37.敗北と少女

「私の勝利でございます。」


ムーンが壁に灯りをつけ直す。

そして照らされたのは、

全身を氷で固められた凛太郎だった。

エーゼコルドの刃は彼女に届かず、

しかも氷の刃ではなく

地面から生えてきた氷の柱に捉えられた。

完全に意表を突かれた結果となり、

凛太郎は何も言葉を発せない。

肺が潰された訳ではない。

ただ、悔しくて何も言えなかった。

凛太郎は自分が強い人間だと思っていた。

しかもそれは事実である。

だが、ものの見事に完敗した。

最後に一矢報いたと思っても、

ただの悪あがきに過ぎなかった。

完膚なきまでの敗北。

凛太郎はギルムルールと戦って

敗れた時のことを思い出していた。

善戦したと思っていたのは自分だけ。

はたから見ればただの敗北なのに、

自分は頑張ったんだと思いたくて

最後まで足掻くのをやめなかった。

こんな惨めな負け方をしたなら、

ムーンに何かを聞くなんて

烏滸がましいことはできない。

凛太郎は口を噛み締めて、

彼女がここから去るのを待った。

しかし、彼女はすぐにいなくならずに

凛太郎の耳元に顔を寄せた。


「…ナナホシ通りの赤い屋根の家、

今夜の合言葉は『紫の太陽』でございます。」


「……っ!?」


それだけ言い残してから、

彼女の気配は去っていった。

そしてそれが闇のオークション、

まさに奴隷売買の会場であることを

凛太郎はすぐに悟った。

しかし、なぜ彼女がそのことを

凛太郎に伝えたのか分からない。


「俺は強い…か……。」


戦いの最後、刃を交える直前に

ムーンは凛太郎にそう言った。

完全に負かされた相手に

言われるのは癪に障ったが、

それは彼女が凛太郎を認めた証だった。

でなければ情けをかけるように

大事な情報を伝えるはずがない。

彼女に感謝したらいいのか、

悔しさを噛み締めればいいのか、

凛太郎はよく分からなくなる。

色々な感情を整理するために、

凛太郎は氷漬けにされながら俯いた。


――――――――――――――――――――


「あ、あの…大丈夫ですか……?」


しばらくして自分を取り戻した凛太郎は、

自分の体が耐えられる程の炎魔法で

氷をじわじわと溶かしていくと、

殻を破るように氷を内側から壊し、

すっかり忘れていた獣人たちを

檻から解き放って地上に出た。

彼らには感謝と同じくらい心配されたが、

大丈夫だと言っておいた。

一部始終を見ていただけあって、

彼らには凛太郎が認識できていることが

今の凛太郎には何より嬉しかった。


「俺は行く。あとは頼んだ。」


獣人たちが奴隷として捕えられ、

その犯人である男たちは死んだ。

起こったこととしては大事件だが、

被害者である彼らが無事だったので

保安部隊への報告などを任せて

凛太郎は一人でふらふらと

市場の方へ歩いていった。

色々なことが起こって忘れていたが、

凛太郎は腹が減っていたのだ。

あまり食べ過ぎると

夕食が入らなくなるので、

とりあえず空きっ腹を誤魔化すために

ホットドッグのような物を一つ買った。

元の世界のような多様な調味料こそないが、

この世界の食べ物は凛太郎の舌に合う。

広場のベンチに座って道行く人々を

ぼんやりと眺めながら、

出来たてのホットドッグを頬張る。

すると、視界の端に一人の子どもを見つけた。

頭の上部に生えた2本の丸い角と

トマトのように丸い顔をした女の子だった。


「はぐれたのか?」


見た目の特徴は獣人そのもの。

いや間違いなく獣人だろうが、

先程凛太郎は地下水路に

囚われていた獣人を解放したばかり。

もしかしたら、そのうちの子どもが

集団からはぐれてしまったのかもしれない。

しかし、その子に声をかけてみても、

その子は視線を一点に留めたままで

何も答えてくれる様子がない。


「親はどうした。迷子か?」


今度はベンチから下りて

少女と目線を合わせるが、

その子の視線は凛太郎本体に向いていない。

少女の視線の先にあったのは、

凛太郎が食べている途中のホットドッグだった。


「これが欲しいのか?」


少女の目の前にホットドッグをやって

聞いてみると、少女は首を縦に振った。

夜空に輝く星のように瞳をキラキラさせて、

ホットドッグを一心に見つめている。

しかし、この子の親もいない状況で

食べ物をあげてもいいものだろうか。

この世界の常識をまだ持っていない凛太郎が

下手に何かをして問題にならないだろうか。

それに、もし少女が物乞いの類いだとしたら、

この子に何かをあげた後で

他の子が物を強請りに来るかもしれない。

自分の行動には責任が伴う。

だから凛太郎は少し考えてしまった。


「何かあれば逃げるか。」


考えとしては無責任もいいところだが、

ここで少女を無視するよりも

偽善者を装って食べ物を恵んであげる方が

凛太郎の正義に忠実だった。

凛太郎はホットドッグを手でちぎり、

まだ口をつけていない方を渡す。


「これ食べたら親の所に帰れよ。」


少女はホットドッグを受け取ると

すぐに口いっぱいにかぶりついた。

口の周りをソースで汚しながら、

一心不乱に咀嚼する。

それだけお腹が空いていたのか。

身なりもそう汚れていないので

孤児ではなさそうなのだが、

ここまでお腹を空かせるとは

少女に一体何があったのだろうか。

しかし、それを詮索したところで

凛太郎にメリットはない。

この街の治安も悪くない上に

もうすぐ夕刻になろうという時間なので、

凛太郎は宿に戻ることにした。

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