後で怒りますからね……?」


 迷い猫を捕獲する際は、いつも食べているごはんやおやつで呼び寄せ、食べている隙に洗濯ネットをかぶせて捕獲するのが定石である。そして、洗濯ネットに入れたままキャリーバッグに入れて、任務完了だ。

 しかし、猫の捜索で最も注意を払わないといけない工程は、捕獲である。


 ──つまり最大のチャンスは最大のピンチだというわけだ。


 そして、猫の特性として、男性の低い声よりも、女性の高い声の方が安心するというデータが科学的に証明されている。

 なので、いつも猫の捕獲の際は最初に女性である坂本さんが接近し、猫にごはんやおやつをあげている隙に坂本さんが猫の後ろに回り、上から洗濯ネットをかぶせて、すぐに内田くんがキャリーバッグを持っていき、俺が猫を抱っこして拾い上げてキャリーバッグに猫を入れるという一連の流れで行っている。

 正直言って、坂本さんの負担が圧倒的に大きい。なので、坂本さんが猫に接近して逃げられたとしても、坂本さんは責められない。


「おやつ、ごはん、洗濯ネット、キャリーバッグを準備してください……」


 坂本さんが真剣にそう言った。

 俺は坂本さんにすぐ、おやつとごはんと洗濯ネットを渡した。おやつはチュ~ル、ごはんはカリカリのものだ。

 りんたろう君は今も玄関の扉を爪でガリガリしていて、こちらには気付く様子が無い。だが興奮状態だ。

 坂本さんは、「行きますよ……」と言って、りんたろう君に中腰で超ゆっくり接近しながら、自分の歩く道にカリカリのごはんを数粒ずつ置いていた。そして坂本さんは途中でチュ~ルの包装を開け、ゴミをポケットにしまった。

 坂本さんの後ろには、キャリーバッグを持った内田くんが超ゆっくり歩いていった。

 この家の庭は、全面が芝である。なので砂利に比べたら圧倒的に気付かれにくいが、細心の注意を払わねばならない。

 内田くんの後ろに俺が着いていった。

 坂本さんは、りんたろう君に最接近し、りんたろう君のすぐそばでしゃがみ、チュ~ルをあげようとしている。

 すると、りんたろう君はいつも食べているおやつの匂いに気付いたらしく、ふりかえって、「にゃ」と鳴いて夢中になってチュ~ルを舐めて食べ始めた。

 

「りんたろ~……よしよし」


 と坂本さんが小さく落ち着きのある声で言った。逃げる様子は無い。

 続いて坂本さんはカリカリのごはんをりんたろう君のそばにこんもりと山のように出した。

 りんたろう君はお腹が空いているのか、山のように置かれたカリカリのごはんを夢中に食べ始めた。

 その隙に、坂本さんがりんたろう君の背後に回り、ゆっくりと洗濯ネットを近づけた。

 いよいよ、“その時”は近い……!

 坂本さんは俺達にアイコンタクトを送った。

 目が合った。

 その直後、坂本さんは洗濯ネットをりんたろう君の上に素早くかぶせた。


「にゃ!」

「キャリーバッグ持ってきて」


 坂本さんはりんたろう君を上から押さえながら、洗濯ネットにりんたろう君を入れ、そう言った。

 内田君はりんたろう君のすぐそばに行き、キャリーバッグをそばに置いた。


「五十嵐さん!」


 と坂本さんが言う。

 俺は、坂本さんがりんたろう君を洗濯ネットに入れた直後、りんたろう君を抱っこして、キャリーバッグの中に慎重に入れた。


「にゃ!」


 りんたろう君を無事にキャリーバッグの中に入れた直後、坂本さんが光の速さでキャリーバッグのファスナーを閉めた。捕獲成功である。


「ふぅ……」

「はぁ……」

「あぁ……」


 3人同時にそれぞれ安堵の声を漏らし、空を見上げた。澄み切った青空である。空はこんなにも美しかったんだな……。

 りんたろう君はキャリーバッグの中に入れられた直後は暴れていたが、次第に落ち着きを取り戻している。

 

