第16話 ブルーダイキリ
「離婚されてたんですね」
どうしよう。喜ばしい話じゃないのに、顔がほころんでしまう。ほっぺの内側を噛んで、必死で真顔をキープする。
「もう、ずっと昔の話ですから」
「俺が1歳だよな?そもそも、俺ができなきゃ、こんな不幸な物語は起きなかったんだよな」
「友弥君……そんな言い方……」
「おいおい、一生懸命育てたのに、勝手に不幸な物語にしないでくれるか?友弥、酔ってんだろ?もう、帰れ。」
あ、そうなの?見た感じでは分からなかったけど、酔っぱらっているのね。
「あの、心愛さん」
立ち上がった友弥君が、私を見下ろしている。
「はい」
「また、会ってくれますか?」
可愛い。つい笑ってしまう。
「はい」
「じゃ、ハグしていいですか?」
「駄目だ」と龍二さんの声がしたのと同時に、友弥君がそっと私の体を包んだ。
ぽんぽんと、友弥君の背中を叩く。
「こらっ」と龍二さんがカウンターの向こうから手を伸ばした。友弥君は、さっと身を翻し「んじゃ、ご馳走様でした」と言って店を出て行った。
「すみません、本当に、すみません」
父親としてなのか、お店の人としてなのか分からないが、龍二さんはひたすらに謝ってくれた。
「いいえ。私も悪い気はしませんでしたので……若い男の子とハグしちゃった」
ペロッと舌を出す。茶化さないと、この笑えない空気に身が持たない気がした。
「あのやろ。今度会ったら、殴っときますんで」
「それは困りますので、しばらく会わないでください」
「「ははは」」
息をするように笑えた。
「正直、友弥君に救われました」
「え?」
「昨日、家に帰ったんです。母も連れて。そしたら、女性を招き入れた形跡があって、はっきりは言わなかったですけど、浮気を認めたようなもんで……ずっと、この胸のあたりがもやもや~ってしてて……」
「そうなんですね」
いけない。龍二さんにまで嫌な思いをさせている。
「ま、どうでもいいんですけどね。もう、夫婦なんて名ばかりで、らしいことはしばらく何もしていないので……」
あ、いけない。下ネタみたいに聞こえたかしら?
「あんな酔っ払いのバカ息子の肩を持つつもりは無いですが……心愛さん、そんな人とは別れるというのも選択肢の一つです」
「分かってるんですけどね。いろいろ面倒くさいって言うか……」
私が別れて、龍二さんと付き合えるなら、頑張ってみなくもないけど、きっと上手くいかない。私みたいな、ローンと病気の母を抱えて、遣り甲斐を感じていない職場にロボットのように通う女なんて、龍二さんに相応しくないもの。
「向こうから、別れて欲しいって言ってくれれば、二つ返事でオッケーなんですけどね」
歯を出して、にかっと笑った。
***
無理して笑うこと無いのに……そうさせてるのは俺か……
「もう一杯いかがですか?」
「いいえ。明日は早いので、私も今日はこれで」
「そうですか。お仕事がんばってくださいね」
「ありがとうございます」
心愛さんは俺なんかと違い、責任感と一般常識のある規律正しい女性だ。仕事柄、離婚なんてのも厄介事が多いのだろう。それにしても友弥のやつ……好きな女を前にすると、あんな感じになるんだな。よくしゃべるし、人の過去の恥をペラペラと……今度会ったら、殴りはしないが、間違いなく説教だ。
「いらっしゃいませ」
見たことがあるような、無いような女性客が一人で現れた。
目が離せなくなる。頭では誰だか分かっていないのに、心臓が勝手に暴れ出す。
「お久しぶり」
20年ぶりに会う、元妻だった。
「なんでここ……」
「友弥から聞いたの」
連絡を取り合っていたなんて初耳だ。
「ここいいかしら?」
心愛さんが座っていた席を指さしたので、「いいえ、こちらに」と隣の席を案内した。
「変わってないのね」
「嘘を言わないでください」
友弥から何を聞いて、何をしにここへ来たのだろう。
「何を飲まれますか?」
バーテンダーとして接客をする。それが一番、気が楽だ。
「ビールを」
「承知いたしました」
グラスに注いだビールをコースターに乗せて出す。
「再婚しなかったんだって?」
「はい」
「私もよ」
「そうですか」
どうでもよかった。心愛さんの『どうでもいいって感じ』と言った言葉の意味を実感している。
「友弥はあんなになっちゃったけど、育ててくれてありがとうね」
「……」
「これからは、私も協力させていただくわね」
「なにを?」
純粋な疑問だった。成人して、職につく息子に今更何を協力するって言うんだ?
「母親も必要でしょ?」
そういう年頃はとっくに過ぎてしまったが……この女は一体何を言っているんだ?
「一緒に友弥の成長を見守りましょう」
どうやって断ればいいのか分からなかった。
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