第3話 この男、チーターにつき


―翌日―


「⋯⋯⋯どこ行くの?」


 フェイフは頭痛の中で目覚めた。朝食の支度の音が普段なら心地良い気分になるが、今朝は違っていた。

 今日は土曜日。休みのハズだがまるでそれで登校するかの様に、少年は珍しく指定のジャージ姿だ。



「⋯ああ、今日あれだよ運動会っつーのか?陸上大会みたいな名前だけどな、ウチは。それなんだよ」


 少年は食べやすい様に、米を軽く潰した雑炊を作ってくれていた。


「⋯⋯ごめん、パスする」


 そう言われると、少年は小さな茶碗に紙コップで蓋をした。後で食べるにしてもこれならフェイフ1人でも持ち上げられる。


「お前、わかったからもうちょっと寝とけよ⋯」


 少年はふらふらと飛んで、テーブルに来たフェイフを心配してそう言った。


「⋯あたしも一緒に行く。おじさんの中で充電した方が早く回復する」


 充電、と表現したのは『生命エネルギーを吸収する』と言うと、少年が嫌がるからだ。


「⋯お前ね、俺ァただでさえあの時、融合して復活してから超人みたいになっちゃってんのに、同化までしてたら⋯」


 少年は未来で一度、戦いの巻き添えで生命を落とした。その時はこのフェイフが自分の一部を彼の欠損、または停止した組織や器官を補う形で融合し、意識が戻り気がついた時には青年ぐらいにまで若返っていた。

 その時の彼女の一部は、今も肉体に不可欠な部分として残っている。


「⋯お願い、本当に疲れてるの」


 仕方ない、そう思って襟を引っ張る。フェイフはモタモタと潜り込むとおとなしく、と言うよりはグデッとシャツと胸に挟まれたまま動かなかった。



「もぅ⋯セーブが大変なんだよな、普通の人間を演じるのが!」


 フェイフと同化すると言う事は、例え彼女がこんな状態でもおよそ人間の力など遥かに超えてしまうのだ。

 




「ねぇ⋯運動会なに⋯出るの?種目⋯」


 バスを降りてもまだ同化せず、胸元に

いるフェイフは息も絶え絶えそう質問した。


「ああ⋯リレーだったかな?俺はなんでもいいから残り物だよ、あぁ⋯え、ちょ!?」


「うぅ⋯⋯うゲェ⋯」


「お前、中に出すな!俺はゲロ袋じゃないんだぞ!」


 そして今、彼女はしこたまバスに酔っていた。折からの体調不良もあり、出物腫れ物は仕方ないにしても流石にコレはない。

 しかも吐くだけ吐くと、逃げる様にフェイフは少年の胸の中に消えた。


「ああ、もう汚ぇ!!」


 なんとかシャツを引っ張って、汚物を小さなタオルで拭いた。

 他の生徒とかち合わない様に、1時間早く登校するクセが役に立った。一応予備をロッカーに入れているから着替えればいい。そう考えながら独り吐き捨てる。


「もう、あのバカ⋯⋯」


 それから少年は手早く着替えるとグランドに出て、少し身体を動かしてみた。

 フェイフがこんな状態で身体の中にいる場合、変にぶっつけ本番だとどのぐらいパワーが出るかわからないから確かめておく為だ。

 


 そんな事をしていたら、他の生徒達がチラホラと校舎に入って行く姿が見えた。

 少年も彼等に混じる様に、こんな日にも一応はあるホームルームの為教室へ戻っていく。


 



