秋葉原念写師奇譚

高橋末期

第一章・五月 SD(セキュア・デジタル)

第1話 東京都台東区魔窟電機街・秋葉原

 朝六時くらいになると、真下の階にあるコインランドリーのシャッターを、大家の石井さんが、けたたましく開け放つ。普通のアパートだったら、苦情でも言われるだろうが、自分同様にこのアパート……日昇荘に住んでいる住人は、それを目覚まし代わりに、俺を含めて規則正しい生活を送っているのか、隣人もガタゴトと音を立てながら、朝の支度を始める音が漏れてきた。


「オワゾウ……おはよう」


 防湿庫から貧血気味のピーモの声が聞こえてきた。人工知能のクセして、貧血気味というのも変な話だが、大元のメモリ容量が足りないせいか、不要なキャッシュクリアを行う為に、起動が遅れている為だろう。


「おはよう、ピーモ。なんか、連絡はあるか?」


「迷惑メールは言わずもがな……っていうか、いい加減メールソフトの有料プランに入ってくれないかい? ボクがゴミ広告アドを消す身にもなってくれよ」


「……数円の値段差の豆腐で悩む俺に、月に千円もする管理ソフトを入れろってか?」


「はあ……野暮な提案だったね。肝心のメールは、大学からの請求諸々、シャシン関連のバイト依頼、あ、御徒町の和嶋社長からもね。それに……デリクのボンボンから、いつもの時間に、レインボーアイズで、だと。遅刻したら、タニザキの三十三アイスを奢らせて貰う! だってさ」


「あんな、身体に悪い合成着色料の塊食べてっと、歯と脳が溶けるぞ、って返信しとけ」


 布団をしまい、昼の弁当の支度とその余りもので朝食を食べる。仕事道具であるカメラの点検を行い、手持ちのフィルムと、カメラの残数を見ながら、長い溜息をした。


(――天気情報に続き、本日の龍脈情報です。再活性レベルは未だ壱のままですが、微細な数値変動が起き続けており、警戒を怠らぬよう潜降者らは採掘活動を続けてください……秋葉原で立て続けに起きている行方不明事件ですが、管轄責任社である九十九重機の担当役員の声明では――)


 電気やラジオを消し、アパートを出ようとする。ドアノブに手をかけようとした時、ふと俺はピーモを起動させた。


「今さっきスキャンしてみたけど、あのヤクザは、待ち伏せしていないよ」


 そう聞くやいなや、安堵した俺はそそくさとアパートの階段を駆け下りていき、コインランドリー前にある蔵前橋通りを、東の方角に向かって歩き出す。


「今日は一層、の霧が濃いね」


「いまさっき、龍脈は再活性していないって、言っていたのにな。実際、こんなもんだろ」


 ピーモが言っているアソコというのは、今から俺が向かう場所……ジャンクと犯罪者の掃き溜め、人種のカレーライス、変態共のスラム、極東の魔窟電機街と呼ばれいる秋葉原の事だった。押上にあるランドマークタワーと同じくらいの高さがある九十九重機の本社ビルを中心に、それを取り巻くように中、小のビル群らが、山なりのような形で集まっている。わざわざ、遠い国からこの異様な光景を見に来た外国人が、秋葉原富士だの、アキバボロブドゥールという、別称で呼んでいるくらいだった。


「再開発計画反対! 私達のアキバを取り戻せ! 企業複合体コングロマリットの独占から直ちに解放しろ!」


 蔵前橋通りを真っ直ぐ進み、首都高速の高架とその下を通る昭和通りの横断歩道を渡ると、そこから本格的な秋葉原電機街へ突入する。かれこれ、ニ十年以上は進んではいない、企業複合体コングロマリットらの都市再開発の反対運動家を尻目に、俺は蔵前橋通りを直進し、山手線高架下にある「海鮮のハヤブサ」のスーパーマーケット傍にある路地に入り、元々、「やっちゃば」と呼ばれていた青果市場だった雑居ビルの中に、「レインボーアイズ」と呼ばれているDPE写真店がある。


「おい、遅かったじゃないか、オワゾウ君! 遅刻した詫びの品は、持ってきてくれたんだろうね? 紅茶に合うアイスをさあ!」


 写真屋の奥の方……今は使っていない撮影ブースを(勝手に)改装し、どこからか持ってきたか分からない、ヴィクトリア様式朝の家具に囲まれながら、どういう訳か、メイド服姿の女……いや、女装姿のサツキが、空になったティーカップをソーサーへ強く置き、上目遣いで俺を睨みつけていた。

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