第6話 猫の王国《レグナム・フェリアム》
その夜、ランゴバルド王国軍第十一師団の宿舎は静まりかえっていた。
部屋の中でバルトロメアは、机の上のランプを小さく絞り、書き終わった日誌を閉じた。
ベッドの足元に黒猫のネーロが丸まっている。
バルトロメアがネーロを見つめた。
「ねえ、ネーロ。遠くにいる猫と話す方法って、ないのかしら?」
ネーロはゆっくりと片目を開け、尻尾を一度だけ揺らした。
(ああ、あるさ)
声というより、心に直接響く。
(“猫の
「猫の……王国?」
バルトロメアは眉をひそめた。
(唱えてみろ。そして、猫と心を通わせよ)
ネーロの金色の瞳が、月光を映して輝いた。
バルトロメアはゆっくりと目を閉じ、胸の前で指を組む。
「レグナム・フェリアム」
その瞬間、静寂がふっと遠のいた。
視界の奥に、別の視界が広がる。
それは、ベッドに腰かける自分――バルトロメアを見つめるネーロの視点だった。
心臓が跳ねる。
思わず目を開けると、ネーロがこちらを見ていた。
(わかっただろ?)
「……本当に、見えたのね」
声が震えた。魔法とは思えぬほど、現実的な感覚。
もう一度、目を閉じて集中する。
今度は、倉庫に住み着いている猫に意識を伸ばした。
すぐに、別の視界が浮かんだ。
暗い倉庫の中、木箱と麻袋の隙間。
猫の目は闇を裂くように景色をとらえる。
ネズミが一匹、床を素早く横切る。
猫の体が弾けるように動いた。
牙がネズミの背に食い込み、動かなくなる。
その感触が、バルトロメアの心にも伝わる。
「……すごい。これが、猫の目……」
息を整えながら、さらに遠くを探った。
意識がゆるやかに街の外れへと流れる。
やがて、暖炉の炎が見えた。
見上げると微笑んでいる老女。
猫は膝の上で小さく丸まっているようだ。
温もり、毛並みを撫でる手の感触、木の燃える匂い——
猫の安らぎが、心の奥に流れ込むようだった。
——猫たちはこうして世界とつながっている。
人間には見えない絆で。
翌朝、バルトロメアは本部でフィオーレ少尉とナルディーニ中佐に報告した。
会議室の窓から差し込む朝日が、地図の上を照らす。
「……つまり、猫を媒介にして遠隔視ができると?」
ナルディーニは眉間に皺を寄せた。
「はい。距離の制限はまだ不明ですが、師団周辺の人家までは確認できました」
ナルディーニはしばし黙り込み、指先で机を叩いた。
「なるほど。偵察や諜報に応用できる可能性があるな」
フィオーレは慎重な口調で言った。
「ただ、猫の位置が特定できなければ意味がありません。
行きたい場所にいる猫を選べるようにするか、目印を残す必要があるでしょう」
「たしかに……」
バルトロメアは頷いた。
視えるだけでは、地図に落とし込めない。
フィオーレがふと微笑んだ。
「しかし、“猫の王国”とはすごいですね。うまくいけば軍の偵察班より優秀かもしれません」
その言葉に、ネーロが椅子の下で誇らしげに鳴いた。
(レグナム・フェリアム——それは、猫たちが築いた心の王国。
おまえが、女王だ)
その声はバルトロメアの心に響く。ネーロの瞳が、どこか神秘的に光った。
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