一章 乗りかかった小舟に揺られて
魔女の森での逃亡劇から数時間。
レイラたちを乗せた小船はゆっくりと川を下っていた。
戦いで疲弊した護衛騎士たちを休ませて、ポピーとアズラエラがオールを漕ぐ。
重傷のレイラはオールを持つことを全員から止められ、小船の隅っこで居心地悪そうにうつむいていた。
「……ねぇ、アズラエラ」
「ひゃい!な、何ですか?姫さま」
「ごめんなさい、こうして巻き込んでしまって。あの小屋にも、もう帰れないんでしょう?」
そう言って森の方を振り返る。
アズラエラの住んでいた森には今、反乱軍がひしめいている。
ここで引き返せば最悪の場合、命を狙われることになるだろう。
「そ、その、えっと、お気になさらないでください。ほんの50年住み着いていた程度ですから。そこまで思い入れはありません。
……それよりも、嬉しいのです。こうして姫さまのお役に立てたことが」
はにかみながら、アズラエラは自分の右手を見つめる。
王宮魔術師の試験の日、誰にも頼れず泣きそうになっていたアズラエラを救ってくれた幼い姫の温もりを思い出しながら。
その手をひかれたときの幸せを、昨日のように思い出しながら。
「私めがあの森に住んでいたのも、
無謀な王宮魔術師試験に挑戦したのも、
この時のためだったのかもしれません。
今日このとき、姫さまをお助けするためだったのかもしれません。
というか、その、そういう定めだったら良いなと思います。えへへ……」
「アズラエラ……。えぇ、そうね。
私もそう信じてる。
きっと、アズラエラが私のことを助けてくれる定めだったんだって」
数年越しに、アズラエラの右手をレイラが握る。
顔を真っ赤にして手汗を噴き出しながらも、
離れるわけもいかずに目を泳がせるアズラエラを、レイラは微笑んで見守った。
「でも、どうしましょう。今の私にはあなたに恩返しする手立てがないわ」
「……でしたら、その。えっと、でしたらっていうのも変ですけど、もし、よかったら……ひとつだけ、ワガママを言っていいですか?」
「……何かしら?アズラエラ」
「わた、私めに、姫さまとの同道をお許しいただけませんか!?」
勇気を振り絞って捻り出した声は、裏返りながらレイラに届いた。
少し茫然とした後、我にかえって問い返す。
「い、良いの?」
「だ、ダメですか?」
「ダメなんかじゃないわ。
何というか、私がお願いしようとしていたことだから、本当にそれでいいのか分からなくて……」
戸惑い、髪をいじりながらアズラエラの表情を伺うと、涙をポロポロとこぼしている。
「あ、アズラエラ!?どうしたの!?」
「夢が、叶った……」
「夢?」
「し、失礼しました!その、わ、私めは、いつか占いで誰かの役に、立ちたくて。姫さまに救われてからは、姫さまに、お仕えしたくて……その夢が、叶って……」
止めどなく溢れる涙が物語る。
アズラエラが己の力と理想のギャップにどれだけ悩んでいたか。
レイラは、一抹の罪悪感を呑み込んでアズラエラを抱きしめた。
「それじゃあ、今は何の力もない言葉だけれど。
……魔女アズラエラ。
あなたをこの私、レイラ・カザーニアの専属魔術師に任命します。
その力を持って、私を助けなさい」
「……謹んで、拝命します。姫さま……」
由緒のない川のただ中、名もなき小船の上で。
今際の魔女アズラエラは、カザーニア王国王女レイラ・カザーニアの専属魔術師に着任した。
こうして、今際の魔女の森を舞台にした逃亡劇は幕を閉じた。
死ぬわけにはいかない亡命王女と、死だけは予知できる欠陥魔女。
運命の出会いを果たした二人の亡命戦記は、まだ始まったばかりである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます