第13話 産紋術師セラ
エイラ監察官が去った後、屋敷には束の間の静寂と、新たな「仕事」の重圧が残った。 リーネの家の「債務凍結」という餌と引き換えに、僕たちは「囮」として、危険な議会と『運搬業者』の「流れ」に身を投じることになった。
「……カザンさん、レン、ダグ」
リーネは、疲労困憊の三人を集めた。
「あなたたちも、もう『保護対象』じゃない。エイラ監察官の許可のもと、この家の『労働力』として仮身分が与えられた。まずは、昨夜の襲撃で壊された窓と、このボロ屋敷の修繕を手伝ってほしい」
「……おう。騎士様」
カザンさんが頷いた。
「鋳造所(あそこ)に戻されるより、千倍マシだ。仕事なら、任せてくれ」
彼らの顔には、もう僕への恐怖はなく、新たな「職場」を得た者の、わずかな緊張感が戻っていた。
「ユウ」
リーネが、僕に向き直る。
「あなたは、私と来なさい。エイラ監察官の命令通り、あの『セラ』という人物に会いに行く」
「……はい」
リーネは、ボロボロの軽鎧(けいよろい)の上から、家の紋章が入った布外套(マント)を羽織った。 僕も、鋳造所の作業服(スモック)の上から、リーネが用意してくれた簡素なケープを羽織る。それは、僕がこの家の「監督下」にあることを示す、目印でもあった。
僕たちは、リーネの家がある古い居住区を抜け、〈空冠国〉の中央広場を横切った。 紋衛庁がある厳格な石造りの区画とは違い、そこは「工紋(こうもん)ギルド」が管理する、職人たちの活気に満ちた地区だった。
エイラに指定された場所は、そのギルド地区の路地裏にあった。 『セラ産紋術工房』と書かれた、小さな看板。 扉を開けると、鋳造所の油の匂いとも、リーネの家の埃っぽい匂いとも違う、乾燥した薬草と、古い紙のインクの匂いがした。
「……ごめんください」
リーネが、警戒しながら声をかける。 工房の中は、雑然としていた。壁一面に、紋の設計図らしき羊皮紙が貼られ、床には分解された紋機関(もんきかん)の部品が転がっている。
「……あー、はいはい。今行きます」
奥から、白衣系の上衣に実務スカートを履いた、一人の女性が現れた。黒髪の一つ結び。丸眼鏡。その指先は、インクで黒く染まっていた。 年の頃は、リーネより少し上、二十歳くらいだろうか。
「……紋衛庁の紹介状ですね」
女性――セラは、リーネが差し出したエイラの通行証を一瞥(いちべつ)すると、僕の頭上から足先までを、値踏みするように眺めた。
「……あなたが、ユウ君。盾騎士リーネ。……エイラから、話は聞いてます」
「結論から言うと、あなたたちの『監査』と『訓練設計』、私が請け負います」
「監査……?」
リーネが眉をひそめる。
「そう。エイラの仕事は『監査』。私の仕事は『測定』。……前提を揃えましょう」
セラは、工房の奥にある、紋盤(もんばん)と呼ばれる複雑な測定器の前に僕を座らせた。
「ユウ君。あなたの力は二つある、と聞いています。一つは、人の『流れ』を整える《響き手(レゾナンス)》。もう一つは、あの〈銀砂獣〉を消滅させた、金色の光の『アレ』」
セラは、こめかみを軽く押さえた。
「まず、《タクト》の方から見せてもらいましょうか」
彼女は、大小さまざまな歯車が組み合わさった、奇妙な機械を起動させた。 ガシャン、ゴション、チチチ……。 複数の歯車が、わざと「ズレた」リズムで、不快な駆動音を立て始める。
「……この機械の『流れ』を、あなたの力で『整えて』みてください」
「……」
僕は、頷いた。 鋳造所のボイラー室で、機関の「ズレ」を聞き分けた時のことを思い出す。
僕は、不規則に鳴る歯車の音に、意識を集中させた。 僕の呼吸を、その「ズレ」に重ねていく。
「――《タクト》」
僕が小さく呟くと、ガシャン、ゴション、と鳴っていた歯車が、カシャン、コション、と、わずかに滑らかに噛み合った。 機械の「流れ」が、ほんの少しだけ「同期」したのだ。
「……なるほど」
セラは、僕の《タクト》ではなく、僕の隣にある「紋盤」の数値を、熱心に記録していた。
「……今、《タクト》を使った瞬間、あなたの体内から排出される『残渣(ざんさ)量』が、平常時の0.03%上昇した」
「残渣……?」
「そう。この世界でいう『銀砂(ぎんさ)』のことです」
セラは、丸眼鏡の奥の目を光らせた。
「あなたの《タクト》は、無から何かを生み出す力じゃない。周囲の『流れ』に干渉する代償として、ごく微量の『銀砂』を、あなた自身が排出している。……これが、〈銀砂同盟〉の追手が、あなたの『痕跡』を追える理由です」
「……!」
僕の力の「弱点」が、初めて言語化された。
「では、次」
セラは、手元の記録(メモ)を裏返した。
「あの、金色の光。『聖域結界(サンクチュアリ)』と呼ばれている、失われた中央女神の力。……あれを、今、ここで見せてください」
「……それは」
僕は首を振った。
「僕にも、分かりません。あの時は、ただ、リーネさんたちが危なくて……」
「……再現性がない、と」
セラは、机を指で「トントン」と叩いた。
「エイラは、あなたを『爆弾』と『監査資産』の両天秤にかけている。もし、あの金色の光が、あなたの意思で制御できない『暴走』なら、あなたは『爆弾』として処理される」
「……!」
「……でも」
セラは、皮肉っぽく笑った。
「無茶は嫌い。でも、準備された無茶は……嫌いじゃない」
「どうやら、あの力は、あなたが『守りたい』と強く願う、極度の緊張下でしか発動しないらしい。……実地で試すしか、なさそうですね」
その時だった。
「――ドロボー! 誰か、捕まえてくれ!」
工房の外。 工紋ギルドの広場の方から、甲高い悲鳴が響いた!
リーネが、即座に扉を開ける。 広場を、一人の男が疾走していた。その手には、銀細工の『紋具(もんぐ)』が握られている。
「……盗難だ!」
「……ほう」
セラが、丸眼鏡の位置を直した。
「結論から言うと、ユウ君。あなたの『評判』稼ぎの、最初の『仕事』です」
「え……?」
「エイラの『囮』計画、聞いてますよ。この街で、リーネと共に『評判』を稼げ、と。……ちょうどいい」
セラは、僕の背中をポンと押した。
「行きなさい、リーネ。ユウ君」
彼女は、工房の入り口に寄りかかった。
「これは、あなたの《タクト》の『実地試験』です。……あの盗人を、どう『采配』して捕まえるか、見せてもらいましょう」
リーネは、一瞬ためらったが、すぐに盾騎士の顔に戻った。
「……行くぞ、ユウ! あの男の『流れ』を読め!」
僕たちは、市井のど真ん中で、最初の「事件」に直面することになった。
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