 それから運動会が始まって、もういくつかプログラムは消化されていた。

 少年の出番は、この後の昼食を挟んで後半最初の男女混合リレーだ。もっとも、このシチュエーションは3回目になるが。

――そんな時、背後から声がした。




「ねぇ、早川くん⋯リレー、ちゃんと走ってね?」


 教室に向かう少年を、呼び止める声に振り返った。

 そこには同じリレーで前走者である少女が、体操着の前に両手を揃えて1人不安気に立っていた。その瞬間、早川と呼ばれた彼は内心では『しまった』と思った。



「ああ⋯うん、わかった。頑張るよ⋯」


 それだけ言うと、少年はそそくさ逃げる様に教室へ向かって行ってしまった。

 少女は気まずいのかどの道同じクラスなのだから、教室ですぐまた一緒になるのに、まるで距離を開ける様にゆっくり歩いた。




『⋯野々原にああ言われるの、2回目だな⋯⋯』


 少年は隣の席に座る少女に目をやらないように、彼女に意識を向けながらそう考えていた。

 しかし⋯いくら鈍感なこの男でも、あの不安と寂しさを滲ませた様な表情には何かを感じさせる。



『あいつ、なんであの時あんな事を言ったのかわからなかったが⋯今ならわかるモノなんだな。俺も、無駄に長く生きてないな⋯⋯⋯』


 今になって、彼がそう考えるのは前回、即ち初めてタイムスリップした時は極力この娘から逃げ回っていたからだ。

 他人の運命を変えたくなかったし、自分の特殊な立場がそうさせてた。





 皆が昼食を終えてグラウンドに戻る頃には少し、強い春風が吹いていた。ここのところ雨が無かったからか、乾燥した土埃がちょっとドラマチックに吹き上げられている。


「観客、結構居るんだな⋯⋯」


 昼から生徒達の親族も増えている、下手に目立つような事は出来ない。

 リレー出場選手が配置につく中、早川少年はそんな事ばかり考えていた。




―――――パンッ!


 そのリレーが始まった事に、今のスターターピストルの音でやっと気がついた。

 もう何度か見たが、自分のクラスは結果的に下から数えた方が早かった。

 6人でリレーし、第3走者の彼までにC組は5位、そのまま最後まで変わらないハズだ。


「さあ、ちょっとは頑張るかな⋯⋯」


 一つぐらい順を上げるか。野々原の手前もあってか思案の末、少年はそう呟き白線の前に立った。あの野々原が自分を見つめ、走ってくる。

 そして、遂にバトンが彼に手渡された。





「わっ!」


 少年は思わずそう叫ぶ。スタートした瞬間、めちゃくちゃなスピードが出た。


 一斉に会場全体からどよめく声がした、原因は自分だ。

 すぐ手前ではあったが、前を行く集団3人を一気に抜いてもうコース半分近くまで来てしまっている。



「バカ!⋯フェイフッ!あだ名が009になるぞ!!」


 トップで前を走っている最後の1人の背中がぐんぐん近づくと、少年は走りながら叫ぶ。

 しかし完全に肉体が自分の言う事を聞いていない。やっぱりあんなヤツ連れて来るんじゃなかったと激しく後悔をする。


 そんな中、観衆のどよめきの渦はすっかり大歓声に変わっていた。およそ人間の出せるスピードの限界を、少しばかり逸脱しているのだ。

 見た者は誰もが驚ろいたであろう、それは前を走る選手も同じである。

 むしろ独走のハズだった彼は、歓声に驚ろいて振り向いてしまい、動揺したのかそのせいでゴール3メートル辺りで足を縺れさせた。


「あちゃ⋯もぅ!」


 少年は胸を掴み、ブレーキをかけると転けた前の走者を掴んで抱き上げ、そして担いで走る。

 流石に渡すべきバトンも少しもたついて、結局彼のC組は2着のままに終わる。

 だが自分の行動やあのスピードへ、いつまでも拍手や声援が鳴り止まず、レースの顛末もろくに頭に入って来ないほどの気恥ずかしさで居た堪れなかった。 





 そして、あの野々原もまた、満足気にあの少年を遠く見つめていた。


 


 


 


