第7話 許嫁と、登校と、しきたり
「あったこれか」
俺の新しい部屋に山ほど積まれた段ボールの中に、やけに細長い奴を見つけた。
開けてみると、見慣れない制服。礼鵬高校男子生徒制服と段ボールには書かれていた。
それを身に着けて、スマホのカウントダウン機能で自撮りをしてみる。
……まあ似合っているのではなかろうか。見慣れはしないけど。
私立ということで、制服のデザインはかなりこだわりぬかれているらしい。
深い黒色のブレザー、胸には白と鮮やかな赤であしらわれた飛ぶ鳥の校章がついていた。
布地もかなりいい奴だ。手で撫でてみると、さらりとまるで絹のようだった。
着替え終わっても特にすることがない。
ベッドに腰かけて、スマホを開いた。
先ほど、俺の目を覚ましてくれたメッセージ。
朝海のだった。
『分かった。待ってる』
俺の、『今は答えられない』という返答に対しての一言だった。
安心して、怖くなった。
朝海を傷つけてはいない。でも、朝海に諦められてもいない。
そんな中途半端な状況に、中途半端な俺の心が焦燥した。
疑問が湧き出た。
なんで俺に、なんだろう。
幼馴染とはいえ。これだけ、俺を好きになる理由があるのだろうか。
好きになられる理由に心当たりがないわけじゃない。
好きになられて嫌な気もしない。
ただなぜか、どうしても。
心の中で、
自分でも、よくわからなかった。
何か、俺が忘れているだけなのだろうか。そこに、何か、朝海が俺を好きになる理由でもあるのだろうか。
朝海のメッセージは、朝六時半過ぎあたりに来ている。
ずいぶんと早い時間のメッセージ。でも、昨日最後に送った時間からは遠く離れていた。
いびつな時間。
でも、なんでそんな時間に送って来たのかはわからない。
というより、考えたくなかったのかもしれない。
スマホを閉じてポケットにしまって、腕を放り出してベッドに横になる。
そこには、見知らぬ天井があるだけだった。
×
「行ってきます、お父さん、お母さん」
「い、行ってきます」
「はぁい、行ってらっしゃい」
「気を付けるんだぞ」
「行ってらっしゃいませ」
ぱたぱたと手を振る漣華さんの母親と父親、そして使用人の方を背に、俺たちは門を出た。
こんな人数に見おくられると、なんだか変な感じだった。
あたり一面の田んぼ、そして平地。
じゃりじゃりと、舗装のされていない土の道を歩く音。
そして隣には、俺の方ほどの身長の漣華さんがぴったりくっついて歩いていた。
自然に心臓が胸を蹴ってくる。
女の子と、一緒に登校とは。
小学生以来、初めてかもしれない。
あのころは、何人かで一緒に登下校していたものだけど。
「達哉さん」
「あ、はい」
「あそこのバス停に乗って、駅に行きます。現金は、持ってますよね」
「はい、大丈夫です」
うわ……すっごいほったて小屋みたいなバス停だ。
俺の家からたった一時間ちょっとで、こんなものが見れるとは。
そこへ着くと、漣華さんは小屋の中のベンチにギシリと腰を下ろす。
「どうぞ」
「え、あ、はい」
手招きをされて、俺もその隣に座った。
やばい、緊張する。
初めて朝日の下で見る漣華さんは、とても綺麗だった。
綺麗、というよりも。なんだかみずみずしいような。
夜の中でなく、日の光に照らされると、白いホウセンカのように、静かなのにとっても綺麗に見えてくる。
「達哉さん」
「は、はい」
すると、漣華さんが声をかけてきた。
またびくりと肩を揺らしてしまった。婚約者相手にこんなのでいいのだろうか。
しかし漣華さんは毎回とくに気にしていないようで、普通に話してくる。
「せっかくなので、この家のしきたりについて、もう少し話しておこうかと思います」
「しきたり……あ、はい」
頭の後ろに、どうしてもあのキスがフラッシュバックして反応が遅くなってしまう。
俺の心をよそに、漣華さんは俺を上目遣いに見ながら説明を始めた。
「まず、わたしたちは許嫁、です。できるだけ、傍にいてください」
「そば、に」
その響きに、思わず胸がドキッとする。
女の子にそう言われると、まるで告白のように聞こえる。
「はい。見ての通り……あまり、力も強くないですから」
「わかり、ました」
それはつまり、いざとなったら守ってくれという事だろうか。
さらに漣華さんは続ける。
「二つ目に、私たちが成人した時には、結婚が決まっています。これは、さすがに……」
心配そうに見てくる漣華さん。
いや、一体なんだと思われてるんだろうか。
「はい、大丈夫です。さすがに」
すると、漣華さんはほうと安心したようにため息をついた。
「……ですので、火遊びは、ほどほどに……できれば、お願いします」
……なんだと思われているのだろうか。
そんな度胸のある男だと思われているのだろうか。
というか、先入観なのだか、漣華さんの口からそういう注意が出てくるとは思わなかった。
「いや、大丈夫ですよ、そんな」
「そうですか。それでは、最後に。これだけあっていれば、当面の間は大丈夫です」
「はい、なんでしょうか」
すると、漣華さんは顔をふいとそっぽに向け、胸元で手を握り締めた。
その顔が、少し赤くなる。
「契りの儀は、一日に一回、お願いします」
「……へ?」
今日何度目か、心臓がどくんと動く。
しかし、それは今日一番に悪い高鳴りだった。
「え、それって、つまり」
すると、きゅっ、と漣華さんは目を恥ずかしそうにつむった。
「たしかめる、ため、です」
まるで言い訳のように、口早に言う。
「愛情をたしかめるために、契りの儀は、一日に一回。そう、決まってるんです」
「マジ、ですか」
「ま、まじ、です」
いいづらそうに、漣華さんは復唱した。
「そ、それは……今、ですか?」
「……でき、れば」
……マジかぁ。
そうか。そりゃ、ただでこんないい家の婿入りなんてできるわけはないか。
それに相手はただのよそ者。こうやって親交を深めていく必要が、大昔からあったのかもしれない。
そのやり方が、一日一回のキス。
ずいっ、と漣華さんはこちらに寄って来た。
おもわずびくりと動いてしまう。
「れっ、漣華さんっ」
「ごめんなさい、お願いします」
ぐっ、と決意を固めたような顔だった。
もう、のしかかってくるような勢い。
この人、なんでこんなキスに関してはこんなアクティブなんだ……!?
