第33話 裏帳簿と献花の短冊



 王都の正門前で警備を担っている守衛の男は、北方方面へと伸びる街道を眺めながら、今日も今日とて槍を持って愚直に立ち続けている。


 日々街道を行き交う人々の安全を祈りつつも、不届者が紛れていないか警戒するのが大事なお役目だ。


 最近は不逞の輩が跋扈しているというが、金銀財宝を抱えた無頼漢の集団が彼の前へと現れたことはない。


 今日は要注意人物のお達しまであり、金髪碧眼の若い男と琥珀色の目をした栗毛の少女を見かけた時は、引き留めて素性を検めろとまで指示されていた。


 だが、古今東西から人が集まる王都において、そんな特徴を持った者などごまんといる。その特徴だけで逐一不審者扱いするなど、不可能に等しい。


 せめて正式な手配書を出せと、守衛の男は不満を抱いていた。


 そんな彼の日課は不審者の発見よりも、ダンジョンの攻略に失敗して転移されてきた冒険者を出迎えて労うことだった。


 そして今日もまた、突如として彼の視界が眩い光によって遮られる。


 守衛は「ああ、またか」とでも言いたげな眼差しでその光を眺めていると、光の中から見慣れた金色の双眸を湛えた少年が姿を現す。


 ここ数日、攻略失敗の常連と化している少年の転移に肩を落としつつも、今回はそのひどい有様に彼は思わず吹き出してしまった。


「ぶっ────はっはっは! なんだジン、その格好は! それにお仲間まで! お前ら頭から泥でも被ったのか? はっはっは!」


 守衛が笑いながら指摘する通り、転移してきた三人は泥沼に浸かった後のように頭からつま先まで全身まっ黒になっていた。


 笑い声につられて周囲を行き交う人々が注目するが、守衛が咳払いをすると皆一様に興味を失ったように通り過ぎていく。


「あー悪い悪い、晒し者にする気はなかったんだ。ただ、ジンは目が金色だからな。ちょっと黒猫みたいで面白かったんだ」

「ああ、なるほど。自分じゃわからなかったんですけど、オレたちそんなに真っ黒になっているんですね」


 守衛が目の前の存在をジンの率いるパーティーであると判断できたのは、ひとえにジンの特徴である金色の瞳のおかげのようだった。


「それにしても、仲間を増やしても攻略に失敗するなんて、お前も懲りないヤツだなぁ。でも、今日も無事に戻ってこれたようで良かったよ」

「はは、おかげさまで。いつもお気遣いありがとうございます」


 いつも通り労う守衛に、ジンは乾いた笑いを返す。


 守衛は元気そうなジンを見て安堵の息を吐くと、王都の方へ視線を向けて促した。


「ほら、早くギルドに行って泥落としてこい。そんな格好じゃ泊まれる宿もないだろう? その辺の人に泥をつけて面倒事にならないうちに、さっぱりしてこい」

「そうですね。このままじゃご飯も食べられませんからね」


 守衛の言うように、冒険者ギルドはダンジョンで汚れた冒険者用の洗い場を設けていた。


 と言うのも、泥まみれで帰還する冒険者や、トラップで全身から異臭を放つ冒険者は少なからず居て、そうした冒険者は宿屋や飲食店から入店を拒否されてしまうからだ。


「それじゃあな。まぁ、いつも言っているが、くよくよするなよ。そんでもって、いつかデカい宝石の一つでも持って帰ってこいよ」

「うん。いつか必ず。その時は、一番に見せに来ますね」

「おう。首を長くして待ってるよ」


 そしていつものように守衛は励すと、手を振って別れを告げるジンと仲間の二人を見送った。


 しかし、守衛は不意に疑問を抱いて首を傾げる。


「……ん? そういえばあの仲間の二人、全身泥まみれでよくわからなかったが、碧眼と青年と琥珀色の目を持った少女だったような?」


 髪の色以外は要注意人物と特徴が一致している────が、やはり呼び止めようとは思わなかった。


 仮にあの二人が要注意人物と同じ特徴を持っていたとしても、いつも健気に頑張っているジンが信頼の眼差しを向けている仲間だ。怪しい奴らではないだろう。


 守衛の男はそう判断すると、再び街道へと視線を戻し、行き交う人々の安全を願うのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 どうにか王都へと入れたジンたちは、泥まみれということもあって、人混みを避けるために城壁側の裏路地へと身を潜めていた。