「あ~、良かったですね。探さずに見つけられて。でも五十嵐さん、大事なところでふざけないでください。私、笑いを耐えるの大変だったんですから」

「すまん。まぁ捕獲できたから良しとしようぜ」

「今回も無事に捕獲できましたね。俺、まさかりんたろう君が玄関に居るとは思ってませんでした」

「かなり運が良かったな~。よし、さっそくYさんに電話しよう。きっと喜ぶぞ」


 俺は笑顔でスマホを取り出し、Yさんに電話を掛けた。そういえば午後は大事な会議があると言っていたが、今は大丈夫だろうか。

 俺がダイヤルを入力して通話を掛けると、たった1コールでYさんは電話に出た。


『はいもしもし。探偵さん、りんたろうは見つかりそうですか!?』

「りんたろう君、たった今、捕獲に成功しましたよ!」

『え!? マジですか!? ありがとうございます! どこにいたんですか!?』

「Yさんの家の玄関にいました」

『玄関に!? あ~やっぱり家に帰りたがってたんだ……』

「今は落ち着いた様子で、キャリーバッグの中に入っています。私たちは今、Yさんのご自宅にいます」

『あ~良かった……。もし2度と帰ってこなかったらどうしようってずっと不安で不安で。でも見つかって良かったです。大事な会議はさっき終わりました。今日はこれから会社を早退して、今すぐそちらへ向かいます!』

「幸い、りんたろう君に目立った外傷はありません」

『ほんとですか。よかったです!』

「ですが感染症や寄生虫の可能性がZEROとは言い切れません。ですので、これから動物病院で健康状態を確認してもらうようにしてください」

『わかりました。今日、かかりつけの動物病院に連れていきます。本当に助かりました。ありがとうございます』


 Yさんの歓喜の声は坂本さんや内田くんにも聞こえていたようで、2人とも満足そうに笑っていた。

 気が付くと、俺も笑いながらYさんと話していた。

 ──仕事のやりがいって、こういう事なのかもしれないな。


 ◆


 しばらくYさん宅の庭で3人で待っていると、やがて薄ピンク色の自動車に乗ったYさんが帰宅してきた。

 Yさんは庭に車を停め、すぐに下りて、こちらへ小走りで向かってきた。


「みなさん、本当にありがとうございます! これ、つまらないものですが皆さんで頂いてください」


 Yさんは俺に和菓子屋の紙袋を渡してきた。


「ありがとうございます。みんなで美味しくいただきます」


 次にYさんはしゃがんで、キャリーバッグに入っているりんたろう君に声を掛けた。


「りんたろう、ごめんね。寂しい思いさせちゃったね……寒かったね……」

「にゃ」


 ◆

 

 その場でYさんから依頼の着手金と成功報酬を現金で頂いた。

 生々しいので、金額は伏せる。

 ちなみに報酬はいつも3人で3等分に山分けだ。

 今回、経費はチラシとポスターの印刷代くらいしか掛かっていないので1000円だけ要求したが、更に謝礼の代金を別途に支払ってくれた。

 これが五十嵐探偵事務所の日頃の仕事内容である。

 

 ◆


 ◆


 ◆


 ◆


 ◆


 ~3日後~


 11月下旬の平日の朝。

 俺はいつものようにメイドカフェに1人で訪れていた。

 メイドのみゆちゃんは、五十嵐探偵事務所が無事に猫を捕獲したことを祝し、今日は特別に猫耳を着けていた。


「──今からこのオムライスに、ラブパワーを注入するよ♡ 涼くんも一緒にやってね♡ せーのっ」

「「萌え萌えきゅん♡」」


 俺とみゆちゃんは2人同時にハートを作って料理にラブパワーを注入した。


「やっぱり地球を救うのは愛だよな……」


 俺はしみじみと呟いた。


「そうだよ♡ 人は愛が無いと、みんな寂しくてメンヘラになっちゃうからね♡」


 その瞬間、俺のスマホが黒いパーカーのポケットの中で小さく振動した。

 スマホを見ると、坂本さんからLINEが来ていた。

 

『五十嵐さん。どうしても話したいことがあります。今すぐ事務所に来てください』


 ん? まだ時間は朝の9時43分だ。そして出勤するのは11時だ。まだ時間があるのに、一体何の用だろうか?

