一章 今際の魔女
芳しいスープの香りが鼻をくすぐる。
姫が再び目を覚ましたのは、今度はベッドの上だった。
身体には包帯が巻かれ、右足には添え木が当てられている。
それを見てようやく、姫は自分の足が折れていたことに気づいた。
ボロボロになったドレスの代わりに、今はゆったりとした見慣れぬ衣服を着せられている。
「……ここ、は……?」
見る限り、どこかの小屋のようだ。
たくさんの羊皮紙と研究用であろう器具が所狭しと並んでおり、お世辞にも片付いているとは言えない。
スープの匂いは隣の部屋からしていたようで、
灯りがこちらの部屋にもれている。
何となく灯りの揺らめきを眺めていると、
そこから銀髪の女性がお盆を手に現れた。
「姫さま、スープが出来ましたよ。お目覚めになったら……ぴゃあぁぁっ!!?」
「きゃあああっ!?」
何故か銀髪の女性が先に驚いて、姫も思わず呼応する。
すぐさまドタバタと隣から足音がして、剣を持った女性とフライパンを抱えた少女が飛び出して来た。
「どうした!まさか追手か!?」
「レイラ様ー!」
その声は姫のよく知る人の声で、嬉しさに思わず声をあげる。
「マリー!ポピー!無事だったのね!」
「レイラ様!!お目覚めになったのですね!」
近衛騎士のマリーと侍女のポピーだった。
「ご無事でなによりです、殿下!このマリー、
もしお目覚めにならなかったらと思うと……ゲホッ!」
「マリー!?あ、あなた血が……」
「し、失礼しました。最悪の事態を想像したらあまりのショックで……」
負傷による吐血でないことに安心しつつ、見知った顔に会えた安堵から冷静さを取り戻す。
「そういえば、マリー。何故ここに?他のみんなは?」
「はっ!そこの魔女に殿下を匿っていると教えられ、ここに参上しました。
ローガン殿含め残りの近衛は小屋の周囲を哨戒しております」
「魔女って……」
先ほど姫──レイラが目を覚ましたことに驚いて以降、部屋の隅っこで震えている銀髪の女性に視線を向ける。
「この方が、魔女?」
「そのようです」
あまりにも情けない姿に面食らいながら、その特徴的な銀髪に目を惹かれる。
あの獣道で足を踏み外したあと、自分のもとに現れたローブの人物。
それと同じ、蜘蛛の糸を編んだような銀髪の女性。
「あなたが……今際の魔女、なの?」
「ヒッ!あ、あの、はい!それは私めの事です多分……」
尻すぼみの声をなんとか聞き取り、ひとまず目の前の怯えきった女性があの恐ろしい魔女だと理解する。
「マリー、私にはただの優しくて怖がりな女の子に見えるわ」
「はっ、自分も正直なところ未だ半信半疑です。おい、どうなんだ暫定今際の魔女」
「アッハイあの、えっと、一応巷では、そんなふうに呼ばれてますけど。
私めは別に人を呪い殺したりなんかできないっていうか……」
マリーのことが怖いのか、距離をとるために部屋の隅からもうひとつの隅までジリジリと移動しながら答える。
「とにかく、私を助けてくれたのはあなたなのね。ありがとう。
……よければ、お名前を教えてくださる?」
「ヒッ、あっ、わた、わたくし、私めはその、アズラエラ、です……」
「そう、素敵なお名前ね。改めてありがとう、アズラエラ」
「そ、そそそんな畏れ多いです私めなんぞに!私めは、姫さまのお役に立てただけで、その……」
顔を赤らめて目を泳がせるアズラエラを見ながら、レイラは心に引っかかっていたことを尋ねることにした。
「ところで、アズラエラは私のことを知っているの?」
「アッ、えっと、実は……以前、王宮魔術師を公募なさっていたときに一度だけ、お会いしました。えへへ……」
吃りながらも、幸せな思い出を話すようにアズラエラは頬をかく。
その様子に、自分が思い出せないことをレイラは少し申し訳なく感じた。
「ごめんなさい、覚えていなくて。私、なにかしたかしら……?」
「い、いえいえ!そんな、私めが勝手に覚えているだけで……」
ドギマギするアズラエラをよそに、ポピーはマリーに耳打ちする。
「おーきゅーまじゅつし、って何なのです?」
「天気などを占って、王宮の仕事をお手伝いする魔術師のことだ」
天気や災害が予見できれば内政が捗る。
よって占いのできる魔術師を国が雇うのは珍しいことではない。
アズラエラもそんな王宮魔術師を目指してレイラが住むカザーニア王国の王宮に赴いたことがあった。
「あの時、私めは広い王宮で迷っちゃって、そんな私めを幼い頃の姫さまが救ってくださったのです」
「私が小さい頃の話だったのね」
「は、はい。その、て、手をひいて、案内を、してくれたのです……私めは、その時誓いました。必ずこのお方のお役に立とうって。まあ、試験は落ちちゃいましたけど……」
「案内をされただけで忠誠を誓ったというのか?」
マリーの問いに、アズラエラはまるで恋する乙女のように顔を赤らめながら頷く。
「人に優しくされたのは、あれが初めてでして。その、それが、麗しい姫さまからとなれば……」
「魔女!」
「ひゃい!?」
「……分かるぞ」
「マリーさん!」
お互いのレイラへの忠誠心が分かった途端、つい先ほどまでの距離が嘘のように、マリーとアズラエラは同志の抱擁を交わした。
「でも、それなら最初に会ったとき脅かさないでほしかったわ。あのときすごく怖かったのよ?呻ってたし」
「ご、ごめんなさい!その、人と話すの、久しぶりで。声が……」
転げ落ちたレイラを見つけたアズラエラは、"大丈夫ですか、姫さま"と声をかけたつもりだったらしい。
しかし普段喋っていない人間は声の出し方を忘れる。
結果怪しいうめき声だけが抽出されたようだ。
「脅かすつもりは、その、なかったんです。ただ、姫さまが死ぬ定めを回避される頃合いだったので、お迎えに……」
「……待て、魔女。今何と言った?死の定めを、回避する?」
「あ、アズラエラ!私がここに来て死にかけると分かってたってこと!?」
「はい。だからあの頃の恩返しとしてお助けせねばと……」
そこまで言って、アズラエラは自身の説明不足に気づいて言葉を付け足した。
「アッえっと、申し遅れておりました。
私めには人の死が観えるのです。だから、
今際の魔女と呼ばれてます」
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