第9話 魂の安売り(セルアウト)
1.悪魔は名刺を持って現れる
成功。それは甘美な響きだ。
だが、その甘い果実には大抵、猛毒が含まれている。
音楽喫茶「Set Sail」のテーブルを囲む僕たちの前に、一人の男が座っていた。 山下と名乗るその男は、業界人特有の胡散臭い笑顔を浮かべ、名刺を扇子のように配り歩いた。 『カオス・レコーズ チーフ・プロデューサー』
「単刀直入に言います。君たちは……金になる匂い(・・・)がプンプンする!」
山下氏は鼻を鳴らした。 金。僕が最も縁遠く、しかし最も切望しているものだ。
「金……? つまり、僕の詩が持つ文学的価値が、資本主義社会において正当に評価されたということですか?」 僕は身を乗り出した。ついに時代が僕に追いついたか。
「いや、詩はどうでもいい。むしろ暗すぎるから書き直してもらう」 即答だった。僕の文学的価値は暴落した。
「評価したのは君たちの『キャラ立ち』だ! 『残業』というパワーワード、ドラムの『天然事故』、そして何より……」 山下氏は、カズの肩をガシッと抱いた。
「プロデューサーが物理的に叩かれるという『人間ドラム』! これはTikTokでバズる! 世界初の『マゾ・エンターテインメント』だ!」
「断る!!」
カズが即座に拒否した。 「俺は裏方だ! 表舞台で尻を晒すためにバンドやってるんじゃない! 俺のプライドは安くないぞ!」
「デビューが決まれば、全国ドームツアー。印税ガッポリ。君は『カリスマ・ヒューマン・パーカッション』として歴史に名を残せるよ?」
「……歴史に名を? ……全国ツアー?」
カズの瞳孔が開いた。
「……まあ、プロデューサーたるもの、体を張るのも仕事のうちか。話を聞こう」
安かった。こいつのプライドは、特売の豚肉より安い。
2.パステルカラーの地獄
数日後。僕たちは都内のレコーディングスタジオに連行された。
これがメジャーの現場か。機材が高い。空気が高い。
「デビュー曲のデモを作ってきた。聴いてくれ」
山下氏が再生ボタンを押した。
『♪君と僕との ラブ・コネクション タピオカ飲んで ハッピーデイズ 残業なんて 忘れちゃおう~!』
流れてきたのは、脳みそが溶けそうなほどキラキラした、安っぽいシンセサイザー音と、ペラペラの歌詞だった。
全員が絶句した。
タカシの手からピックが落ちた。
「……は? 何これ。ヘドが出るわ」
ネネが吐き捨てる。
「私が歌うの? タピオカ? 私は血液か劇薬しか飲みたくないんだけど」
「これが売れ線だ! ネネちゃん、君にはこの『猫耳カチューシャ』をつけて歌ってもらう。歌詞の『残業』は、ケンくんへのオマージュだ」
「ふざけるな!」
僕は立ち上がった。
「僕の『残業』は労働への怒りだ! こんな……『忘れちゃおう~!』なんて軽い言葉で消費していい概念じゃない!」
「ケンくん。君にはこの『パステルピンクのスーツ』を着てもらう。さわやか路線だ」
「話を聞け! 僕はさわやかじゃない! ドロドロだ!」
「わあ! かわいい曲! 私、好きかも! みんなで踊ろうよ!」
ナナだけが、商業主義の毒に無自覚に侵されている。彼女は既にダンスの振り付けを考え始めていた。
「あの……僕のドラムは?」
ユウジがおずおずと手を挙げた。
「君にはこれだ。最新の電子ドラムパッド」
山下氏が指差したのは、おもちゃのようなパッドだった。
「これならミスしても自動で補正してくれるし、カズくんを叩かなくてもいい音が出る」
「えっ、カズ先輩を叩かなくていいんですか?」
ユウジが悲しそうな顔をした。
「……なんか、寂しいな。打感がないと落ち着かないです」
こいつも大概おかしくなっている。
「……ゴミ(弾かない)」
タカシがギターをケースにしまおうとした
。
「待てタカシ! 弾くんだ!」
カズが立ちはだかった。その目は、欲望で濁っていた。
「いいかお前ら、これが大人の世界(ビジネス)だ。
俺は……俺は、ピンクのスーツを着てでも、武道館に立ちたいんだ! だから魂を売れ!」
プロデューサーが一番最初に魂を売っていた。
3.反逆のディストーション
レコード会社の重役たちが集まる、最終プレゼンライブ当日。
僕たちはステージに立っていた
。
僕は、パステルピンクのスーツを着せられていた。鏡を見るたびに死にたくなる。
ネネは猫耳をつけられ、死んだ魚のような目をしている。
ユウジは無表情で電子パッドの前に立っている。
「さあ、生まれ変わった彼らをご覧ください! 新生・爆音団によるデビュー曲『ラブ・コネクション』です!」
山下氏がマイクで叫んだ。
演奏スタート。 キラキラした同期音源が流れる……はずだった。
ギャァァァァァァァン!!!!
