第5話 “戦乙女氷姫”の脅威
ネズミ退治が終わり、すっかり落ち着いたバルトロメアは、フィオーレ少尉とシルビオ・ナルディーニ中佐に伴われ、馬で第一師団本部へと向かっていた。
朝の空は薄く曇っており、冷たい風が頬を撫でる。第一師団本部は第十一師団本部よりさらに北にある。
訓練場では兵士たちが号令を上げ、木剣の音が響き渡っている。
バルトロメアは緊張しながらも、馬上の姿勢を崩さぬように意識を保った。学校で受けた乗馬訓練の成果が、いまようやく役に立っている気がする。
目的地に到着すると、三人は警備のチェックを受け本部棟へ入った。
迎えてくれたのは、第一師団長――デメトリオ・ディ・アルディーニ少将。
背が高く、首元には少将の襟章が光っている。
「やあ、よく来たね、バルトロメア嬢。正式に戦乙女になったそうだね」
「は、はいっ」
緊張のあまり、声が少し上ずってしまう。
だがデメトリオは気さくに笑い、彼女の肩の力を抜かせてくれた。
どうやら、ナルディーニ中佐とは陸軍学校の同期であり、フィオーレ少尉はその後輩らしい。三人は旧友同士、打ち解けて話をしている。
紅茶が出され、会談は和やかに進む。
やがてデメトリオが話題を切り替えた。
「うわさを聞いたが……ネズミ退治に成功したとか?」
ナルディーニが誇らしげに笑う。
「ああ、バルトロメア嬢のスキルが見事でね。猫たちを自在に操って、倉庫を丸ごと救ったんだ」
「ふむ……猫を操る、か。興味深いな」
デメトリオの目がわずかに光った。軍人としての好奇心が顔を覗かせる。
「もし、その猫たちが索敵や哨戒に使えるなら、我々の戦術に大きな変化をもたらすかもしれん。敵の目にも留まらない」
「そ、そうですね……やったことはないですが……挑戦してみます」
自分のスキルが戦場で役立つなど、考えたこともなかった。
しかし言葉にしてみると、不思議と胸の奥に火が灯る。
——私にしかできない戦い方が、あるのかもしれない。
デメトリオは満足げに頷き、机の上の地図を指でなぞった。
「ところで、ロストフ帝国軍の動きが妙でね。国境沿いに一個師団を貼り付けたまま、まったく動こうとしない。シルビオ、どう見る?」
「まず我々の動きを観察しているのだろう。それにピストイア占領後の統治が安定していない。兵力を割く余裕がないのかもしれない。本国の増援待ち、という線もある」
「ふむ……他の師団長たちも似た見解だ。しかし一つ、懸念がある」
デメトリオは声を低めた。
「その師団には“氷姫”がいる。攻撃の準備を進めているとの報告だ」
ナルディーニの表情が険しくなる。
「氷姫……ピストイア軍を壊滅させた、あの戦乙女か」
「そうだ。逃げてきた兵士の証言によると、彼女の射程は――二千メートルだという」
「……なに?」
部屋の空気が凍りついた。
バルトロメアも思わず息を呑む。
「戦乙女の魔法の射程は通常、百メートルも届けば上等のはず。それが二千だなんて、伝説の域だ」
デメトリオは肩をすくめた。
「私も信じがたいが、同じ証言が複数から上がっている。とはいえ、師団長連中は“盛り話”だと一笑に付しているがね」
「……情報が少なすぎる。私の方でも確認してみよう」
「頼んだぞ、シルビオ」
短いが信頼のこもったやり取りだった。
そのとき、扉がノックされる。
「少将、会議の時間です」
「そうか。では、失礼する」
デメトリオが立ち上がると、三人も同時に姿勢を正し、敬礼でその背を見送った。
少将の足音が遠ざかり、部屋に静寂が戻る。
やがて三人も退出しようと本部棟の玄関へ向かった――そのときである。
「まあ、バルトロメアじゃないの!」
甲高い声が背後から響いた。
振り返ると、軍服に鮮やかな赤のマントを羽織った少女が立っていた。フラミニア・ディ・アルディーニ――デメトリオ少将の妹であり、かつて学校で同級だった令嬢だ。
「私、お兄様と同じ師団に入れてもらえたの。あなたは違うのね、残念ねぇ。お兄様を狙っていたのに。……ネズミ退治専門の“戦乙女”さん?」
わざと周囲の兵士たちに聞こえるような大声で言う。
バルトロメアは視線を合わせず、何も言わずにその場を去ろうとした。
「待ちなさいよ。無能スキルのくせに無視?私はこれから敵兵を倒して国を守るの。あなたは床下でドブネズミとでも遊んでいればいいのよ!」
「フラミニア、いい加減にするんだ」
ナルディーニ中佐が低い声で叱った。
「人の悪口ばかりで何が楽しい?」
「庶民上がりの軍人の分際で、私を呼び捨てにしないで。あなたが少しばかりお兄様と仲がいいからといって、いい気にならないことね。こちらは――公爵令嬢よ」
フン、と鼻を鳴らすと、つかつかと去っていった。
その背中を見送りながら、ナルディーニはため息をつく。
「まったく、困ったお嬢様だ」
「……私は相手にするのも嫌なので、いつも無視してます」
バルトロメアは静かに言った。
「デメトリオはね、性格さえ良ければ“自慢の妹”だと口にしていたよ」
その言葉に、三人は顔を見合わせて苦笑した。
午後の陽光が石畳に反射し、帰り道の空は少し青みを帯びていた。
冷たい風の中、バルトロメアはふと思う。
――戦場で役立つ“猫の力”とは、何なのだろう。
あのデメトリオの期待に、応えられる日が来るだろうか、と。
蹄の音が、石畳に響いていった。
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