 そこでようやく人心地ついたのか、三人は揃って大きなため息を吐いた。


「いやー、あの守衛さん、今日一番焦ったよ。まさか転移直後に話しかけてくるとはな。一瞬、ハルロゥの手下に捕まったかと思った」

「はい。当初の作戦ではジンさんの【強制転移】で帰還後、私とアフィンはスキルで姿を眩ました上で正門を抜ける予定でしたからね……ジンさんのおかげで素通りできたのは幸いでした」


 仮にスムーズにダンジョンを脱出できていたとしても、タイムリミット後にハルロゥが権力を使って守衛に警戒させることは予想していた。


 なので昨日まで無関係だったジンはともかく、ハルロゥと因縁のあるアフィンとクナイは顔が割れている前提で行動する予定だったのだ。


 もっとも、それは杞憂に終わったのだが。


 ホッと胸を撫で下ろす二人に、ジンは困ったように頬を掻く。


「あの守衛さんにはよく会うし、ほぼ顔見知りだからね。まあヘルム越しだから声と雰囲気でしかわからないんだけど……とにかく、あの人は冒険者をいつも気にかけてくれる良い人だよ」


 それはジンが素直で健気な冒険者だからだろう────と、二人は思ったが、口にはしなかった。


 そしてジンの顔に免じて通してくれたであろう守衛に心の中で感謝しつつ、アフィンとクナイは気持ちを切り替えてジンと向かい合う。


「それで、ここから先はジン先輩に任せて大丈夫なんだね?」

「色々とあった後で不躾なのは承知の上ですが、一刻も早くハルロゥたちの悪事を暴くことが先決です。どうかお力添えを……」


 クラッドが敗北し裏帳簿が奪われたことに、ハルロゥが気付くのは時間の問題だろう。そして証拠隠滅を図るために動き出すのは間違いない。


 つまるところ、ここからさらに時間との戦いになる。


 しかし、アフィンたちは名の通った盗賊団【イリオス】だ。ハルロゥを失脚させる『切っ掛け裏帳簿』を手に入れたところで、それを有効的に扱えるコネ・・が無い。


 だがそんな二人に対して、駆け出し冒険者でしかないジンはコクリと頷いた。


「そこは心配しないで。大丈夫。コレ・・さえあれば、必ず動いてもらえるはずだから」


 そう言って徐に泥まみれのバッグを開く。バッグは防水加工が施されているそれなりの品のようで、中身の荷物は一切汚れていなかった。


 そしてジンはバッグから一枚の水色の紙切れを取り出す。それは一見すると大きめの栞のようにも見えるが、よく見ると複雑な幾何学模様がエンボス加工されていた。


「それはなんだい?」

「あのダンジョンを踏破した証────【献花の短冊】だよ。慰霊碑の裏で裏帳簿を見つけたときに回収しておいたんだ。コレがあれば、必ずギルドマスターは動いてくれるよ」

「あの冒険者ギルドのギルドマスターが、ですか?」


 予想外の人物だったのか、クナイは声に驚きを滲ませる。


 ダンジョンの最下層に設置された慰霊碑に添えられた【献花の短冊】を持ち帰れば、その冒険者はダンジョンを踏破したとされ、ランク評価を上げることができる。


 ゆえに、ダンジョンの最下層に到達し、慰霊碑を訪れた冒険者は必ず【献花の短冊】を持ち帰るのだが、では、冒険者人生を左右すると言っても過言ではないそれ・・の真贋は、どうやって判断しているのか。


「実はこれはね、ギルドマスターが直々に作っているマジックアイテムって噂されてるんだ。複雑な加工が施されているけど、クラフト系のスキル持ちなら再現できなくもない。

 だけど、贋作を提出した冒険者は例外なく降格処分を受けているんだ。他ならない、ギルドマスターの苦言付きで『偽りの証明ほど虚しいものはない』ってね。

 だから、ギルドマスターだけが真贋を見極められる【献花の短冊】は、彼に対する一番説得力のある証明になり得るんだ」

「つまり、裏帳簿がハルロゥのダンジョンにあったことを証明する【献花の短冊】を一緒に渡せば、ギルマスは必ず動いてくれるってことかい?」


 アフィンの問いかけにジンは自信に満ちた瞳で首肯する。


「うん。ギルドマスターは冒険者のロマンの為に動くからね。何より冒険者の聖地であるダンジョンを悪用した事件だし。

 それに、そんじょそこらの貴族程度じゃ太刀打ちできない権力者でもある。借りれる虎の威は借りないとね」


 そう言ってイタズラを思いついた子供のように笑うジンに、アフィンは小さく肩をすくめた。


「ハルロゥのヤツも因果応報というか、泣きっ面に蜂だなこりゃ」



 ────そうして仕上げのプランを立てた三人は、夜に再会する約束をして解散するのだった。


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