 まぁ、とりあえずメシ食ってから事務所に行くか……。

 俺は返信文を打ち、送信した。

 

『今、メイドカフェでオムライスを食い始めたところだ。食い終わったら行く』

『待ってます』


 俺は愛のこもったオムライスを食べた。

 そして愛で腹を満たした俺は、幸せな会計を済ませて、2階の事務所に向かった。


 ◆


 俺は【五十嵐探偵事務所】と書かれた、小さく青い看板を見ながら、事務所の扉を開けた。

 坂本さんが『どうしても話したい事』とは何だろうか?

 

「おはようございます、五十嵐さん」

「おはようございます、坂本さん。こんな早くに呼び出してどうしたんだ」


 俺は呑気にタイムカードを押して、自分の席に座って、大きなあくびをした。事務所の中には坂本さんと俺しかいない。内田くんはまだ出勤していないようだな。


「私、今日は事務所の掃除をしようと思って、いつもより早く出勤したんです」

「おお。掃除だなんて、偉いな」

「それで、事務所に着いたときに、なんとなく事務所の前の宅配ボックス兼ポストを開けたんです」

「Amazonで買い物でもしたのか?」

「いえ、違います。ポストの中には、禍々しい色をした、真っ赤な封筒が入っていたんですよ」

「なっ、なんだって!?」


 俺は思考を高速回転させる。真っ赤な封筒といえば、ヤバい時に来る封筒だ……。赤い封筒が来る心当たりは正直ある。

 まっ、まさか……遂にこの時が来たというのか!?

 坂本さんは、眉間にしわを寄せ、普段の温和な丸い目を一変させ、ナイフの如き鋭い眼光を放ち、俺を睨んできた。その威圧感たるや半端ない。


「五十嵐さん……赤い封筒の中身は、この事務所の家賃の督促状でした。今月中に4か月分の家賃を支払わなかったら強制退去だそうです。一体これはどういう事ですか!? この事務所の家賃、何か月も滞納してたんですか!?」

「グハァッ!!!!! そ、その通りだ……!」

「はぁ……。呆れた……。経理は五十嵐さんに一任していたから、こんなの全く知りませんでしたよ。週7でメイドカフェに行くお金で、余裕で家賃くらい払えたでしょうが……。あなたはバカなんですか???」

「バカかもしれない」

「かもしれない、じゃありませんよ! あなたは超バカです!」

「……うん」

「4か月分の家賃、一体どうするんですか……」

「俺の貯金から払うよ……」

「そうしてください。あと、今後は経理は全て私がやります。五十嵐さん、家賃の滞納以外には何もしてませんよね? まさか脱税とか、やってませんよね?」

「脱税はさすがにしてないよ!」

「それはさすがにしてませんか。脱税してたら顔面ブン殴るところでした」


 バカな俺でもさすがに事務所の家賃滞納までだ。脱税は捕まるからな……。


「今後、経理は全て私が担当します。あと、もうメイドカフェに行くのは禁止です!」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」

「元はと言えば、あなたがメイドカフェにハマらなければ、こんな惨劇は起こらなかったんですよ!」

「坂本さんが経理を担当するなら、別に俺がメイドカフェに行くことを禁止する必要は無いんじゃないか?」

「……五十嵐さん、今まで何度メイドカフェに夢中になって大遅刻したと思ってるんですか?」

「うっ……!!!!!」

「第一、メイドカフェに真実の愛なんてありませんからね?」

「いや、あるぞ」

「私、あまりにも五十嵐さんと内田さんがメイドカフェに夢中になってるから、どんな場所なんだろうと思って、私もこの前、興味本位で1人で行ってみたんです。そういえば五十嵐さんが『みゆちゃんっていう子が特に可愛い』って言ってたなぁと思って、追加料金を600円払って、みゆちゃんを指名してみたんです。そしたらみゆちゃん、私のことを認知してくれてたんですよ。私が五十嵐探偵事務所の一員だという事も知ってました。まぁ職場が同じビルの1階と2階ですからね。何度か顔を合わせて挨拶はお互いにしたことありましたよ」

