第31話 温かなお湯と、背中を預け合う絆。

 【家】の脱衣場。


 全身ぽたぽたと濡れ鼠になったあたしは、ずぶ濡れの衣服を脱ぎ捨てる。


『大丈夫だ! 俺の予想どおりなら、すぐに異変はおさまるはず!』


 ──あのとき、ヒキールがそう叫んだとおりに。


 さらなる脅威が出現することもなく。


 あのあと、あたしが思わず拍子抜けするくらいに、意外にもあっさりと事態はおさまった。


 ……というよりも、こういってはなんだが、どうやら本当に単なる事故みたいなもので。

 あたしたちの真水竜討伐をトリガーにして事前命令どおりに再起動した、遺構のシステムの仕様に巻き込まれただけだったらしい。


 あたしにはさっぱりわからないんだけど、何かに気がついたらしきヒキールがそう言っていた。


 いまもヒキールは【家】の外で過剰魔力吸収のペンダントを身につけて、完全に干上がってカラカラになった遺構プールを調べまわっているはずだ。

 きらきらと子どもみたいに目を輝かせている姿がありありとあたしの目に浮かび、思わず笑みがこぼれた。


「……でも、それにしても危なかったわ。全員無事で、本当によかった……! せっかくみんなで真水竜を討伐していよいよこれからってところで……、うん、そうね! 

 これからは討伐が終わっても、最後まで気を抜かないようにしないと! 家族みんなで無事に【家】に帰るまでが冒険よ!」


 脱衣場の鏡の前で一人気合を入れ直すと、浴場の扉を開ける。

 広々とした白い石造りの壁と天井に、静かに湯気が立ちのぼる。


 壁の装置に手をあて魔力を流すと、すぐに備えつけられた魔導散水器シャワーからは、温かいお湯が注がれる。


 激流に激しく揉まれ、冷えきったあたしの体に、じんわりとぬくもりが広がっていく。

 温かな湯気の中で呼吸がゆるみ、心までほぐれていくようだった。


「ふぁ〜〜。今日は本当に疲れたわ〜。すっごく生き返る〜」


「ふふ、本当ですね。冷えきった体に温かいお湯がとても気持ちいいです。プリアデさま。今日はお疲れさまでした。……私も、今日は少々疲れました」


 突然かけられた、あたしと同じように心地よさそうな声に思わずハッとする。


 ずぶ濡れで冷えきった体に浴びる温かいお湯のあまりの心地よさに。

 あたしよりも先にお風呂に入っていたはずのその少女のことをすっかり忘れていた。


 ──シルキア・ハースメイド。


 煌めく銀色の髪に吸い込まれるような紫水晶の瞳。

 あたしも大きいほうだけど……あたしよりさらに胸が大きく、スタイルもすごくいい。


 物腰はやわらかくて優しく、温和だ。


 ……本当にメイドなの? と思わず唸ってしまうくらいに強くて、すごく頼りになる。


 ──でも、強さではあたしも負ける気はない。もっともっともっとあたしはまだまだ強くなる。


 さらに、家事全般万能。特に料理は「一生あたしのために作って!」と心からお願いしたくなるくらいに最高に美味しくて、毎食幸せになる。


 ──本当に一生作ってほしい。お願い。


 まさに完璧なメイド。


 ……茶目っけたっぷりで、さっきみたいに事あるごとにあたしや主人であるはずのヒキールをからかってくることも含めて完璧だ。


 ついさっき、あたしより先に激流の中に飛び込み、目的の水竜の魔石を手に入れた直後。

 脱出困難と判断するや、呼吸を止め消耗を抑えるために自らを一時的な仮死状態にしていたというのだから、本当に驚きだ。


 ……本当にメイド?


 ──でも、本当によかった。


 荒れ狂う激流の中、シルキアを見つけて離さないように後ろから抱きしめたときと。

 ヒキールに転移で助けられて【家】の中に二人一緒に戻れたとき。

 そして、必死の呼びかけに、シルキアが無事に目を開けてくれたときのあの心の底から安心した、そして愛おしく思う気持ちは……きっとあたしは一生忘れられそうにない。


 シルキアには、もう二度とあんな無茶はしてほしくない。

 無茶するときには、せめてあたしもついていって一緒に無茶したいと心から、思う。


「プリアデさま。今日は助けていただき、本当にありがとうございました」


 そんな決意を胸に誓っていたら、シルキアがあたしに向かって突然に深々と頭を下げた。


 そんなふうにあらたまって言われると、思わずすっごく照れてしまう。

 お互い裸だし、シルキアはやっぱりすごく綺麗で。


「い、いいわよ……! そんなあらたまって言わなくても……! そもそもあたしが出しゃばらなくても、ヒキールがあたしとシルキアを引き戻した【家】への強制転移だけでもなんとかなったのかもしれないし……」


「いえ、プリアデさま。ヒキールさまだけで間に合ったのか否か、それはもう誰も、私たちを見下ろす天上の神すらも知ることはありません。だから、私のこの胸に刻まれた事実は、ただ一つです。

 ──あのとき、私は確かにプリアデさまに助けられました。本当にありがとうございます」


 そこに刻まれた想いを確かめるようにシルキアは自分の胸に触れ、あたしを見つめた。


 まっすぐな想いを思いもよらないところからぶつけられ、あたしの頬が思わず緩んで──同時に耳まで真っ赤になる。


「そ、そんなに言うなら、お、お礼は受け取っておくけど……! で、でも、本当に大したことじゃないのよ! 

 あ、あたしも、ヒキールと同じで、大切な家族シルキアを失いたくなかったってだけだし……」


「プリアデさま……!」


 そっとシルキアがあたしの手を取る。


「では、家族として、感謝と親愛を込めてプリアデさまの背中をぜひ流させてください」


「い、いいわよ……! お、お手やわらかにね? そ、それから、あとであたしも……し、シルキアの背中、洗ってあげる! 

 ひ、日頃の感謝と、親愛と、か、家族としてこれからもよろしくね、って想いを、込めて……!」


「ふふ。はい。こちらこそ、これからもどうぞ末永くよろしくお願いします。プリアデさま」


 そこまでを言うとこれ以上耐えられなくなったあたしは顔を真っ赤にしたまま、シルキアに背中を向けた。


 背中をなぞるシルキアの手つきは滑らかで、優しくて。……姉のようで。


 ──ああ。こうやって心から安心して家族に背中を預けられるのってやっぱりいいな、ってあたしは思った。

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