身の破滅まで残り3分

七乃はふと

すれ違い片思い

 拝啓 父さん、母さん。

 俺は今、好きな人と一緒に空を飛んでいます。後ろには大量のゾンビ達が、無数の手を伸ばしています。あっ、地面が近づいてきました。

 この後の事は無事に帰ってから話します。

 ちなみに全裸です。寒いです。


 俺は今ドアの前に立っている。ここはボロアパートの二階で、心霊現象が多発するからと一人の住人を除いて皆引っ越したそうだ。

 又聞きした話によると、彼女は何度も引っ越しているらしく、資金がないのだとか。

 彼女とは俺のクラスの担任の先生。高一の時に担任になり、初日で俺は心を奪われてしまった。一目惚れというやつだ。

 これまでも告白しようとチャンスを伺っていたのだが、結局チャンスは訪れぬまま、今日十八才の誕生日を迎えた。

 十八、法律で結婚を許された歳。俺はその大きな後ろ盾に後押しされながら、先生の部屋の前まで来たのだが、チャイムに伸びた指が動かない。

 決して「ごめんなさい」と言われるのが怖いわけではない。

 これは、寒さのせい。冬に突入した今、剥き出しの手は赤くかじかんでいる。寒いからだ。

 かっこ悪いところは見せられない。今のうちに事前に用意した告白のセリフを思い出しておこう。

「先生。高一の時から好きでした。結婚を前提に……お付き合いを――」

「家庭科実習の先生のエプロン姿。目に焼き付いて離れません。これからは俺だけにエプロン姿を――」

「かがみ込んだ時に見えた先生のオッパ――って何を言おうとしてるんだ俺は!」

 両手で頭をかいて煩悩を退散。いざチャイムを。指が動かん。

「早よ告れ」

 誰だ? 声がした方を見ると……。

「ああ、ヤジリか」

 ちょこんと座って俺を見上げていたのは、野良猫のヤジリ。近所で有名な猫で、高校でもクラスの女子のアイドル。羨ましい猫だぜ。って俺には先生が。

「早よ告れ」

 ヤジリが俺を射抜くように睨む。名前の由来はもちろん矢のような鋭い視線から。

 しかし、猫の鳴き声って面白いよな。どう見ても喋っているようにしか聞こえない。

「分かってる。今チャイムを押そうと――って告れって言いました?」

 ピンポーン。

 扉の向こうから、ガチャガチャと騒がしい音。こちらに近づいてくる。ドアノブが回り、俺は……。

 電柱の影から、扉が閉まるのを見守っていた。

 俺は何やってるんだ。折角の大チャンス、先生は中にいたんだからチャイムを鳴らして待っていれば良かったのに。

 あの猫のせいだ。あいつのせいで俺の計画が台無しだ。ヤジリに文句を言ってやろうと探すと、額にハートマークがある猫は廊下の手摺りの上で前足を舐めていた。

 可愛い。違う違う。抗議しにいくぞ。

 隠れ場所の電柱から一歩踏み出したと同時にドアが開いたので、素早く身を隠す。

 先生は出かけるようだ。あの格好は、いつものアニメショップだな。

 俺は何度も告白のチャンスを窺ううち、完全に行動パターンを把握していた。外に出た先生の格好はベースボールキャップにグラサンマスク。隠れオタクだから変装のつもりなのだろうが、凄まじく目立っている。

 ヤジリを撫でると(ずるい)俺が隠れる電柱を通り過ぎた。通り過ぎてもしばらくの間、甘い匂いが漂う。自分でも変態だと分かっているが、思わず鼻を動かしてしまう。

 先生はいつもいい匂いなのだが、アニメショップに行く時は、なぜか濃度が上がる。最初嗅いだ時は一秒ほど天国を見てしまった。

 何を買っているかは知らない。当たり前だろ。先生はオタクである事を隠しているんだ。何買っているかなんて知られたくないに決まっているじゃないか。

 帰りにリュックをパンパンに膨らませた先生を一度だけ見た事がある。マスクをしているのに顔は赤くなり、冬なのにダラダラと汗をかいていた。そんな幸せそうな先生の時間を邪魔したくない。

 むしろ同棲して、楽しみを共有したい。

 先生は駅の方に消え、手摺りの上で器用に丸くなっていたヤジリの姿も消えてしまった。

 帰り途、両親に先生のことを話して外堀を埋めようかと考えていた時だった。

 バンと激しい音が聞こえてきた、先生のアパートの方からだ。

 一度ならそのまま帰るところだったが、音は何度も何度も続く。まるで誰かがドアを激しく開けたような音に、居ても立っても居られなくなって戻ると、先生の部屋を覗く全てのドアが開け放たれていた。

