第2話 レインボーアイズ

「オ・ワ・ゾ・ウ君! 聞いているのかい!? 三三アイスのさあ! パチパチするヤツを買ってくれよ!」


くん、じゃなくて……三三の、で呼べよ。そんなに、アイスを食いたけりゃ冷蔵庫の氷でもかじっていろ。こちとら金欠で四百円もするアイスを嬉々と食おうとしている野郎に殺意が湧いてくるんだよ」


 遅刻していたとはいえ、たかが五分遅れだし、道中の再開発反対デモのせいとか、そもそもお前……サツキの昼の弁当を用意していた為とか、ココのバイトには、三十分前に着いているとか、色々言いたい事はあったが、サツキが余計に駄々をこねそうなのが面倒だったので、喉元まで出かかっているものを飲み込んだ。

 

 サツキが椅子から立ち上がると、頭が店の天井にぶつかりそうなくらいに、彼が百九十センチもある(百四十代の自分にとっては、これも殺意が湧く)高身長であり、深い事情があってか、はたまた本人の趣味なのか、率先して女装をしている男だと、誰が見ても分かるだろう。


「パチパチ……アレはただの炭酸ガスを固めたものに過ぎないよ、サツキ。氷に駄菓子のパチパチを振りかける事を推奨するよ」


「そういう事じゃないんだよ、ピーモ! このポンコツAI!」


「ポ……誰がポンコツだ! これでもボクはれっきとした軍御用達の高品位露出機だぞ!」


「いやはや……君等はいつも元気だね。お姉さん、少しでも、その元気をお裾分けして欲しいぐらいだよ」


 サツキがほぼ私物化している撮影ブースを除くと、十畳程の広さの店内の殆どを、フィルム現像機や業務用プリンターが専有していた。その機械同士の隙間で、現像機の廃液処理を行なっていたこの写真店の店長でもある鈴木ハジメさんが、ヒョッコリと顔を出し、こちらの喧騒を淀んだ瞳かつ羨望の眼差しで見つめていた。


「……店長、おはようございます。何か引き継ぎや手伝う事とかはありますか?」


「はい、おはよう。手伝い……手伝いねー……もう、ハルからの……御徒からの現像依頼は、とっくに終わっているし……今日のお昼ご飯をどこにしようかと悩んでいたところだったよ」


 廃液を溜め込んだポリタンクの蓋を閉じ、ハジメさんは、エプロンのポケットから精密機械への影響が少ない、微電子タバコをゆっくり吸っては、プカプカとホログラムを吐き出す。そんないつも通りにマイペースで呑気そうな店長の姿を見て、どうしてこの店が未だ潰れないのか、俺やサツキ、ピーモも、同じことを思ったのに違いないだろう。


「そういえば……手伝って欲しいのは、私じゃなくて、サツキ君の方でしょう?」


「そ……そうだった! オワゾウ君! 君にどうしても頼みたい事があるんだよ!」


 まるで、クリスマスプレゼントを発見した幼児のように、爛々と目を輝かせているサツキが、高価そうなクチナシの香水の香りを漂わせながら、俺の顔へと、頭突きしそうな勢いで近付く。なにか……すごく……凄く嫌な予感がした。


「俺はやらないぞ。それにさんを付けろ」


「まだ、なにも言っていないよ!?」


「さっきも言ったと思うが……給料日まで一週間以上あるっていうのに、全財産、所持金が五百円ぽっちしかないんだ。いいか、全財産が五百円だぞ? 一万を千、千を百円にしか感じていないサツキには分からんと思うがな。俺にお前のごっこ遊びに付き合うほど、そんな暇はな――」


 カランカランと、店のドアに取り付けられた呼び鈴が鳴ったかと思いきや、こんな停止液臭い写真屋に、決して一人だけで訪れないであろう、小学校高学年ぐらいの女子が、見覚えのあるチラシを手に持ち、俺とサツキをジーッと凝視していたのだ。


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。ココは見ての通り……写真屋さんだよ」と、ハジメさんは微電子タバコをしまい、接客の為に立ち上がった。彼女もサツキ同様、身長が百八十近くもあり、俺を除けば、巨人みたいな女性とメイドの女装をしている男が、見下ろしてくるものだから、入店してきた少女もたじろいだだろう。


 ピッと、カメラの露出計が小さな音を立てた。


「……オワゾウ」


 ピーモが囁き、すかさず俺はハジメさんに、アイコンタクトとハンドサインを送り、お互いに小さく頷いた。サツキは、鼻息を荒くさせながら、ヴィクトリア朝のビンテージ丸テーブルをわざわざ前に運び出し、写真のロスプリントで束ねたメモ帳もどきを広げ、少女に向かって高らかに声を張り上げた。


「ようこそ! 何でも屋の千里眼堂へ! お嬢ちゃんは、どんな悩みで当店へおいでになったんだい?」

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