第15話 ブルーダイキリ

 昨夜のことが気になるけど、母を家に連れて帰るため、朝早くに出発した。


「いいお宿だったわね」

「そうだね」

「何て言ったかしら、あの人……ほら……」

「幸太郎さん?」

「そうじゃなくて……先生よ……ほら……家まで送り届けてくれたじゃない?」


 龍二さんのことか。


「先生がどうかしたの?」

「また、あの病院に行きたいわ」

「そうね」


 信号で会っただけなのに、一体、何科の先生と思っているのだろう。母の思考回路の混乱ぶりが可愛くて笑ってしまった。




 私が学校に出勤している間、母は一人で過ごしている。今のところ徘徊はしないが、それが今日起きるかも知れないという不安が付き纏う。なるべく考えないようにして仕事をする。


「榊原先生、明日のバレー部の見学は、区民体育館に8時半集合でお願いします」

「分かりました」


 生徒たちには頑張って欲しいが、勝ち進めばそれだけ拘束時間が増えると思うと、複雑な気分になる。


 粛々と業務をこなし、定刻に上がらせてもらう。部活の顧問をやっておられる先生方を横目に、足早に校門を抜ける。後ろめたい気持ちはある。


 携帯を見ると、龍二さんからメッセージが来ていた。えっ!驚きとともに確認をする。

『友弥が飲みに来るので、心愛さんもご都合がよろしければ……』と可愛い犬のスタンプが添えてあった。


「ひゃぁ、嬉しい」


 帰宅し、母の食事を準備する。お風呂を見守って、ドライヤーをかけたら、寝かせる。私もシャワーを浴びて、さっぱりしたところで『TITANIC』に向かった。




 ***




 店にはフードメニューもある。基本的には乾き物がよく出るが、中には食事をされる方もいる。


『時間があればメシ食いに来い』と、友弥に送った。すると『心愛さんもいる?』と、返事が来た。『声かけとく』とだけ、返した。


 開店直後に来店した友弥が、キョロキョロしている。


「あのなぁ……」

「まだ?」


 心愛さんに会いに来ましたってか?


「ああ、まだ」

「ちぇ、なぁんだ」


 心愛さんの席を空けて、隣に座らせる。


「なに作ってくれんの?」

「グラタンか、ナポリタンだけど、どっちにする?」

「グラタン」

「ちょっと待ってな」


 言っとくけど、金は取るからな。とは、言わないけど、そのつもりだ。

 友弥がグラタンを食い終わる頃、心愛さんが来店してくれた。


「いらっしゃいませ」

「あ、心愛さん、ここ」


 俺の手柄、みたいに椅子を引く息子。なかなかやるな。


「メッセージありがとうございました」

「いいえ」


 どことなくスッキリとした心愛さんから、石鹸の匂いが漂ってきた気がした。

 友弥がカウンターに伏せてあった自分のスマホを手に取り、「俺も連絡先交換してください」と言い出した……俺がしゃしゃり出るところじゃないけどな……どうするのかな……


 すんなりと教えてしまう心愛さんに、冷たい視線を送ってしまう。


「えっ?いけませんでした?」

「いいえ……」


 友弥が睨んでくる。分かってるよ。邪魔して悪かったよ。


「今日はどうされますか?」

「なんか、夏っぽいの……とか。おすすめで」

「ラムはどうですか?」

「はい。シェイカーは使いますか?」

「そのつもりです」

「お願いします」


 心愛さんはシェイカーがお好きらしい。


 グラスに氷を入れて冷やしておく。シェイカーにホワイトラムと、絞ったレモンジュースを入れる。いつもなら、ここに砂糖をティースプーン1杯入れるのだが、今日は、ブルーキュラソーを入れる。手の甲に一滴垂らし、味を確認。オッケー。氷をシェーカーに加え、振る、シャッカシャッカシャッカ、心愛さんの視線を感じる。


「お待たせしました。ブルーダイキリです」

「綺麗です!」

「あまり甘くないですけど、大丈夫かな」


 夏っぽいのと言われ、青いのが浮かんだが、心愛さんの好みに合うか急に不安になる。


「ほんと!スッキリしてます!美味しいです!」

「なら、良かった」


 俺と心愛さんのやり取りを、不満そうに見ている息子。


「お前もなんか飲むか?」

「俺も、それ」

「え?」

「心愛さんと同じの頂戴」

「かしこまりました」


 もう一杯作って、友弥に出す。


「本当だ、スッキリしてて美味しい」

「でしょ?」


 二人で盛り上がってくれて何よりだ。


「心愛さん、指輪してないんですね」

「こら、友弥……」

「ちょっとマスター、客の会話に割り込んでこないでくれますか」

「はぁ……すみませんでした」


 心愛さんの動揺した顔に耐えられなくて、友弥と言い合う気になれない。


「結婚してるんですよね?」

「まあ」

「こんな夜に抜け出して怒らないんですか?旦那さん」

「別居してるの」

「なんで?」


 友弥の質問に答えなくたっていいのに、と思いながら、自分も聞いたことだから何も言えない。


「母が病気でね、実家で一緒に暮らしているの」

「旦那さん寂しがりませんか?」

「寂しかったのかな。浮気されちゃった」


 危うく、洗っていたシェイカーを落としそうになった。


「は?なにそれ。別れるんですか?」

「さあ……どうでもいいって感じ」


 心愛さんの悲しそうな笑顔を見てしまった。


「浮気した男と結婚してても幸せじゃないですよね?」

「そうだけど、離婚したら幸せになるってもんでもないでしょ」

「そんなことないよな?」

「え?俺?」


 急に話を振るなよ。


「いや……さぁ……」


 答えに困る。


「この人、浮気してないのに逃げられた、離婚の先輩だよ」

「まぁ……な……」


 何を言い出すんだ、友弥のやつ。



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