第一章

一章 死を告げる森

 鳥のさえずりが聞こえる。冷たい地面の感触がする。


目を覚ますと、柔らかい土と生い茂る草花の上に寝そべっていた。


時刻については、木漏れ日がまだ日は落ちていないとだけ教えてくれた。


「いっ……!」


遅れて痛覚が目を覚ます。身体中が痛む。


着ていたドレスはボロボロで、傍らの斜面に服の切れ端が引っかかっていた。


 あの崖のような勾配を転がり落ちたのだろう。


身体を地面に打ちつけ、枝葉に肌を切り裂かれながら。


幸いにも、落ちた先はこの柔らかな土の上。


途中で岩に頭を打つなりしていれば、どのみち生きてはいなかった。


結果的に、あの時の矢を避けて生き延びたと言える。


 そこまで思考できるほどに意識が戻ってきて、同時に思い出した。


護衛として来てくれた近衛騎士のみんなは、無事だろうか。


姫は騎士の名を呼ぼうとして、慌てて自身の口を抑える。


(声を出したら、追手に見つかるかも……!)


味方の命を犠牲に逃げ惑うしかなかった恐怖が、皮肉にも己の軽率な行動を止める理性として機能した。


咄嗟に動かした腕の痛みに顔を歪ませながら、

なんとか上体を起こして周囲を観察する。


先ほどまで自分が逃げ回っていた森と、植生は変わらない。


あまり遠くに落ちたわけではないようだ。


目を閉じて、耳を澄ませる。


騎士たちの声が聞こえれば重畳。


最悪でも追手の気配に気づけるだけマシ。


複雑に生い茂る森の中では、時に聴覚の方が得られる情報が多いことを姫は理解していた。


 耳が、遠い足音を拾う。


心臓が一瞬止まった後、その拍動を一際大きくする。


近衛騎士は基本的に固まって行動する。


しかし足音は一人分。少なくとも見知った相手ではない。


(神様……お願いします、どうか……)


もはや祈るしかない。足音の主が味方であることを。


足音が近づいてくる。


祈るしかない。神の定めに救いがあることを。


さらに、近づいてくる。


足音の主を視認する。


 その人物は、ローブのフードを目深にかぶっていた。


隙間から長い銀髪が覗く。


「……今際の、魔女?」


 それは逃亡生活の最中、耳にした噂。


この森には死を告げる魔女が棲む。


今際の魔女を恐れて誰も近寄らず、故に詳しい地図もない。


追われている身からすれば好都合な場所。


この森を逃亡ルートにした経緯は、そんな計算があった。


所詮は噂。頼もしい護衛もついている。


そんな油断があった。


そして今、走ることもできない状態で、噂通りの人影が近づいてくる。


恐怖で目が離せない。


せっかく生き延びたのに。


ローブの人物が、姫の前に立ち止まった。


「……ダイ……デス……」


呻くような声をあげながら、姫にゆっくりと手を伸ばす。


恐怖で強張っていた身体から、力が抜ける。


 結局ここで死ぬ定めだったのだ。


そう、自分に言い聞かせて諦める。


しかし、口からは裏腹の言葉がこぼれた。


「……助けて。私は、まだ、死ぬわけには…………」


ローブの人物が、伸ばした手を止める。


暫しの沈黙のあと、姫の前にしゃがんでゆっくりと抱きしめる。


温かい人肌の温度。柔らかな身体の感触。


張りつめた糸が切れたように、そのまま姫は意識を失った。

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