普段はおしとやかなのに。
「私じゃ、いや、ですかっ」
「そ、そんなことはないですけどっ、ちょっとくらい待ってくださいよっ……!」
「もうバス来ちゃいますよっ」
「わっ!」
腿の上に、あったかいものが乗ったかと思えば、それがぐいっと動いて来た。
「えっ、漣華さんっ」
漣華さんがのしかかって来た。
ずっしりと女の子の体重を感じる。
間近に迫る漣華さんの顔。
ふわりと、女の子の匂いが漂ってきて、不意に脳内がびりびりした。
「あ、まっ」
目の前に迫る顔。そこから感じ取った、強烈な嫌な予感。
「んむっ」
口元を突く、あり得ないくらいに柔らかくて、脳漿をくすぐる感触。
手が、勝手に動いて。
がしっ、と漣華さんの腰を掴んでいた。
びくり、とその体が揺れる。
にゅるっ。
「う゛っ……!」
はいって、きた。
また。
にゅぢ、と、俺の舌と、唾液が絡み合う音。
びくんと脳が白とびする。
ぐ、ぐに、と動く漣華さんの腰。
まるで、そういう行為をしているかのような。
離そうと思っても離れない。
漣華さんはおれの肩に手を回して、ぐっと抱き着いて来ていた。
交わること、十数秒。
「はあっ……」
口が、ようやっと自由になった。
目の前に、影の落ちる漣華さんの顔があった。
つう、とその口端からつながるもの。
それは俺の口とつながっていて。
離してなお、まだくっついていたいと、何かが言っているかのようだった。
そして、漣華さんの顔は、まるで何かを心配するかのように、憂うような表情で、俺をじっと見つめていた。
その時、俺は。
漣華さんの手が、ふるふると、俺の方で小刻みに揺れているのに気が付いた。
「大丈夫、ですよね」
「えっ……?」
飛び出てきた思わぬ言葉に、理解が追いつかなかった。
「こう、してれば。達哉さんは――――」
大きな音が鳴った。
ごおっ、と大きなエンジンの音が。
漣華さんの後ろに、バスが到着した音だった。
その音の中で、漣華さんの口が動いた。
でも、聞き取ることが、俺にはできなかった。
焦った顔で後ろを向く漣華さん。
慌てて、俺の上から飛び降りる。
ぷしゅっ、とドアが開いて、そこから老齢の男性の運転手が顔を出した。
「お客様、もう少しお楽しみの時間が欲しいなら、十分ほどダイヤをずらしますが」
「すっ、すみませんっ、大丈夫ですっ」
悲鳴のような漣華さんの声。
そんな彼女の耳が真っ赤になっているのを、後ろからでも見ることができる。
そそくさと逃げるようにバスに乗る漣華さんの背をぼんやりと見つめて、それからやっと気が付いて、俺もバスに乗り込もうとする。
それから財布を取り出して、車掌さんと目が合った。
にこり、とその皺の多い頬に、さらに皺がよった。
「新しい婿さんか」
「え、はい」
「まあ、頑張れよ」
ぽん、と俺の方にその手が乗る。
「は、はあ……」
「ま、このバスに乗るのはお前さんかお嬢さんくらいだ。ごゆっくりどうぞ。監視カメラは見ない振りしとくから」
「そ、そんなんじゃないですよ……!」
「ま、ともかく駄賃を入れてくれや。出発するぞ」
ぐおん、とバスは音を立てて前へと動く。
俺はお金を入れて、後ろの方にいる漣華さんの隣へと歩を向けた。
漣華さんは外を見ていた。
何かを憂うような、悲しんでいるような、そんな表情。
この人にも、何かあるのだろうか。
俺の唇をあんなに奪って、それでもこんな顔をするほどの。
結局、考えても分からないが。
俺はその隣に座って、バスは舗装されていないあぜ道を、揺れながら走っていった。
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