最終話 卒業しない僕らの残業(モラトリアム)


 1.青春からのリストラ通告


 卒業。それは青春からの「解雇通知(リストラ)」だ。

 

 制服という最強の防具を剥奪され、社会という荒野に放り出される。


 卒業式前夜の音楽喫茶「Set Sail」。  店内の空気は、閉店間際のスーパーマーケットのように重く、寂しかった。


「……明日で終わりか」

 

 僕はコーヒーの黒い水面を見つめて呟いた。


「僕たちは『高校生』という特権階級を失い、ただの『痛いバンドマン』になる」

「おいケン、湿っぽいぞ」

 

 カズが言った。


「俺たちはメジャーデビューが決まってるんだ。これは『栄転』だろ。本社勤務になるようなもんだ」


「でも……」

 

 ユウジが鼻をすすった。彼だけはまだ二年生だ。


「先輩たちがいなくなったら、誰が僕のツッコミをしてくれるんですか? 僕、ボケ殺しになっちゃいますよ」


 ネネが窓の外を見ていた。


「……フン。せいぜい、つまらない大人にならないように気をつけることね」

 

 強がっているが、その声は少し震えていた。


 その時、ドアがバン! と開いた。

 

 ナナが巨大な段ボール箱を抱えて入ってきた。


「みんな~! 元気出して! 明日のために、最後の衣装を作ってきたよ!」


 ナナが取り出したのは、狂気のパッチワークだった。

 

 これまで僕が着せられてきた『残業』『煩悩まみれ』『安全第一』などのTシャツを切り刻み、強引に縫い合わせた、フランケンシュタインのような一着。

 

 僕たちの黒歴史の集合体だ。


「これまでの思い出、全部縫い付けたの! これを着て、胸を張って卒業しようよ!」


「……重いな」


 僕はその布切れを手に取った。物理的にも、精神的にも重い。  

 だが、その胸元に新しく刺繍された文字を見て、僕は吹き出してしまった。


『定年延長』


「……ブフッ」  


つられてネネも笑った。タカシの口元も緩んでいる。


「定年延長か。最高だ。ナナ、君は天才だよ」  


 僕はTシャツを握りしめた。

 

 そうだ。僕たちはまだ、青春を引退する気はないらしい。

「……終わらせなければ、始まらない」  

マスター・ヨハンが言った。

「セッションしてこい」


 2.最後の文化祭


 卒業式後の謝恩会ライブ。体育館は全校生徒で埋め尽くされていた。  

ステージ袖。円陣を組む僕たち。


「いいか、今日はユウジのミス待ちじゃない。俺の尻も、ただの打楽器じゃない」


 カズが真剣な眼差しで言った。


「俺たちの『集大成』を見せるぞ。笑われるんじゃない。笑わせるんだ」


「はい! カズ先輩のお尻、今日が一番いい音出してみせます!」

 

 ユウジが特注の警策(けいさく)を握りしめる。


「……フン。最後くらい、あんたたちに合わせてあげるわよ」

 

 ネネがマイクを握る。


「……行(いくぞ)」

 

 タカシがギターを構える。

 僕は『定年延長』Tシャツに袖を通した。


「……ああ。僕たちの残業は、ここからが本番だ」


 僕たちは光の中へ飛び出した。


 3.完成されたテンプテーション


 タカシが弾き始めたのは、あの『Temptation』のリフだった。  


 第一章の時、僕が「逃げ出したい」一心で書いた、恥ずかしいポエムから生まれた曲。  


 だけど今の音は、あの時とは違う。  

 太く、力強く、未来を切り裂くような確信に満ちている。


(逃げたかった。勉強からも、人間関係からも、自分自身からも)


 ネネが叫ぶ。 「We are Bakuondan!! Temptation!!」


(でも、逃げ込んだ先にあったのは、こいつらとの衝突だった)


 ナナのキーボードが、不釣り合いなほど明るい音色で、タカシの轟音を包み込む。  


 僕はベースで、バンドの心臓を鼓動させる。


 そして、サビ。


「行きます!! カズ先輩!!」

 

 ユウジが振りかぶる。  

 カズがマイクスタンドの前で、美しくお尻を突き出す。


 パァーン!! パァーン!! あだァッ!!


 会場中がリズムに合わせて拳を突き上げる。  

 カズの悲鳴は、もはや悲痛なものではなく、魂のシャウトとして歓声と一体化していた。  

 それは完璧に計算された、最高にバカバカしいエンターテインメントだった。


 僕はマイクに向かって叫んだ。


『枕を抱いて 眠りたかった……  でも今夜は……  お前らの声を抱いて眠る!!』


 タカシのギターが泣いている。  

 僕たちは汗と涙でぐちゃぐちゃになりながら、一つの音になった。


(ああ……終わるな。この時間が、永遠に続けばいい)


(大人になんてなりたくない。この爆音の中で、ずっとバカやっていたい……!)


 曲の最後。全員でジャンプして締める。  


 ジャァァァン!!!!


 静寂。そして、割れんばかりの拍手

 。

「みんな、大好きー!!」  


 ナナが泣きながら叫ぶ。


「……うるさい! バカ!」  


 ネネがそっぽを向いて泣いている。


 僕たちは卒業した。  

 しかし、何も終わらなかった。


 4.エピローグ・終身雇用


 数年後。  

 テレビの音楽番組のひな壇に、僕たちは座っていた。


「今夜のゲストは、世界的なコミック・パンク・バンド! 『爆音団』の皆さんです!」


 僕たちは大人になった。少しだけ垢抜けた。  

 だが、僕の胸には新しいTシャツがある。

 刺繍されている文字は『終身雇用』。


「カズさん、その『人間ドラム』というスタイルは、どうやって生まれたんですか?」  


 司会者に問われ、カズがキリッとした顔で答える。


「……これは、現代社会の痛みを受け止めるという、高度な自己犠牲アートなんですよ。プロデューサーとしての矜持です」


 ただの事故でしたけどね!」  


 ユウジが即座にバラし、スタジオが爆笑に包まれる。


 タカシは無言でカメラにピースをし、ナナとネネは仲良く腕を組んでいる。  

 相変わらずのカオスだ。でも、これが僕たちの日常だ。


 5.The Show Must Go On


 収録後、僕たちは久しぶりに「Set Sail」を訪れた。  

 店は変わっていない。ヨハンも、少し白髪が増えたが変わっていない。


「……マスター。いつもの」  


 僕はカウンターに座った。


「ブラックコーヒーか?」


「いえ。……メロンソーダで」


 僕はニヤリと笑った。  


 大人になったからといって、苦いものを飲む必要はない。

 甘えたい夜は、まだあるのだ。


 メンバーが笑い合い、楽器を取り出す。  

 誰からともなく、音を出し始める。  

 仕事でも、リハーサルでもない。

 ただの、放課後の延長戦のようなセッション。


(僕たちは大人になった。

 逃げ出したい夜も、相変わらずある)

(でも、大丈夫。僕らには、帰るべき港と、鳴らすべき爆音があるから)


 僕はノートを閉じた。  

 表紙にはマジックで汚く『爆音団』と書かれている。


「……さあ、残業の時間だ」


 タカシのリフが始まる。  

 僕たちの終わらない青春が、また夜の街に響き渡る。


(完)

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 ベーシスト兼詩人ケンの憂鬱 御園しれどし @misosiredosi

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