第3話 SOS

 「寧花ちゃんって、双郷くんのこと好きでしょう?」


 「え!?」


 双郷くんがアルバイトをはじめてから一ヶ月が経った。高校は夏休みに入り、私も双郷くんもたくさんシフトを入れるようになった。その分、私たちは以前よりも会う機会が増えた。


 彼をよく知る身からすると気色悪いほど笑顔を振り撒いている彼は、すっかりアルバイト内の女子や女性客から人気を得ていた。


 彼が馴染むのが嬉しいような、何だかモヤモヤするような……そんなよくわからない気持ちでグルグルしていると、バイトの先輩である里衣さんが私を笑った。


 「え、そ、そんなことないですよ!? ただ、昔付き合ってたってだけで……」


 「ふふ、顔真っ赤にして……可愛いわね、寧花ちゃんって」


 意地悪なことを言って里衣さんが笑う。私は慌てて自分の顔を触ったが、確かに驚くほど熱かった。


 「いや、でも私……本当によりを戻したいとか思ってないんです」


 「何で? 双郷くんも貴女のこと気に入ってるじゃない」


 「……双郷くんの邪魔になりたくないんです」


 そう、多分私は彼の邪魔だった。だから、振られた。


 好きとか嫌いとか、そういうことではなかった。 双郷くんの守りたい世界は、私にはわからない。教えてもらえない。それが、私と彼の距離だった。


 里衣さんは制服から私服に着替えながら「そうなんだ」と呟いた。里衣さんはいつも優しく私を助けてくれる大好きな先輩だが、たまに冷めた目をするときがある。今が、そのときだった。


 「でも、一人じゃ上手くいかないと思うの」


 「え?」


 里衣さんの言っている意味がわからず思わず間抜けな声を出すと、里衣さんは薄く笑みを浮かべたまま私を見た。


 「最近、彼、顔色悪いじゃない? 心当たりある?」


 「えっと……」


 確かに、双郷くんは日に日に顔が青白くなっている。仕事はそつなくこなしているが、雑談の中ではどこか心が別のところにあることが多い。


 それは、中学のときにもあったことだった。彼が何に苦しんでいるのかわからないことが多くて、心配したら必ず怒られた。



 中学2年生の春休みに入る前、彼は特に荒れていた。


 余程具合が悪かったのだろうある日、二人きりの公園で彼は珍しく学園に戻りたくないと話していた。何故なのかも教えてくれないが、苦しそうに嘔吐する彼の背中を擦った。


 じゃあ、ずっと一緒にいようと幼稚なことを言った。そんな私を、彼は見たこともないような目で睨んだ。


 「嘘だ」


 「え……?」


 「どうせ、お前もいなくなるんだ。お父さんと同じように、皆いなくなるんだ」


 掠れた声で、双郷くんは言った。


 「違うよ、私、双郷くんのこと見捨てたりしない」


 「嘘吐くんじゃねぇよ!!」


 どこで堪忍袋の緒が切れたのか、私にはわからなかった。


 双郷くんは拳を振り上げ、殴り掛かろうとしてきた。


 咄嗟に目を瞑った。はじめて、彼が怖かった。


 でも、どんなに待っても痛みは来ない。恐る恐る目を開けると、拳は上げられたままの態勢で彼は固まっていた。


 双郷くんの体は不思議なくらい震えていて、彼は訳もわからず笑っていた。あまりに歪な笑顔は、不気味なのと同時にどこか悲しそうだった。


 「双郷くん……」  


 「……同じなのは、俺か……」


 今にも泣き出しそうな顔をして、双郷くんは腕をゆっくりと下ろす。相変わらず、不自然な笑みを浮かべたままだった。


 「双郷くん、私は本当にここからいなくなったりしないよ。双郷くんが私といてくれるなら、私もずっといるよ? だから、そんな顔しないで……」


 普通に笑って過ごしたかった。


 それまで、普通に話していた。テストの点数で私が毎回半分も取れないからいい加減勉強をしろと小言を言われて、今度は一緒に勉強できたらいいねなんて話してただけだ。


 どうして双郷くんがこんなに苦しむのかわからない。本当は、それを共有してほしいのに、双郷くんはそれを良しとしてくれない。


 「俺は、俺……はは、あはははは」


 双郷くんの枯れた笑い声は、最早泣き声のようにすら聞こえる。


 何とか安心してほしくて、私は彼に手を伸ばした。


 双郷くんは、その私の手を見て明らかに顔をひきつる。


 「双郷くん」


 「……心配した顔するなよ」


 伸ばした手は、彼に軽く払われた。絞り出された彼の声は、戸惑いを感じさせる。


 「……もう、潮時なんだな」


 それが私たちの関係のことだと、気付かない訳ではなかった。


 双郷くんは寂しそうな目をして、やはり笑っている。


 「小芦……別れてくれないか。俺には、お前は抱けないんだ……」



 「私、双郷くんが何に苦しんでいるのかわからないんです。中学生のときも調子の悪いときは確かにありました。でも、……心配したら怒って何も話してくれないんです」


 寂しい気持ちがあるのはわかる。何かに怯えているのもわかる。でも、本当に苦しい理由を、私はきっとわかってあげられていない。


 私がうつ向きながら話すと、里衣さんは「そっか」と小さく答えた。


 「どうして人って簡単に助けを求められないのかしらね」


 「え?」


 「だって、双郷くんだって誰かに相談できれば解決する悩みかもしれないでしょう? それを彼はできない。どうしてなのかしら」


 顔を上げると、里衣さんは目を細めていた。少しだけ寂しそうなその顔は、きっと里衣さんは彼に頼られたいのだろう。


 でも、それでも双郷くんは簡単に人を頼れないのだ。


 「きっと、怖いんだと思います。人を信じることが……」


 だから双郷くんは本当の意味で人を好きになったこともないのだろう。親しそうに見えた友人ですら信用して話すこともできない、付き合った女の子すら身体的な触れあい以外意味をなさない。


 双郷くんにとって自分以外の人間は、自分の世界を壊しかねない脅威なのだと思う。


 「……悲しい話ね」


 里衣さんは頷くと「じゃあね」と言って更衣室を出ていった。

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