第17話 ブルーダイキリ
「先生、おはようございます」
「おはようございます」
背の高い女子バレー部の子たちが、私に挨拶をして通り過ぎる。
今日は地区大会の予選で、区民ホールでトーナメントが行われる。
「榊原先生、お越しくださってありがとうございます」
3組の佐藤先生が私に恐縮している。
妊娠はおめでたいことなんだし、部活を頑張っている中学生の青春は素晴らしい。だけど、それを諸手を挙げて応援をしてあげられない自分が恥ずかしい。
「いいえ。体調は大丈夫ですか?」
「つわりがちょっと、上の子たちの時より、酷くて……」
「それは大変ですね」
何も言わなくても自主練を始める部員たち。手がかからないと言うのは本当だろう。
「初戦は強豪とかじゃないから!私たちと同じ!頑張ろう!」
「初戦敗退だけは、勘弁だよね!」
「ゼッタイ負けたくない!」
やる気満々だな。可愛い。
「勝っても負けても、3年生はこの大会で引退します」
佐藤先生は目を潤ませながら話している。いい先生だな。
「いつもは何回戦まで行くんですか?」
「よくて2回戦です。初戦突破は彼女たちには大きな目標です」
公立中学校の、顧問が素人先生の部活だもの。彼女たちは環境には恵まれてるとは言えない。だけど、出来ることを自分たちでやろうという気迫は、少なからず伝わってくる。
「2学期から、バレー部をお願いできますか?」
校長先生の嫌味なお願いではなく、真摯な姿勢に私も背を伸ばす。
「介護が必要な母が自宅にいるんです」
少し目を大きく見開いた佐藤先生が、はっと息を吸い込んだ。
「先日、お話をいただいてから、どこか施設に預けようかと検討を始めましたが、お金もかかるし、そもそも80人が列を成して待っているようなので、いつになることやら……」
「すみません。そんな……知らなくて……」
「言ってませんので。できる事なら、生徒たちの部活を見てあげたいとは思います。でも、できると言いきれないのが……心苦しいですが、私の今の現状です」
佐藤先生は黙ってしまった。
アナウンスがあり、1回戦目が始まった。
携帯が鳴る。音を切っていなかったことに焦りながら、スマホを取り出す。
(ケアマネの小林さん!)
まさかの相手に飛び上がってしまった。母に何かあったのだろうか。
「榊原先生?」
「すみません。ちょっと、出てもいいですか?」
慌てている私の様子を見て、佐藤先生は「どうぞどうぞ」と手の平を私に見せてきた。
少し離れたところで、電話を受ける。
「はい」
「心愛さん、ごめんなさいね、お仕事中に、ちょっといい?」
「はい」
「タエ子さんがね……」
ドキドキが治まらない。
今日はデイケアに通う日で、準備を済ませ、一人でお迎えを待っていたはずだ。
「デイケアの車が到着した際に、いらっしゃらなくてね」
「へっ?」
「お家に誰もいらっしゃらないと連絡を頂いたので、私、ちょっと伺ったのよ」
「はい」
「そしたら、信号機の近くにいらしてね」
「はい」
口から心臓が飛び出しそうだ。早く、その先を……母は無事なんですよね?
「とても混乱していらしてね」
後ろから母の声が聞こえる。
「ここちゃん!先生は?ここちゃん!早く迎えに来て!」
こんな母の叫び声、聞いたことがない。
「聞こえた?ずっとこんな感じで、落ち着いてくれなくて」
「すみません」
「謝らなくていいのよ。それで、先生って、どこの先生かなって」
龍二さんのことだ。母はよっぽど気に入ってしまったようだ。
「医者ではないんです。私の知り合いをそう勘違いしているだけで……」
「ああ、そうだったの。じゃ、仕方ないわね。このままもう少しお預かりするけど、心愛さん、何時頃帰れそう?」
「早くて、3時か4時か……」
電話では聞き取れないくらいの小さな溜め息が聞こえた気がした。
「できるだけ早く戻れるようにしますので」
「そうね、待っているわね」
言い終わるかどうかのうちに、電話は切れていた。
***
まさか心愛さんから連絡をくれるなんて思っていなくて、慌てて電話をとった。
「お忙しいところすみません」
「いいえ。この時間は暇です」
本当の事だ。
「あの……」
「どうされましたか?」
「あの……」
「何でも言ってください。無理なことは無理と言いますので」
相当困っていらっしゃる様子だ。
「母を迎えに行って頂けないでしょうか?」
「いいですよ」
思いの外、簡単な依頼でよかった。
「え?いいんですか?」
「はい。いいですよ。どこに行けばいいですか?」
心愛さんに言われた施設のような、自宅のようなところに来た。チャイムを鳴らす。
「はーい」
「あの……心愛さんに頼まれて来ました……」
「ああ、聞いてます。『先生』ですね?」
「はあ、まあ」
笑ってしまう。この人も俺が先生じゃないことを知ってて、そうからかっているのだ。
奥から、心愛さんのお母さんが出てくる。
「あぁ、先生!お待ちしてましたのよ!さぁ、帰りましょう、ね?先生!」
俺の手を取ってぐんぐんと歩き出す。
俺は、さっきの人に一礼して、心愛さんのお母さんを家に連れて帰った。
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