第4話 追憶の未来
朝――少年は玉子を割り、溶いては丁寧にも濾し器にまで流し込む。そこに冷ました出汁を適量入れて塩を少々。
手慣れた手つきで専用の焼き鍋に流し込んでゆく。
気泡を手早く潰し、手早くコロコロと巻き上げると段々と形が出来上がって、もうかなり太くなった。
隣のコンロは味噌汁の中に豆腐が泳いでいる、それを待っているかの様に汁椀にワカメとネギが入れられていた。
電子ジャーは保温の湯気をあげて、まな板には今から切るのであろう漬物になった野菜が置かれていた。
「うぅん⋯ふわぁ〜〜」
朝の光と、食器の音でフェイフは目覚めた。
「⋯あっ!おじさんのだし巻きたまごだ!」
食卓を確認する為に、眠気眼で翅を広げる。テーブルにはまだ茶碗が伏せられていて、木の器の上でたまご焼きの熱を逃がしている。
「顔洗ってきなさいよ⋯手も!」
そう言われると、フェイフは力ない返事をして洗面所へ飛び去っていく。
その間に少年は食卓の仕上げをしてしまうつもりだ、たまご焼きがナイフで切られていく。
「⋯いただきます!」
フェイフはテーブルの上に椅子とテーブルをまた置いて、さっそくだし巻きにしょうゆをかけるべく食卓を歩いていく。
「ほら、出してやるから言えよ。またしょうゆの洪水になるぞ!」
少年はしょうゆ差しの空気口を指で押さえて、一滴二滴と器の端に落としてやる。
「ありがとう⋯」
それだけ言うと、彼女は一心不乱に食べ続けている。
「お前、本当にだし巻きたまご好きだなぁ⋯」
少年はその姿を、感慨深そうに眺めていた。フェイフが食べる事に夢中で返事もしないので、ほんの少し彼女と出会った頃を思い出していた。
―――それは遠い未来の思い出――――
『なんだ?カラスが集って⋯ホラ、どっか行け!』
小さな畑、それは彼の小屋の隣の家庭菜園だった。ここで、彼は隠者の様に暮らしていた。
『なんだ?コリャ⋯⋯』
烏達が突いていた物、その奇妙な物体を見つけた。
夕暮れの中に淡く光り輝き、触れば温かい。中にはなにかが影の様に揺らめいていた。
『変わってんなぁ⋯なんだろ?』
ただ彼にわかる事は、こうして両手に持っても無害そうである事ぐらいで、好奇心も働いてとりあえず小屋に入れて様子を見よう、そう考えた。
何しろ、微かに動いてはいるが生物かどうかも皆目わからない。男はそれを座布団に置いてやり、さっきまで食べていた夕食の片付けをした。
『なんだ?⋯⋯お前も寝るのか?』
戸締りの後、男が早めに床に就くとあの光の玉はゆっくりと布団に潜り込んで来た。
そして彼の胸の上を定位置と定めたのか、玉はだらりと形を崩し、まるで巨大な大福の様になってしまった。
『フフッ⋯昔、猫がいたが⋯こんなだったな』
男は笑って光の玉を撫で、かつて面倒を見ていた、母親に置き去りにされた子猫を思い出した。
そして同じ様に胸の中で眠る様にしているこれを、潰してしまわない様に気を付けながら眠りについた。
「まさか、あれがお前になるとは思わなかったよ」
フェイフは少し照れた。我々人間で言う純粋無垢な幼子の状態なのかもしれない。
記憶すら確かでないそれを、甘えん坊だっただの、いつもついて回っていたなどと言われれば誰もが照れくさいだろう。
「⋯おじさんに女にされた」
フェイフの反撃に少年は味噌汁を吹き出して、されてません!と叫ぶ。
しかし事実あの光の玉が、ある日の朝目覚めた時自分に添い寝している少女に変わっていた。
「おじさん、飛び起きて玄関まで逃げ出して⋯⋯」
フェイフは嬉しい様な懐かしい様な面持ちで、二人での初めての朝を思い出していた。
『誰だ!?お前、なんでこんな所に若い娘がいるんだ!』
目をこする少女と叫ぶ男。
『私はフェイフ⋯⋯あなたに助けられた』
少女は小さな声で、男を真っ直ぐに見つめて静かに答えた。
『助けたぁ?知らないぞ、お前どっから来たんだ!』
少女はハラリと毛布を落とし、指で髪を整えつつ答えていく。
『私はこの星から⋯』
『服を着ろ、服を!早く!』
男には話がまるで入って来ない、ほとんど狂騒状態だった。少女は何かに気付いた様にとりあえずその身体にあり合わせの布を巻いた。
『こと座方面ライアシラ・メイルシュトローム銀河、この星から遠く離れたエリュウスと言う星から戦い方を学びに来たの⋯』
自称異星人とテーブルを挟み、男はなんとか対話を試みた。まったく信じられない自己紹介だが、とりあえず聞いてみてやるしかない。
そして、未成年略取・誘拐罪に問われない為にもなんとか真実であって欲しかった。
『⋯戦い方ぁ?』
男にとって、彼女の言う事は支離滅裂に思えた。あの光の玉はまだ情報の塊の状態であり、エネルギーを蓄えて少女の姿になった。
そしてそれが、外宇宙どころか銀河系外から飛来したと言う。それでいて、それだけの技術がありながら戦うと言う事を知りもしないのだと言うのだ。
『私達の星は、ずっと平和だったから戦うと言う事を忘れてしまったの⋯そこに宇宙怪獣イプスがやって来て⋯⋯』
その宇宙怪獣とやらの襲来で惑星エリュウスは滅び、避難した人々は彼女達に希望を託し、還りを待ち望んでいると言う。