「そうなんだ。それで?」

「実はみゆちゃん、好きな男性がいて、その男性のアパートで同棲してるそうですよ。なんでもその男性は、みゆちゃんが17才で家出した時に命を救ってくれた12個年上の男性だそうで、惚気話を沢山聞かされました。先週の土曜日はその男性が好きなバンドのライブに一緒に行ったそうです。本当に楽しかったって笑顔で言ってました。あははははは」


 俺は、胸に血で錆びた赤い釘が思いきり打ちつけられているような気持ちになった。

 あれだけ可愛い顔面だったら、彼氏くらい居ると確信していたが、実際にリアルかつ具体的なエピソードを聞かされると、心が軋んで痛い。


「も、も、もう聞きたくない……やめてくれぇ……!」

「あはははは。死にそうな声ですね。ははは」

「何が楽しいんだ。俺の心は今にも張り裂けそうなんだぞ……」

「なんか五十嵐さんをいじめるのが楽しくて」

「坂本さん、ドSにも程があるだろ。勘弁してくれよ。そういう性癖はドМにしか刺さらねえぞ!」

「ちなみに五十嵐さんはSですか? Mですか?」

「知るかよ、そんなの」

「まぁ、とりあえず私が言いたいのは、メイドカフェに夢中になってないで彼女でも作った方が良いですよって事ですね。メイドカフェに真実の愛はありませんよ。五十嵐さんのお気に入りの“みゆちゃん”も好きな男性と同棲してるそうですから」

「あー分かった分かった。もう話さないでくれ。そんなに言うなら、もうメイドカフェは行かねえよ」

「分かったなら、いいです」

「はぁ……」

「ずいぶん落ち込んでますね」

「誰のせいだと思ってんだ。あー、なんか急に無気力になってきた。探偵やめてニートに戻ろうかな~」

「え。五十嵐さん、ニートだった時期があるんですか?」

「まあな」

「ふーん。実は今、私の1個下の25歳の弟が長期ニートなんですよね。大学受験に失敗して、それから浪人生になったんですけど、勉強なんかロクにしてないです。どうせ大学なんて最初から行く気ないんです。浪人生っていう肩書きを、ニートを継続する免罪符にしたいだけ……」

「へえ。俺はどうでもいいわ。坂本さんの弟がニートだろうが」

「私、数日前、実家に住んでるって言ったじゃないですか? でもニートの弟と一緒に住んでるのが嫌だから、ニートの弟にはどうしても自立してもらいたいんです。なんか良い方法を教えてください」

「いや、弟さんから離れたいなら、坂本さんがアパートでも借りて1人暮らしすればいいだけだろ。俺も1人暮らししてるけど、快適だぞ~、1人暮らしは」

「……それが、その、実は私は1人暮らしにトラウマがあるんです」

「え?」

「看護師をしてた頃、職場の同僚からストーカー被害に遭って、何度もその同僚がアパートまで着いてきて、部屋に上げてくれないなら今ここで死ぬって脅してきたんです。そんな事が何度もありました。それから1人暮らしが、超怖くなりました」

「……そうか。じゃあ俺が住んでるアパートの空き部屋を借りればいい。実は内田くんも俺が住んでるアパートに住んでるんだよ。俺が2階で内田くんが1階に住んでるよ」

「えっ? そうだったんですか?」

「うん。内田くんが『事務所の近くに安くて広いアパートありませんかねぇ?』って俺に聞いてきたから、俺が住んでるアパートを勧めたんだ。坂本さんも俺が住んでるアパートに住めばいい。それで、内田くんと俺と坂本さんでいつも一緒に出勤と退勤を揃えるようにしたら、何も怖くないだろう。もし、それでも怖いなら、俺の部屋に内田くんと坂本さんが集まって、毎日3人で宅飲みでもすれば楽しいぞ!」