 

 先生はこの状況を知っているのだろうか。今頃アニメショップにいるからまだ知らないか。ここに先生がいなくて良かった。いたら近所の人にオタクだとバレてしまう。待てよ。その時に俺が先生の味方をすればいいんじゃないか。

「先生。俺だけはあなたの味方です。だから付き合ってくださ――」

『おい』

 突然呼びかけられた。声の出所は夕焼けをも遮る路地裏の闇の中。

『ボケッとするな。こっち来い』

 周りの人は聞こえないのか、立ち止まった俺を避けながら歩いている。

「あっ電話だ。もしもし」

 聞こえないふりをして、その場から離れようとすると、

『お前の愛する人が、この世からいなくなっていいのか?』

 俺は一目散に路地裏に飛び込んで、闇に話しかける。

「先生に何かあったのか。それともお前が酷い事をしようとしているのか」

 拳を固く握りしめ、アクション映画で覚えたポーズをとる。

『話を聞け。彼女は狙われている』

「ストーカー野郎が本当にいたんだな」

 先生が時々誰かの視線を感じると、同僚の保険教諭に話していたのを思い出し、握りしめた拳が震え出す。

『もっとタチが悪い。奴らはこの世の者じゃねえからな』

「さっきからなんだ。この世この世って、幽霊が先生を狙っているとでも」

『信じられねえか』

 否定しないのかい。

「信じられない」

『全く、これなら信じられるだろう』

 闇を貫く二つの光がこちらに歩いてくる。近づいてくるソレは四本足で額にはハートマーク。一瞬ハートの鏃と見間違えてしまった。

「まさか、ヤジリ。喋れたのか」

『ああ、これで信じたな』

 信じるも何も、喋る猫って鳴き声じゃなかったのかよ。よく見ると、口動かしてないな。

『おい、呆けてるんじゃね。今も危険が迫ってるんだぞ』

「そうだ。先生に何が起ころうとしてるんだ」

「説明する時間が惜しい。体貸せ」

 エッチな事する気か。と言おうと口を開けた途端、ヤジリが鏃のように口の中に飛び込んできた。喉を抑えるも異物を感じないので吐き気も息苦しさもない。なのに……。

『上手く融合できたな』

「ヤジリ、どこにいるんだ――身体が」

 突然両足が一人でに動き出すと、釣られるように全身も動き出す。

「身体が勝手に、うわ屋根に乗った、俺は高い所が苦手なんだ」

『ちょっと黙れ。走りながら説明する。舌を噛むなよ。今、ウチはお前の体内、正確には魂に取り憑いている』

 説明を聞いている間も、身体は屋根づたいに移動する。まるで猫のような身のこなしで。

 一時的に魂を経由してお前の体を支配した。だから身体能力は猫と同じだ。

「そうか。で、俺の身体を乗っ取る意味は、うわストップ」

 目の前に雑居ビル。このまま進めば確実にガラスと激突する。

 家の屋根と雑居ビルの間をジャンプした俺の身体は、両手両足を使って壁面を駆け上がる。

 ガラス越しに中の人達と目があって、顔から火が吹き出そうになったのに、この後、ヤジリにさらなる羞恥を与えらる事になるとは、知る由もなかった。

 屋上に登ると、足に引っかかるような違和感。

「おい。俺の爪が靴から飛び出てる」

 ローファーの爪先を破って鉤爪が顔を出していた。信じられない光景に顔を手で覆おうとした時だ。

「いて、手の爪も伸びてるぞ」

 つけ爪のような長い爪が足だけでなく手まで。

「ヤジリ、俺の身体に何してるんだ」

『流石に爪の収納機能を作ると、元に戻らないな』

「サラッと怖いこと言うな」

 再び走り出す俺の身体。走りながら手の爪が制服に伸び、下着ごと切り裂いてしまう。上半身が済むと、今度は腰に両手が伸び革のベルトが最も容易くバラバラに。

 ずり落ちたズボンを引きちぎり穴の開いたローファーを脱ぎ捨てると、いきなり速度が上がった。

『やっぱり、これだよこれ。服なんていらねんだよ』

「人間には必要不可欠、おい、待て待って」

 ヤジリの操作によって屋上を飛び降りた俺の身体は衝撃も感じずに着地した。今のビル五階はあったのに。

『どうだ人間。体が軽くなって気持ちいだろ』

「そうだな開放感はあるかも」

 ちょっと調子に乗ったのがいけなかった。

 周りから何あれと言う声。そして携帯のカメラがむけられたので、慌てて頭を下げる。

