第14話 フローズン・チチ

 施設の帰りに龍二さんに会った。母のとぼけた質問にも親切に答えてくださった。あの醸し出される不思議な優しいオーラは子育てを経験された父性だったのかと、妙に納得できた。どんな奥様なのかな……


 今日もらって来た資料を見直す。やっぱり利用料がネックになってくる。幸太郎が家を手放したくないのは分かるけど、3LDKに一人で贅沢に暮らされても困ってしまう。そんな余裕は無いのだ。


 ルルルルル


 幸太郎に電話をかける。

 出てもらえないと、話しすらできない。

 母のことが少し心配だけど、今夜はあっちの家に行こう。


「お母さん、私、夜はいないから」

「大丈夫よ。どこか行くの?」

「うん。幸太郎の家に帰るね」

「幸太郎さん?」

「忘れちゃった?私の夫だよ」

「ああ、そうだったわね」


 本当に思い出したのだろうか、話を合わせているだけのような微妙なトーンだ。


「一緒に行く?」


 一人にするのは、やっぱり心配だ。


「どこに?」

「お泊りだよ。一泊」

「いいわね」


 簡単に夕食を済ませ、明日の着替えを持って、母と出発した。




「何だよ。帰ってくるなら連絡くらいしろよ」

「電話したけど、出なかったじゃない?それに自分ちに帰って来るのに、どうしてそんな風に言われなきゃならないの?」


 幸太郎の悪態にイラッとする。


「お母さんまで連れてきて……」

「そんな顔しないでよ。一人で置いておけないんだもん」


 風呂上がりの母の髪を乾かし、私の部屋の床で寝かす。


「話があるの。この家のことで」

「後にしてくれないか?」

「じゃ、先にシャワーを浴びてくるから、出てきたら時間くれる?」


 幸太郎はムッとした顔をして、行ってしまった。


「はぁ」溜め息が出てしまう。最後に自宅の浴室を使ったのはいつだろう、なんてことを考えながらシャンプーをしている時だった……なんだろう、この違和感。


 シャンプー、トリートメント、クレンジング、洗顔フォーム……いつも通りの私のケア用品だけど……何となく、バランスが変?上手く言えないけど……シャンプーはこんなに減ってなかったような。クレンジングはもう少なくなっていたはずだから、買い換えようって思った気が……誰か使った?買い換えられた?数カ月前の記憶だから、私の勘違いかも。


 そうは思いながらも、目を皿のようにして観察が続く。脱衣所のタオル、ハブラシにコップ、異変はないか……ゴミ箱を確認する。異常なし。洗面所の下の収納を開けてみる。異常なし。トイレのサニタリー用品を入れている棚をチェック。異常なし。考え過ぎか……


 ドライヤーで髪を乾かし、使ったタオルを洗濯機近くの籠に放り込む。ふと、バスマットに目が行く。どうしてそんなことをしたのか、自分でも分からない。なんとなく、バスマットを捲ってみた。


 長い髪の毛、私の3倍はある。


「幸太郎……」


 悲しいとか悔しいとかは思わなかった。ただ、どうやって認めさせようか。逃げ切られないように事実を突きとめていく方法を必死で考える。


「ねぇ、誰か来たの?」

「え?何で?」


 明らかな動揺が見て取れて、確信に変わる。


「なんとなく」

「酔った同僚をこの前泊めたけど、何かある?」

「別に」


 私が部屋に入った時は話し合いには応じないって雰囲気だった幸太郎が、今は目の前に缶ビールを持ったまま座っている。


「この前のゴルフの帰りにさ、近くで飲んだんだよ。そしたら終電逃したやつがいてさ」

「ふーん」

「タクシーも捕まらないから、泊まってくかって事になってさ、そん時かなぁ」


 ずいぶんと饒舌なのね。どんどん吐きそう、ボロが出るまで黙ることにする。


「ホントさ、急にそんなことになって、迷惑な話だよなぁ。別に心愛が心配するような事は何も無いよ」

「心配?」

「そうだよ。特にやましい事とか無くて、ホント、泊まって帰っただけだから」

「やましい事?」

「何だよ!疑ってんのか!」


 隠すのがこんなに下手なんだから、常習犯では無い気もする。でも、許す気はない。舐めないで。


「ゴルフ帰りって言うから、てっきり男の人かと思ってたけど、女の人なのね」

「そんなこと言ったか?」

「心配しなくていいとか、やましいことはないとか、男の人には使わない言葉だよね」

「そうか?」


 幸太郎の額にすごい汗が吹き出している。


「言葉のあやだ」

「ロングヘアの女性」

「んっ、がっ……」


 何か言おうとしたのかな。変な声を発して、幸太郎は部屋に引っ込んだ。




 ***




 心愛さんのお母さんの状態はお世辞にも良いとは言えない。つきっきりでの介護が必要ではないかと思う。寝たきりでは無くても、一人にしておけないというのは大変だ。


 久しぶりに白米を炊いた。インスタントじゃないみそ汁を作り、コンビニで買った総菜を並べる。


「あったかい飯、久しぶりだな。いただきます」


 友弥が高校までは、ここから少し離れたところに二人で住んでいた。俺は夜の仕事だから、日中に家事をこなし、晩飯は作って置いて行っていた。


「あいつ、ちゃんと食ってんのかな」


 大学の入学を機に、それぞれにワンルームマンションを借り、生活拠点を分けた。たまに、友弥の部屋に泊まるが、大したものは……食ってなさそうだな。


「今度、晩飯でも誘うか」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る