「お~! それ、めっちゃ良い案ですね!」


 坂本さんは笑った。


「私、今度の休みの日、五十嵐さんと内田さんと同じアパートに引っ越すことにします!」

「ああ。【入居者募集】って常にアパートに貼ってあるから、まだ空き部屋はあるはずだ」


 その後、俺は不動産屋の名前と、アパート名を教えた。


「ありがとうございます! あ、そうだ。面倒だったら別にいいんですけど、私の引っ越しの準備、手伝ってくれません? 荷物の搬入とか買い物とか」

「いいよ。手伝う」

「やったー、ありがとうございま~す。お礼に今度なんか美味しいもの奢りますね」

「当たり前だ。坂本さんは、みゆちゃんに同棲してる男性がいるという情報を俺に教えて、しかも俺をいじめるのが楽しいとか抜かしやがった。俺にメシを奢るのは当然の義務だ」

「あははは」

「傷心の俺にメシを奢るのは当然として、あと今後も俺の同僚としてこの五十嵐探偵事務所で馬車馬の如く労働してもらうぞ」

「良いですよ。私、この職場と仕事が好きですから」

「そうか」

「はい」


 そう言って坂本さんは笑って、ポットの中に水道水を入れ、沸かし始めた。そして白いマグカップに粉末のココアを入れた。

 俺はラッキーストライクというタバコに火を点け、無表情で喫煙を開始した。

 そして、それからは各々が自由に時間を過ごした。

 しばらく時間が経つと、内田くんが「おはようございまーす」と無気力に言って事務所に入って来た。時刻は10時40分だった。

 坂本さんと俺は同時に「おはようございます」と内田くんに挨拶をした。

 直後、坂本さんが言った。


「あ、そうだ。内田さん聞いてくださいよ~。五十嵐さん、メイドカフェにお金使いまくって、この事務所の家賃を何か月も滞納してたんですよ。それで今朝、赤い封筒が届いてました。中身は家賃の督促状です。今後、経理は五十嵐さんではなく私が担当することになりました。あと、五十嵐さんの遅刻が目に余るので、メイドカフェに行くことを禁止しました」


 坂本さんは赤い封筒を内田くんに見せた。内田くんは若干引いたような目つきで俺を見た。


「えええ……。事務所の家賃滞納してたんですか……。大丈夫なんですか?」

「家賃の滞納に関しては俺が貯金から支払うから大丈夫だ。あと、内田くんと俺って同じアパートに住んでるだろ? そのアパートに坂本さんも住むことになったぞ」

「あ、そうなんですか。楽しそうで良いじゃないですか。探偵が3人も同時に住んでるアパートなんて、日本を探しても珍しいんじゃないですか?」

「たしかに珍しいアパートですね。私、看護師だった頃にストーカー被害に遭ったことがあって、1人暮らしにトラウマがあるんですけど、五十嵐さんと内田さんが住んでるアパートなら安心です」

「それでな、出勤と退勤の時間をいつも3人で一緒に合わせようって話になったんだ。それなら坂本さんも安心して1人で暮らせるだろ」

「なるほど~。じゃあ、そうしましょう。あ、俺、近くのコンビニでメシ買ってきますね」


 そう言って、内田くんは事務所から出て行った。

 その直後、坂本さんがココアを飲みながら、俺の方を見てきた。やたら視線を感じた俺は、スマホから顔を上げて、坂本さんの目を見た。


「ん、どうした?」

「今度、五十嵐さんが私の引っ越しの手伝いをしてくれる事と、五十嵐さんが私と食事に2人で行くこと、内田さんには秘密にしてもらえませんか?」

「え? なんで?」

「ん~。……察しが悪いな~。そんなんだから29歳になっても童貞なんですよ」


 その言葉でようやく全てを察した俺は、


「うるせえ」


 と他人事のように言った。














 ~終わり~












【あとがき】


 メイドカフェで働いている「みゆちゃん」は、前回俺が投稿した「SENTIMENTAL GIRL'S VIOLENT JOKE ~家出少女~」という小説に出てきた女性キャラと同一人物です。もし未読の方は、そっちの小説の方も読んでくれると俺が喜ぶ。


 あと、メイドカフェに行けなくなった五十嵐が可哀想になってきたので、救済措置を施しました。












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五十嵐探偵事務所にお任せ!【短編小説】 Unknown @ots16g

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