第9話 マルガリータ

 もともと月曜は嫌いだ。だけど、龍二さんの働くバー『TITANIC』の定休日と知り、ますます嫌いになった。

 やっと火曜日だ。今日は、仕事帰りに、一杯だけ……そう思うと、テストの丸つけも頑張れる。


「榊原先生、ちょっと」

「はい」


 学年主任に呼ばれる。


「昨日、生徒に妊娠の心配は無いとおっしゃったそうですね?」

「はい」

「この件に関してはノーコメントを貫くように、とお願いしましたよね」

「……」

「しかも、あるかもしれないことを、無いなんて、無責任に約束されては困ります!」

「……すみません」


 この手のお説教には慣れっこだ。しおらしい顔をして、龍二さんのカクテルの味を思い出す。ココナッツのお酒、ピニャコラーダだっけな。美味しかったな。まだ知らないカクテルがあるのだろう。今夜もおすすめを頼んでみようか。


「……すみません」


 味も好きだったけど、何と言っても、シェイカーを振る龍二さんの姿が素敵だった。バーテンダーはテレビで見たことはあったけど、目の前で見たのは初めてだ。思ってた以上に迫力があった。それとシャカシャカするのは意外と短いんだな……なんて……もっとずっと龍二さんの姿を見てたかっただけだよね。


「……すみません」


 あの、三角錐が上下にくっ付いたメジャーを持つ手がかっこいい。それとやたらと柄の長いスプーンを持つ、すらっとした長い指が綺麗。大きいのに器用そうな手が……私のスーツケースを持ってくれた時、ちょっとだけ触れた……柔らかかった、気がする。


「……すみません。あ」


 頭の中、ぶっ飛んじゃってたけど、定期的に挟んでた「……すみません」が不自然だったかもしれない。学年主任が不思議な顔をしてこちらを見ている。


 キーンコーンカーンコーン


 ナイス!チャイムの音に救われ、一礼して逃げる。


(危ない、危ない)


 その後は、無難に一日を終えた。テスト期間中は部活がないので、先生方の帰宅時間は早くなることが多い。お店は18時にオープンする。真っ直ぐ帰るとちょうど良い時間になる。


『TITANIC』


 龍二さんのバー、タイタニック……なぜ沈んでしまった船の名前を付けたのか、いつか聞いてみよう。


「いらっしゃいませ」

「こんばんは」


 案内されずとも、黙っていつもの席に座る。


「お仕事帰りですか?」

「はい。母が待っているので、長居はできませんが……」

「では、今日はショートカクテルにしましょう」

「ショートカクテル?」


 龍二さんは細い脚で支えされる三角錐のグラスを見せてくれた。


「見たことあります」

「どんなのがいいですか?」

「シャカシャカ振るのを……」

「はい」


 龍二さんは笑いを堪えるようににっこりと笑った。私、変なこと言ったかしら?




 ***




 味を聞いたつもりだったが、シェイカーを振るのがいいと返事をされて、少し笑ってしまった。お気に召したのなら何よりだ。


 カットしたライムをグラスの淵に塗る。グラスを回転させながら、淵の外側にソルトを付けてゆく。シェイカーにライムを絞りジュースを入れる、それにテキーラとコアントローを注ぎ、氷で満たす。シェイカーを振ったら、一気にグラスに注ぐ。


「マルガリータです」

「聞いたことあります」


 じっとグラスを見つめ固まっている。


「スノースタイルと言います。周りに付いているのは塩なので、そのまま飲んでください」

「はい」


 そっと脚を摘まんで恐る恐る口を付けている。


「おぉ!」


 素晴らしい歓声をいただきました。万歳。


「これも美味しいです」

「よかったです。オレンジリキュールとライムでスッキリしてますが、テキーラベースなので、飲み過ぎ注意です」

「テキーラ!」


 驚いた顔がなんとも可愛らしい。


「お母様の体調は如何ですか?」

「あ、それは……」

「立ち入ったことを聞いてすみません。今のは無かったことにしてください」

「いいえ。そうじゃなくて……なんと言えばいいのか……物忘れが激しくて、一人では生活できないって感じです……」

「それは大変ですね」


 介護か。まだお若いだろうに、苦労をされているのだな。


「施設に入れようか悩んでるんですけど、夫が協力的でなくて」


 軽い衝撃を受ける。やっぱり既婚者か。


「辛いですね」

「まあ、もう別居状態が4、5年も続いているので、愛想を尽かされちゃったんでしょうね。ってすみません。こんなこと聞きたくないですよね」

「そんなことないです。よければ聞かせてください」


 ショートカクテルが飲み終わるまでの短い時間を濃密に過ごしたい。


「夫も私も中学教師なんですけど、ペアローン組んでマンションを買ってしまって、母を施設にいれるお金がないんです、なんて、みっともない話してすみません。はは」


 苦笑いをしている心愛さんを慰めてあげたいが、なんと言えば……


「私は住んでないし、あんな家、手放したいんですけど、夫に話したら、電話切られてしまったんです。酷いと思いませんか?」

「それは酷いですね」


「子どもかよって……うふふ」と心愛さんが笑った。


「あー、悪口言ったらスッキリしました。聞いてくれてありがとうございました。また来ます」

「お待ちしております」


 そう、俺はここで待つことしか出来ない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る