『だから、宇宙のどこかにいる野蛮な種族からデータを集めて、イプスを撃退するのが私の使命なの⋯』
野蛮。引っかかる表現だが、そう言われてみれば確かにそうだ。
この星では同じ人間が、自分達の知の結晶たる先端技術でもって今も殺し合っている。
『それなら、軍隊とか行けばいいだろうに⋯なんだってこんな所に?』
その疑問は当然だった、彼自身あまり闘争的ではない。だからこそ、こんな山の中にいるのだろう。
『それは⋯あなたがいたから』
そう真っ直ぐに言うと、フェイフは頬を染めた。
「ま、そっから即興でフェイザード考えた俺は凄い。カッコよかったよな!やっぱ巨大ロボットはいいよなぁ〜!」
少年は、フェイフに自身の身体がなんにでも変われる素材、【オトメハガネ】で出来ている事をその時に明かされ、すぐに紙にロボットを描いて提案した。
ある程度までなら質量すら増減出来る、あらゆる材質の物に擬似的に変化出来て、形も自在。それが生体金属・オトメハガネだった。
「私には地球のロボットは皆一緒に見えるけど⋯形も無駄が多いし」
フェイフは少女らしく、少年の趣味には素直に賛同出来なかった。
「ばか、まずカッコよくないとやる気出ないだろ?」
そのどこがカッコいいのかがわからないが、わからない。これがジェンダーの壁なのだろう。
ただ、巨大なイプスと戦う分には適していたし、彼が提案した分離合体変形と言う【男の子ギミック】は、実は案外理に適う部分もある。
イプスには兵隊イプスと呼ばれる小型タイプもいたからだ。これの対処は小型で小回りが利くコアメカの方がやりやすい、と言う局面も多々あった。
「本当、お前にゃ手を焼いたよ!名乗りだって女の声でやるわ初陣でへたり込むわ⋯⋯」
この話は何度目だろう⋯いつまでもしつこくそれを言われると、ムッとした表情でフェイフは反論した。
「叫んだり、ポーズの意味ない!」
未来での修行期間、少年はヒーローの所作、叫び方、決めポーズにかなりうるさかった。
それはまるで祇園における。芸姑の修行の様で、彼女にはさながら地獄の日々だったのだ。
「わからんヤツだな、正義の戦士には!ちゃんとした!叫び方と!作法があるの!」
少年は昔と変わらない口調で意味不明な事を強調しながら怒鳴った。
普段は優しい男だが、此処はこだわりがあるのか非常にうるさい。
「正義の味方なのに地球人、私達にもミサイル撃ってきた⋯⋯」
フェイフはその不満を、地球人同士ですらわかってもらえなかった現実を例に出して反論に変えた。
「⋯⋯ああ、奴等はクソだ。クソッタレだ⋯!普通、何回かやってたら誰か『彼は敵じゃありません、我々人類の味方です!』とか言い出すだろ⋯ミサイルだけで述べ3発直撃したんだぞ!?
しかもこの時代に飛ばされる原因まで作りやがった。クソ野郎共⋯奴等は、人間はずっと敵だったんだ!」
彼もこれにはかなり傷付いたらしく、あれ以来人間不信に磨きが掛かってしまっていた。
「まだ、ごはん食べてる⋯」
「まだ食べてたのか?ああ⋯スマン、スマン⋯ところで、お前ゲロとかおしっこは我慢出来ないのに⋯」
謝りながらデリカシーの無さをすかさず滑り込ませてくるこの少年オヤジに、フェイフは皆まで言わせないと、間髪入れずに言った。
「⋯アイドルはそんな事しない」
冷たい視線と声だった。しばし、沈黙が二人を包んだ。
「おかわり⋯」
「お前、よく食うなぁ⋯育ち盛りだからかねぇ?」
せがまれて冷凍庫からフェイフ米と銘打たれたパックを出す。お人形サイズになった彼女の為、挽わりごはんを一度に炊いて冷凍しているのだ。
それをレンジに入れて閉めていたら、背中が氷付くような言葉を聞いた。
「早く大きくならないと⋯あの、全部あたし系の女⋯?野々原って娘の事もあるし、補給だってアテになるかわからないから!」
ピー⋯⋯そんなあたための終わりを告げるレンジの音だけが、静寂にこだまする。
「あの⋯クラスのお友達に『あの女』とか言っちゃダメだよ?それに飯たらふく食うだけで、体長が7倍とかにならないよ。そしてお前さんね、変な事したらおじさん、凄い困るよ⋯⋯?」
彼女のやる事は、想像がつかない分恐ろしい。そもそも普段おとなしい者ほど時に大胆で、なにをするかわからないおっかなさがある。
「あたしは増殖・修復・増大・変化・成長・進化、全部自分だけで出来る⋯地球の食べ物とおじさんの生体エネルギーからでも時間はかかるけどやれる⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
少年は黙った。地球とエリュウスの科学力の差に、その技術の壁に言葉を失ったのだ。
「⋯あたし、頑張る」
そう言って珍しく屈託無く笑うと、3杯目
のごはんにのりたまをふりかけだした。
「う⋯宇宙人でも、女は怖い⋯⋯!」
少年は抜け出せない沼に、半身が既に沈んでいるような気持ちがしてならなかったのだった⋯⋯。
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