第二十話 火の童、風の兵
火車が静かに火種へと還っていったあと
焔ノ峰には、短い静寂が降りた。
けれどそれは安らぎではなかった。
あまりにも静かで、あまりにも痛い静けさ。
炎羅童子が、そこに立っていた。
揺らぐ炎。
人の形を模しただけの輪郭。
光も、影も、意思もない。
ただ――。
『……ア……アァ……』
泣き声だけがあった。
その声は生まれることを許されなかった火の声。
燃えたい。
燃えられない。
どこへ行けばいいか知らない火の声。
「……苦しいんだね」
ひかりの言葉に応えるように、炎羅童子の炎が震えた。
沙羅は胸に手を当てて息を吸う。
「燃えられない火ほど苦しいものはないよ。
火は燃えることでしか生きられない。
燃えない火は、死ぬこともできない」
ひかりは唇を噛んだ。
(誰かを焼きたいわけじゃない
ただ、燃えたいだけなのに……)
ナナシが前に出た。
刀を構えていない。
ただ歩いただけ。
それでも炎羅童子はナナシを見た。
「嬢ちゃんも火巫女も、手ぇ出すな
こいつは……俺の領分だ」
ひかりと沙羅は踏み出しかけて、それ以上進めなかった。
ナナシの背が、火に触れようとする風のように見えたから。
「火はな……燃えられねぇと、泣くんだ」
炎羅童子が揺れる。
火が泣き叫ぶ直前の波。
『……アァ……アア……!』
炎羅童子が飛びかかった。
爪でも牙でもなく。
燃えられない火の衝動。
ナナシは動かない。
風が勝手に吹いた。
――《風斬り》
刃は抜かれていない。
風が裂けただけだった。
炎羅童子の形が、一瞬だけ整う。
揺らぎから、炎らしい揺らぎへ。
「そうだ。それがお前の“火”だ」
ナナシは歩く。
一歩。
また一歩。
炎に触れても燃えない。
風は火を肯定する存在だから。
『……ッ……ア……』
「泣いていい。
燃えられなくて苦しかったんだろ」
ナナシの声は低く、荒く。
それでも温かった。
「火が燃えるのは生きてる証だ。
誰かに許されなきゃ燃えられねぇなんて、そんなのは火じゃねぇ」
炎羅童子の炎が大きく揺れた。
燃える。
燃えたい。
燃えたかった。
けれど燃えられなかった。
ナナシは刀を抜いた。
だが、斬るためではない。
「戻れ、
帰れ、
燃えられる場所へ」
――ひと振り。
炎羅童子の形がほどける。
爆ぜない。
散らない。
ただ、柔らかく。
生まれ損ねた火が、生まれる前の火へ還る動きだった。
『……………………!』
声にならない声。
ひかりも沙羅も、息を呑んだ。
炎は火種となり。
大きな息に溶けるように、焔ノ峰の奥へ吸い込まれていった。
ナナシは刀を収める。
背を向けたまま、枯れ草を噛む。
「泣いてる火は、放っとけねぇんだよ」
ひかりは小さく笑った。
泣きそうな笑顔だった。
「うん。
知ってる」
沙羅は火の揺らぎを見つめる。
「まだ泣いてる。
奥で、ずっと」
ひかりは前を向いた。
「行こう」
ナナシと沙羅も続く。
三人の影が、焔ノ峰の心臓へ向かう。
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