第4話 猫使役令嬢、戦乙女としての第一任務
軍務省に呼び出されてから三日後の朝だった。
パンフィーリ伯爵家の門前に、深緑の軍用馬車が静かに止まった。
出てきたのは、きりりとした制服姿の少尉だった
丸眼鏡でにこやかな若い士官だ。
「パンフィーリ伯爵閣下、伯爵夫人。お嬢様をお迎えにあがりました、フィオーレ少尉です。」
落ち着いた声でそう挨拶すると、優雅に一礼した。
バルトロメアの両親も、緊張しながらそれに応じる。娘が正式に軍務に就くというのは、一家にとって誇らしくも不安な瞬間だった。
やがて、フィオーレはバルトロメアの前に歩み寄り、まっすぐ彼女の瞳を見つめて言った。
「私は本日付であなたの副官になりました。戦乙女(ヴァルキリア)のあなたは、大尉待遇です。これからよろしくお願いします。」
「まあ、大尉待遇……。よろしくお願いします、少尉」
バルトロメアは穏やかに微笑み、軽く頭を下げた。その肩に黒猫のネーロがちょこんと乗っている。
彼女のスキル《猫使役(フェリス・ドミニオ)》の象徴であり、唯一のパートナーだった。
必要なものを旅行鞄に詰め、ネーロを抱えて馬車に乗り込むと、王都の街並みがゆっくりと遠ざかっていった。
行き先は軍務省ではなく、第十一師団の本部だった。
王都から馬車で三日の道のり。広大な草原を越え、軍旗がはためく野営地が見えてくる。
そこには、一万人規模の兵士たちが滞在しており、規律の行き届いた空気が漂っていた。
鉄の匂いと焚火の煙が混じり合い、遠くでは訓練の掛け声が響いている。
本部の建物で師団長のソルダーノ少将に挨拶を済ませたあと、フィオーレに案内されて第十連隊の司令棟へと向かう。
支給された軍服に着替えると、連隊長のナルディーニ中佐に挨拶した。
「おや、猫を連れてきたのかい?」
「はい。私のスキルのために、どうしても必要なのです。」
「なるほど……では、さっそく仕事を頼もう。倉庫のネズミ退治だ。物資が食い荒らされて困っていてね」
フィオーレ少尉と共に、バルトロメアは物資補給倉庫へと向かった。
通りを歩けば、兵士たちの視線が一斉に集まる。新しい戦乙女と、その肩に乗る黒猫――まるで絵画のような光景だった。
「ありゃ……あたらしい戦乙女がきたのか?」
「しかも猫と一緒だぞ、なんだあのコンビ……」
ひそひそと囁く声が背後で聞こえる。だが、バルトロメアは気に留める様子もなく、静かに歩みを進めた。
倉庫の前で待っていた担当兵が報告する。
「食料庫が荒らされています。干し肉や穀物の袋が破られて……。数が多すぎるんです。」
倉庫の隅には、無数の小さなフンと黒い跡。
バルトロメアはしゃがみ込み、指さすと、ネーロを見た。
「ネーロ、わかる?」
「……間違いない、群れで動いているな。まず周辺の猫を集めろ。それから倉庫の警備をさせろ。」
そのやり取りを、周囲の兵士はただ「猫に話しかけているお嬢さん」として見ていた。
だが、実際には心の中で完全な会話が成立している。
やがて――不思議な気配を感じたのか、周辺の野良猫たちが一匹、また一匹と現れ始めた。
物陰、屋根の上、木箱の間から現れるその数は、数十匹に及んだ。
兵士たちは息をのんで見守る。
(倉庫からネズミを狩り、追い出して。)
バルトロメアが心で命じると、猫たちは一斉に動き出した。
影のように静かに、素早く。鳴き声ひとつ立てずに倉庫へ突入していく。
しばらくして――。
「にゃっ!」
先陣を切ったネーロが戻ってきた。その口には大きなネズミの死骸。続いて他の猫たちも次々と現れ、足元に戦果を並べていく。
やがて、倉庫前の地面はネズミの死体で埋め尽くされた。
数えてみると百匹をゆうに超えている。
担当兵は絶句し、やがて感嘆の声をあげた。
「こ、これは……すげぇ……!」
「逃げたネズミも多いと、猫たちは言っています。」
バルトロメアは静かに言い、手帳に記録を取るフィオーレも、目を見開いたままだった。
倉庫は六か所ある。
バルトロメアは各倉庫に三匹ずつ猫を配置し、兵士たちに餌やりを依頼した。
「猫たちはきちんと働きます。けれど、信頼されなければ逃げます。仲良くしてあげてくださいね。」
兵士たちは一斉に「承知しました、戦乙女(ヴァルキリア)殿」と敬礼した。
それは小さな奇跡を見た後のような、畏敬の混じった表情の敬礼だった。
任務を終えて連隊司令部に戻ると、ナルディーニ中佐は机を叩いて笑った。
「すばらしいね、バルトロメア嬢。猫大隊とは、まさに君にしかできん芸当だ! 本部の食料係が泣いて喜ぶだろう!」
フィオーレも微笑んだ。
それは、ただの副官としてではなく、“戦乙女”への敬意の笑みだった。
「ネズミ退治だけで終わるあなたではありませんよ。次は、もっと本格的な役目が待っているはずです。」
バルトロメアは小さく頷いた。
肩の上でネーロが満足そうに喉を鳴らす。
その音はまるで――戦乙女の未来を祝福するかのように響いていた。
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