君に咲く
冬が明け、花が咲き誇る頃。
花野の真ん中で、私は今日も息を切らしていた。
「はい、次」
千秋の声が風に混じって響く。
振り返ると、もう彼の指先には結印の形が組まれていた。
「ちょ、ちょっと待っ――」
言い終えるより早く、光の矢が幾筋も放たれる。
反射的に結界を展開すると、ぱん、と空気がはじけ、花びらが一斉に舞い上がった。
衝撃で揺れた風が頬をかすめ、花々が雪のように降り注ぐ。
「……容赦なさすぎ」
「訓練だよ。手加減しても仕方ない」
「優しさという概念をどこに置いてきたの」
「さて。家かな?」
「じゃあ一回戻って拾ってきて!」
つい声を張り上げると、千秋はくすりと笑った。
その笑顔が春の陽ざしみたいにまぶしくて、思わず私の口角もゆるむ。
少しして、昼下がりの柔らかな風の中。
千秋は木陰に腰を下ろして書物を広げていた。
私はその隣で、摘んだ花をくるくると編んでいる。
「何をしているんだい?」
「待ってて、もう少しで完成するから」
花びらの香りが甘く漂う。
指先がすこし土と花粉で汚れるけど、気にしない。
ようやく最後の茎を結んで、丸い輪が出来あがった。
「はい、できた!」
千秋が顔を上げた瞬間、その白い頭の上に花冠をそっとのせる。
小さな花が揺れて、春風が彼の髪を撫でた。
「……俺に?」
「うん。似合うよ」
彼は一瞬、言葉を失ったように瞬きをする。
やがてほんの少しだけ頬を赤くして、目を逸らした。
「また、子どもみたいな」
「いいじゃない。春だもん」
笑いながら、表情をのぞきこむ。
照れ隠しなのか、彼はふいに視線を花野の遠くへ向けて「……そうだね」と小さく呟いた。
その横顔を見て、胸が温かくなる。
冬の冷たさも、夜の痛みも、もう遠い。
今はただ、春の光と花の香りの中で、彼がここにいてくれることが嬉しかった。
花びらがまた風に舞う。
その一枚が彼の肩にとまり、私は指先でそっと払った。
彼がふと真顔になって、陰に置いていた荷を引き寄せる。
「……俺からも」
差し出されたのは、手のひらほどの小さな木の箱だった。
風に揺れる草花の音が、遠くでざわめく。
「開けてみて」
言われるままに蓋を開けると、中から淡い光をまとうような簪が現れた。
紫の藤をかたどった飾りが細やかに連なり、光を受けてきらきらと揺れている。
一瞬で息が詰まる。
あの日、彼が抜き取っていってしまったもの。
そして胸の奥にしまい込んだまま、受け取らせてくれなかった想い。
「……」
「……」
互いに言葉を失って、顔を真っ赤にする。
頬を染めた千秋が、そっぽを向いたまま早口で言う。
「店の人が言っていた。花にも意味があるって」
「……へえ」
「桜は『優美』とか『純潔』、梅は『忍耐』、椿は『誇り』……ええと、あとは……」
千秋は珍しく落ち着かない様子で、視線を右往左往させている。
「じゃあ、藤の花は?」
問いかけると、彼の言葉がぴたりと止まった。
風の音が、遠くで鳥が鳴く声が、やけに大きく響く。
長い沈黙のあと、彼は小さく呟く。
「……知らない」
「うそ。絶対知ってるのに」
笑ってしまった。
さらに赤くなって目を逸らす千秋の横で、箱の中の簪を手に取る。
指先で触れるたびに細い金の枝が小さく揺れ、光を散らした。
私は髪をひとつにまとめて結わえ、簪を差し込む。
そのまま顔を上げて、千秋の目を見つめた。
風が吹いて、簪の房がそよぐ。
視線が絡んで、息が詰まる。
「どう?」
固まったように動かなかった視線が、今度は慌てて気付いたように落とされた。
「……君も、似合っているよ」
小さく、けれど確かに。
その声が、花野の中でやわらかく溶けていく。
「似合ってるなら、もっとちゃんと見て」
いたずらっぽく言うと、千秋がゆっくりと顔を上げた。
その目はどこか怯えながらも、どこか祈るようで。
私は、そっと手を伸ばし、彼の頬に触れる。
そしてそのまま、短く、静かに、唇を重ねた。
ほんの一瞬。
けれど、永遠のように長い時間。
彼の驚いた息が頬にかかる。
一度だけ離れて、見つめあう。
次の瞬間、千秋が私の頬を両手で包み、今度は彼の方から静かに唇を重ねてきた。
風が花びらを巻き上げる。
藤の香りと、春の陽ざし。
遠くで鳥が鳴き、空はどこまでも青い。
もう、言葉はいらなかった。
彼がそっと私を抱きしめ、私はその胸に顔を埋めて笑う。
たくさんの夜を超えて、ついにたどりついた春。
過去も、痛みも、すべてこの瞬間のためにあった気がした。
――また咲くために散った桜のように。
私たちは、ようやく、同じ季節を生きている。
君に咲く 雨間イブキ @amaibuki
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