鼓膜をつんざくような轟音が鳴り響いた。
タカシだ。
彼が踏み込んだのは、ディストーション(歪み)ペダル。
しかもレベルMAXだ。
「なっ!? タカシくん!?」
山下氏が悲鳴を上げる。
タカシは山下氏を冷たく見下ろし、アイドルソングのコード進行を粉々に破壊するような、凶悪なリフを弾き始めた。
その音は言っていた。「媚びない」と。
「……やってくれるな、タカシ」
僕の中で、何かが弾けた。
ピンクのスーツ? さわやか路線? 知るか。僕は詩人だ。嘘は歌えない
。
ビリッ! 僕はピンクのジャケットを引き裂くように脱ぎ捨てた。
その下に着ていたのは――洗濯しすぎてヨレヨレになった、あの黒いTシャツ。
『残 業』
「俺たちの魂は! バーゲンセールじゃねえぞぉぉぉ!!」
僕はマイクに向かって絶叫した。
「I don't need Tapioca!! I need blood!!(タピオカいらねえ!血をよこせ!)」 ネネが猫耳を引きちぎり、歌詞を即興で罵倒語に変えてシャウトする。
ユウジが電子パッドを蹴り飛ばした。
そして懐から取り出したのは、ボロボロになった警策(けいさく)。
「やっぱりこれじゃなきゃダメだ! カズ先輩! お尻出してください!!」
カズが震えている。
彼は重役たちの視線を一身に浴びながら、ゆっくりとスーツの裾をまくり上げた。
「……来い、ユウジ! これが俺たちの……『商売道具(ビジネスツール)』だ!!」
カズ、覚悟の尻出し。
「あざーっす!!」
パァーン!! パァーン!!
重役たちの目の前で繰り広げられる、尻叩きと轟音の地獄絵図。
『ラブ・コネクション』は、完全に『Sell Out(身売り)』というタイトルのノイズ・ロックに変貌していた。
「わあ! みんなアレンジ変えてきたね! こっちの方が楽しそう!」
ナナが、躊躇なくノイズに合わせた不協和音を弾きまくる。彼女だけは、最初から最後まで楽しそうだ。
4.変態という名のジャンル
演奏が終わった。
会場は静まり返っていた。重役たちは口をあんぐり開けている。
山下氏は顔面蒼白で床に崩れ落ちていた。
「……お、お前ら……契約は白紙だ! 損害賠償ものだぞ!」
「へっ。こっちから願い下げだ」
カズがお尻をさすりながら言った。今日一番のカッコいいセリフだ。 「
俺の尻は安くないんでね。タピオカ一杯じゃ貸せねえよ」
僕たちは楽器を片付けようとした。
その時、パチ……パチ……と、乾いた拍手の音が聞こえた。
一番奥に座っていた、会長と呼ばれる老人が拍手していた。
「……面白い」
会長が言った。
「アイドルとしては0点だが……『コミック・パンク・バンド』としてなら、イケるかもしれん」
「えっ?」
山下氏が顔を上げた。
「山下くん。彼らの契約は続行だ。ただし、路線は『変態』でいけ」
「……変態?」
僕たちは顔を見合わせた。
「世の中への不満を、尻の痛みと轟音で表現する社会派変態バンド。……売れるぞ」
5.魂の行方
結局、デビューの話は消えなかった。
ただし、キラキラした未来ではなく、イロモノとしての茨の道が確定した。
帰り道。 僕はゴミ箱にピンクのズボンを捨てた。
「……変態か」
僕は夜風に吹かれながら呟いた。
「まあ、社畜になるよりはマシかもしれないな」
「……芯(ブレないな)」
タカシが空を見上げて言った。
「カズ先輩、大丈夫ですか?」
ユウジがカズの尻を気遣っている。
「うるさい。……だがまあ、電子パッドよりは、お前の一撃の方がマシだったよ」
カズが少し笑った。
僕はノートを開いた。
『魂は売らなかった。 その代わり、僕たちは「まともな青春」を売り払ってしまった気がする。
でも、この「残業」Tシャツの着心地は……不思議と悪くない』
僕たちのバンドは、誰にも媚びない。
ただ、尻を叩いて叫ぶだけだ。
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