第三話「行商人マルクスと富への扉」

 俺の指導のもとノーブル村の農業改革は本格的に始まった。村人総出で畑の石を取り除き、森から落ち葉を集めて堆肥を作る。最初は半信半疑だった者も、俺の畑で採れた見事なポポカブを食べてからは目の色が変わった。誰もが希望に満ちた顔で汗を流していた。


 俺はポポカブの成功に満足せず次の手を打っていた。それは『輪作』だ。同じ畑で同じ作物を作り続けると土の栄養が偏り、病気も出やすくなる。前世の農業の基本中の基本だ。俺は畑をいくつかの区画に分け、豆に似た『マメーン』という作物を植えた。このマメーンは根に付くバクテリアが空気中の窒素を土に固定してくれる、いわゆる緑肥としての効果も期待できる。


【土壌感応】で確かめると、やはりマメーンを植えた畑は土がどんどん肥沃になっていくのがわかった。


「ダイチさん、すごい! 土がどんどん元気になってるのが私にもわかる気がする!」


 リリアは目を輝かせながら土の匂いを嗅いでいる。もしかしたら彼女には俺と同じような才能の片鱗があるのかもしれない。


 数ヶ月が経ち村の畑は見違えるように変わった。ポポカブは安定して大きく育ち、新たに挑戦した葉物野菜『グリンリーフ』や人参のような根菜『キャロップ』も、市場に出せば高値がつきそうな見事な出来栄えだった。村の食糧事情は劇的に改善され、子供たちの頬にも赤みが差してきた。


 そんなある日のことだ。一台の幌馬車が埃っぽい道を走ってノーブル村にやってきた。こんな辺鄙な村に行商人が来るのは珍しい。馬車から降りてきたのは人の良さそうな笑顔を浮かべているが、その奥に鋭い光を宿した目を持つ恰幅のいい男だった。


「やあ皆さん。私はマルクス。旅の行商人さ。何かめぼしい物はないかね?」


 村人たちはよそよそしい態度で彼を迎えた。この村には売るものなど何もない。それがこれまでの常識だったからだ。しかし俺はチャンスだと思った。


「商人さん。少し見てもらいたいものがあるんですが」


 俺はマルクスを収穫したばかりの野菜が山積みになった倉庫へ案内した。


 倉庫の扉を開けた瞬間、マルクスの人の良さそうな笑みが消え商人の顔に変わった。彼は山積みの野菜に駆け寄ると一つのポポカブを手に取り、信じられないという顔でそれをまじまじと見つめた。


「こ、これは……なんだこの大きさ、この艶は!?」


 マルクスは許可も取らずに懐のナイフでカブを切り、一片を口に放り込んだ。そしてカッと目を見開いた。


「う……美味い! 甘くて瑞々しく、それでいて味が濃い! こんな野菜は王都の一流レストランだってそうそうお目にかかれるもんじゃないぞ!」


 マルクスは興奮した様子で次々と他の野菜も検分していく。彼の評価はどれも最高のものだった。


「信じられん……。こんな辺境の痩せた土地しかないはずの村で、なぜこれほどの品質の作物が……」


 マルクスは値踏みするような目で俺を見た。


「あんたが作ったのか?」


「ええ、まあ。村のみんなとですけどね」


「……あんた、何者だ?」


 俺は笑ってごまかしたが、マルクスの目は完全に俺という人間にロックオンされていた。


「話がある。この野菜、すべて俺に売ってくれないか!」


 マルクスはそう切り出した。


「もちろんふっかけるつもりはない。むしろ破格の値で買い取らせてもらう。この品質なら王都の貴族や金持ちたちに、いくらでも高く売れますぞ。これはとんでもない商機です!」


 マルクスの提示した買い取り価格は、村人たちがこれまで見たこともないような金額だった。村長や他の村人たちは銀貨が詰まった革袋を前にただ呆然とするばかり。これが俺たちの汗の結晶が『価値』に変わった瞬間だった。


「ただし条件がある」とマルクスは言った。「今後あんたたちが作る作物は俺が独占的に買い取らせてもらう。どうだい?」


 願ってもない申し出だ。販路の確保は農業経営において最も重要な要素の一つだ。


「よろしくお願いします、マルクスさん」


 俺が握手を求めるとマルクスはニヤリと笑って、その分厚い手を固く握り返してきた。


 こうしてノーブル村に初めてまとまった『お金』が入った。村人たちはその金で新しい農具を買い、傷んだ家を直し、子供たちに新しい服を買ってやった。村には活気が満ち、笑い声が響くようになった。質素ながらも温かい食事が毎日テーブルに並ぶ。それは金では買えない何よりの豊かさだった。


 富への扉はこうして開かれた。だがこの小さな村の急激な変化が、新たな厄災を呼び寄せることになるのをこの時の俺たちはまだ知らなかった。

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