「すごかったね、リレー!」


 そして全てが終わり、解散後に下駄箱で靴を取り返えていたら、野々原がまた声を掛けて来た。




「⋯あ、ごめん。ちゃんと走れなくて⋯⋯」


 少年はリレーでのそれが、約束した様なちゃんとした事だったとはどうしても思えず、つい彼女に謝ってしまった。


「ううん⋯⋯、じゃあね!」


 野々原はそれだけ言うと少し微笑えんで、逃げる様に先に帰ってしまった。

 少年は夕日の中を歩いて行く後ろ姿を眺めながら、独り呟いた。



「野々原⋯あずさ、か⋯⋯」













 帰宅後。大してかいてもいない汗を流した後、少年は冷蔵庫から飲み物を選んでいる。

 その少し迷った指は、炭酸飲料に伸びて封を開けた。




「⋯リレー、ちゃんと走ってネ!」


 その扉に座り、フェイフはからかう様に野々原の言葉を真似た。しかし表情はいたずらと言うよりは険しい。


「フェイフ!⋯お前なぁ、面倒になったらどーすんだ!?俺は静かに暮らしたいんだ!」


 少年はリレーで勝手にパワーを上げた彼女を叱る様に、やや強く冷蔵庫の扉を閉めた。



「なによ、あの女⋯⋯!」


 サッと飛び上がると、腕を組んで不貞腐れるフェイフ。


「⋯野々原か?クラスメイトだよ、見てわかるだろ」


 そう言ってまだ濡れた髪を拭き、炭酸飲料をガブ飲みする少年の頭の周りをフェイフがうるさく飛び回る。




「⋯雌の表情!あれは、女の顔をしてた!⋯あんなドロボウ猫みたいな女、あたし聞いてなかった!」



「⋯お前ね、古臭い特殊なドラマでしか聞いた事ないよ、ンな台詞⋯いつ覚えたんだ?

 それに、勝手な事して明日から水前寺清子みたいなあだ名にされたらどうするんだ!?」


 プンプン、ブンブンうるさいフェイフを手でどけて、少年はちょっとばかり本当に怒っていた。


「別に⋯あの娘の言った通りしただけ⋯⋯」


 フェイフは急にしおらしくなると、トーンが下がってしまう。



「ほら、お前も風呂入って!まったく朝からめちゃくちゃやりやがって⋯」


 そう言って、少年は小さなコップに別の飲み物を入れて指で摘んで渡す。


「⋯その前に説明を要求する」


 やはり野々原の事が気になってしまう。彼女にとってはどうしょうもない甲斐性無しだと思っていたので、少年が案外隅に置けない事を知って悔しかった。



「お前は知らなくていいの!」


 少年は少年で、案外良い思い出では無いのかもしれなかった。自分を見ないで何か言う時、彼はいつもなにか暗い影を感じさせる。

 そう、丁度今のこんな風に。


「わかった⋯⋯朝はゲロしてごめんなさい」


 そう言って、フェイフはお風呂へと飛び去っていくのだった。






 そんな言い争いの後、数時間もせずに今日は酷く疲れたのだろうか、少年はもう眠っていた。

 それをドールハウスから眺めて、フェイフはかつての未来と言う変わった記憶を思い出していた。



『おじさん、しっかりして!おじさん死なないで⋯⋯!』


 イプスと交戦する中、逃げ遅れた子供を庇って少年⋯その時は中年の姿だったが、彼は致命傷を負った。

 助からない事ぐらい、出血を見ればそれはわかってしまう。だが彼は、自分に最後であろう力で叫んだ。


『⋯バカ野郎、戦え!自分の星を救うん⋯⋯だろうが⋯戦え!』


 戦いの後⋯瓦礫に横たわる彼は、満足気に目を閉じたままだった。変身を解いた彼女は、力無く覆いかぶさるだけの大きな身体を背中に抱いて、二人が暮らしていた小屋に戻った。


『おじさん、おじさんを絶対死なせない⋯』


 あの夜の事がいつまでも焼き付いて離れない。彼女にとって、初めて知った悲しいと言う気持ちだった。



「また、あんな夢を見てるのかな⋯おじさん」


 フェイフが彼を蘇生させるべく融合した夜、深層の彼の声を聞いた。




『フェイフ、なに泣いてんだ?あれ?俺、ダメだな⋯もう。⋯⋯あの子、無事だったかな⋯』



 今際の際、それが彼の意識に残った言葉だった。

 怒りによって人が変わった様にイプスと果敢に戦うフェイザードことフェイフを見つめながら、自分が死ぬ事で悲しむ者がいた事を意外に感じている様な心が、そこには遺されていた。



「そんな事、無いんだよ⋯おじさん⋯⋯」


 そう呟くとフェイフは小さな布団を自分の頭まで被せた。

 その暗闇の中で、あの野々原と言う少女がいた事への安堵と、いじらしい不安を押し潰す様に強引に眼を閉じた。

 

 


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