第11話 きれいな嘘
翌日の夜、
店の空気がやけに重たく感じた。
部屋を出て店までの道を歩く。
「あの…すみません」
唐突に声をかけられる。
振り返ると20代半ばくらいの女性。
目当ての店がわからなくなって
その辺のホストに直接声をかける。
この街ではよくある事だ。
「優斗さんっていう人がいるお店を探してて」
「ああ、それならうちのお店じゃないかな?」
どうやら優斗の新規客だったようだった。
俺は個人名が書いてない店の名刺を渡す。
俺個人の名刺を渡すのはこの場合、ご法度だ。
ここで優斗の客に連絡先などを渡すと
「爆弾」というルール違反になるからだ。
他キャストの姫に近付くことはこの業界では
1発レッドカードの重大な違反行為だ。
対応を終えて店に着く。
照明はいつも通り、
笑い声も、音楽も、変わらない。
──でも世界が少しだけ濁って見えた。
「おはようございます!」
ホストたちの明るい声。
俺は鏡の前で身なりをチェックしながら
昨夜の“あの言葉”を思い出していた。
『じゃあ、今夜だけは仕事やめてみたら?』
あの瞬間の美穂の笑顔。
まるで“許されているような気”がして怖かった。
「カイン、どうした? 顔、死んでるぞ」
優斗が声をかけてくる。
無理に笑って返した。
「寝不足なだけだよ」
「お前にしちゃ珍しいな。無理すんなよ」
「お前もな、今日来店予定あるだろ?」
「来店予定?いや…今日はなかったはずだけど」
さっきの女は優斗の客だと思っていた。
「あの人、別の店だったのかな?探してたの」
⸻
営業が始まり、一時間ほど経ったころ。
「カインさん、A卓ご指名。
“沙耶さん”御来店です!」
…また来たか。
テーブルに向かうと、
昨日よりも鮮やかなドレスの沙耶がいた。
新しい香水。夜の戦い方を
完全に知っている女の匂い。
「昨日はありがとう。また来ちゃった」
「来てくれて嬉しいよ」
「そう?嬉しそうに見えないけど?」
「ああ…ちょっと昨日飲み過ぎたかな」
「ふぅん…じゃああまり飲まない方がいい?」
「控えめになら大丈夫」
沙耶は笑いながら、グラスを傾けた。
あの頃と違って、今の笑顔には計算がある。
でもそれが悪いとは思わなかった。
俺も同じだからだ。
「ねぇ…えーっと…カイン」
彼女が囁くように言った。
「あなた、最近“誰か”に本気で恋してる?」
「…は?」
「わかるよ。昔と同じ顔してるもん。
誰かを好きになると、あなたすぐ顔に出る」
心臓が一瞬止まった。
「バレたか。確かに恋はしてるよ。
昨日も今日も沙耶ともう一度会えたからね」
「…嬉しい…私も。今のあなた、
すごく魅力的な男だと思う」
そう言って沙耶は俺に寄り添った。
俺は彼女の髪を撫でながらグラスを煽る。
その時、内勤スタッフから呼びがかかる。
「カインさん、B卓から指名入ってます!」
その声と共にモードを切り替えた。
俺は軽く頭を下げて席を立つ。
背後で、沙耶が小さく呟いた。
「…不器用な嘘しかつけない男ね、海斗」
心にまた波が立った。
⸻
B卓には、美穂がいた。
白いブラウスに淡い香水。
夜の華やかさではなく、
どこか“素”の彼女がそこにいた。
「来てくれたんだ」
「昨日、あなた“嘘つけない”って顔してたから。
また見たくなったの」
「嘘つけない、か。どんな顔だよそれお」
「他の人みたいに 上手く笑わないもん。
でもその不器用さ、好きだよ」
その一言が、
胸の奥に静かに沈んでいった。
「…俺さ」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「ホストって仕事、
本気でやればやるほど“自分”が消えるんだ」
「消える?」
「うん。名前も、言葉も、
全部“演じる自分”に食われてく。
でも美穂といる時だけは
ほんの少しだけ戻れる気がする」
言い終えた瞬間、
美穂の瞳が揺れた。
少し体を寄せて、俺の目を見る。
「…そういうこと言うと、信じちゃうよ?」
「信じなくていい」
「でも、ほんとは誰かを信じたい…でしょ?」
美穂は少し笑った。
切なさが滲む笑顔。
「あなたってちゃんと優しいのに、
優しさを“貸付”みたいに使うのね」
「貸付?」
「そう。期限つきの返さなくていい優しさ」
一瞬、言葉に詰まった。
彼女は、俺の中の“仕組み”を理解し始めている。
だけど、まだ核心までは辿り着いていない、
俺は必死にそう思い込もうとした。
「俺が売ってるのは愛じゃない。
“時間”と“錯覚”だよ」
「…でも、その“時間”と“錯覚”の中で、
救われる人もいるでしょ?」
「いたらいいけどな」
その言葉に、
美穂の指が一瞬だけ止まった。
「ねぇカイン。
あなた、ほんと寂しがりだよね」
「仕事柄ね」
笑ってごまかす。
その笑みは、まだ“ホストの笑み”だ。
まだ俺には演じる余裕があった。
だけど、心にほんの小さく
亀裂が走ったのは確かだった。
──彼女の前では、
嘘が少しだけ重くなる。
「今日はありがとう。
今日のあなたの嘘、すごくきれいだった」
そう言って、美穂は立ち上がった。
去り際の背中を見送りながら、
俺は思った。
調子が狂ってばかりだ。
“きれいな嘘”ほど、
壊すのが怖くなる。
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