 馬鹿。前が見えないだろうが。

 無理やり顔を上げられ、眼前に迫っていたバスを、足を前後にして飛び越えた。同時に聞こえる止む事のないシャッター音。

「終わった」

『まだ時間切れじゃないぞ』

「いや、ネットのおもちゃという意味で……はて時間切れとは」

『この姿は三分が限界だ。それまでに助けられないと、分かるな?』

 つまり無力の俺には助けられない。自分の裸と先生の命を天秤にかけるまでもなかった。

「先生を狙っているのは誰なんだ」

 端的に言えば、幽霊だ。

 話を聞きながら走る俺の身体は、いつのまにか快速電車を追い抜いていた。


 隣駅にあるアニメショップの自動ドアが開き切る前に入店。ドアのガラスが砕け散り、お客さんの悲鳴を置き去りにしながら、一階を越え目的の二階へ。

 猫の嗅覚のおかげで、先生の居所は手に取るように分かった。

「ちょっと待った。止まってくれ」

 もちろん止まらない。目前に迫るのは、十八歳以下お断りの目隠しのれん。

「アダルトコーナーに入ったことないんだよ!」

『お前は十八になったんだ、恥ずかしがるな』

「全裸で入ったら、本当の変態」

 バサっと目隠しをくぐると、目に飛び込んできたのは桃源郷ではなく、倒れた先生に鼻息を吹きかける店員の姿。

「その人から離れろ」

 体当たりして店員を吹き飛ばす。扇状的な女の子のパッケージに押しつぶされた店員を無視して、先生の無事を確かめる。 

 呼びかけると、閉じていたまゆがゆっくりと開く。

「先生、無事でよかっ――ヘブッ」

 先生は悲鳴を上げ腕の中で大暴れ。

「落ち着いて、落ち着けないかもしれないけど、落ち着いてください」

「き、君、何でここに。こ、ここは十八歳以下は入っちゃいけません」

 こんな時でもいつもの先生を見れて、鼻の下が垂れてくる。

「今日で十八歳です。もう結婚できます」

 先生の顔に火がつく。

「けっ、結婚って、相手もいないのに」

「います。目の前に素敵な女性ひとがいます!」

 先生の瞳が蕩けそうに潤んでいく。

『おい人間。まだハッピーエンドじゃないぞ』

 パッケージの山から吹き飛ばした店員が無傷で現れた。

 白目を剥き、開いた口から涎がダダ漏れ。

「あれが、幽霊に操られた人間、ゾンビ」

『そうだ。魂を狙う厄介な幽霊に乗っ取られた人間の姿だ』

 ゾンビが両手を前に出して走り出した。

『人間。さっき言った通りに動くぞ』

 身体のコントロールがヤジリのものになる。ゾンビが反応する前に懐に入ると、手の爪で下から上に切り裂いた。

 当然出るはずの血は出ず、代わりに人魂が体内から出てきた。

 俺の魂にくっついていたヤジリが飛び出すと、勢いそのまま齧り付く。

 齧られた人魂は爆発するように消滅した。

 俺は自分の爪を見る。勿論肉片は付いていない。ヤジリが言うには、肉体ではなく取り憑いた幽霊に攻撃しているとの事。なので肉体に当たっているように見えて、実は物理的干渉はしていないんだとか。

 聞いてて何だか眠くなってきた。

『おい、昼寝は後だ。早くここから出るぞ』

「先生立てますか」

「ありがと……」

 先生が両手で顔を覆う。その顔はどんどん赤くなっていく。その視線は俺の太ももの付け根に固定されている。

「あ、あの目のやり場に困ると思うので、俺、ここで退散……」

「そんな事ない!」

 先生の息が過呼吸のように荒い。

「どう言う意味ですか」

『人間、まだ終わってない』

 ヤジリに操作された身体が先生を抱え上げる。うわやらかい、いい匂い、クラクラする。

 そんな甘い霧が、店の外に広がる地獄のような光景によって雲散霧消する。

 何台ものパトカーが止まっている。回転するパトライトに照らされるのは、白目を剥き涎を垂らした警官や野次馬達。街中なのでざっと百人はいそうだ。

 ゾンビが飛びかかってきたので、高く跳躍し、その高波を避ける。

「幽霊達は何で先生を狙うんだ」

『元々、彼女は生命力に溢れていた、だが最近その光が強まった。死の恐怖に怯える幽霊にとっては、闇を晴らす太陽のような物。そしてその光が今日の出来事によって大爆発したんだ。ビッグバンのように』

「今日の出来事、そ、それって」

 俺と同じように先生も熱を持ったのか、頬が真っ赤になっていた。

『その質問の答えは彼女から聞くんだな。まずは後ろの集団を何とかするのが先決だ』

「一体、一体やるんじゃ駄目なのか」

『後、三十秒もない』

「どうすりゃ、危ない!」

 突っ込んできたバイクを間一髪で避ける。危なかった死ぬかと思った。ん、死ぬ?

「そうだヤジリ。一網打尽にできるぞ」

『どうするんだ』

「今日はめちゃくちゃ寒い」

 目の前に橋が見えた。

「先生。嫌だと思うけど、俺に捕まって」

「いやじゃありません」

 先生の体温のおかげで、今日は絶対風邪ひかないな。

 ヤジリは走るスピードを調整し、ゾンビ達を一纏めになるように誘導。

『行くぞ。二人とも』

 先生が俺の首に回した手に力を込めたのを確認して、今日一番の大ジャンプ。

 俺とヤジリと先生は、橋がかかった川を飛び越える。月光浴しながらの跳躍に釣られて、後ろのゾンビ達が血を狙うノミのように跳ぶが、人間の脚力では、川を超えることができず、水面に浮かぶ月の引力に引っ張られるように落ちていった。

 心の中で両親に手紙を書いたところで、時間切れ。俺は先生を庇いながら、アスファルトをゴロゴロと転がる。

 止まると、丁度先生が馬乗りになった格好。

「先生。怪我はない」

「わたしは大丈夫。でも君の方が」

 確かに全身が痛いし熱い。でも後悔はない。だって、

「先生を助けられたから」

「君、無茶しすぎだよ」

 涙を流す先生も綺麗だな。

「先生。名前で呼んでください」

「それは……」

 迷うように目を左右に振ったり、唇を薄く開閉させていた先生は、決心したようにこちらを見た。

「ありがとう――」


「やったぁぁっ、痛ってぇぇぇ」

 俺は激痛で目を覚ました。そこは病院のベッドだった。

 骨は折れていなかったが、身体を限界以上に酷使したせいで、入院が必要なほど衰弱していたらしい。

 ガラスを踏んだり、道路を転がった全身には隙間なく包帯が巻かれている。退屈だが案の定、外出は禁止されていた。

「先生、名前呼んでくれたのかな」

 あの時リクエストしておいて、気を失って聞かずじまいだったのだ。

「だめだ。気になって気になってしょうがない」

 今病室には俺しかいない。ということは……。


 わたしは病院近くの公園でベンチに座っていました。

『仕事も休んでここまで来て、もう二時間。さっさと行け』

「まだ、気持ちの整理がつかないの」

 隣に座るヤジリがわたしを急かす。

 子供の頃、学校の先生を主人公にしたアニメを見て教師になったけれど、アニメのように生徒の信頼を得ることはできなかった。そんな時、いつも話しかけてきてくれたのが入院しているあの子。

『自分語りが長くなりそうなら、ウチは昼寝させて貰う』

 三十を過ぎて恋人どころか、キスもしたことないわたしは猫と話せるようになっていました。

『何度もいうが、ウチは猫ではない』

 そんな現役オタクのわたしは、あの子を愛する資格はありません。

 だって、彼に会うと電撃が走るんです。その痺れは仕事に支障をきたすほどで発散するためにアニメショップで見つけた、あの子に似た本を家に連れ込んでいたのですから。

「こんな最低女、付き合いたくないよね」

『それは本人に聞け』

 公園に入ってきた人物を見て、ハッと息を呑んでしまいました。

「好きです。こんな俺ですが貴女の全てを受け止めます。だから、結婚を前提にお付き合いしてください」

「ど、どうしよう」

『お前の正直な気持ちを口に出せ。躊躇うな』

 ヤジリの助言にわたしは背中を押されました。

「わ、わたし。包帯グルグル巻の変質者に告白されちゃった」

『はよ気づけや!』


 ―おしまい―

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身の破滅まで残り3分 七乃はふと @hahuto

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