第12話 “囮”という名の取引
夜が、白み始めていた。 屋敷中に鳴り響いた警報(よびりん)の音は、とっくに止んでいる。 だが、僕の耳の奥には、レンが仕掛けた蝶番の、あの甲高い「軋み(きしみ)」の音がこびりついていた。 (ギィ、……ギィ、……)
それは、鋳造所の〈運搬車(キャリッジ)〉の音に、あまりにもよく似ていた。
僕たちは、リーネが縛り上げた二人の「捕虜」を、物置部屋の柱に縛り付けたまま、夜明けを待った。 カザンさん、レン、ダグの三人は、昨夜の防衛戦で僕が「役立たず」の怪物ではないと理解したのか、僕への恐怖は薄れ、今はただ、疲労困憊(ひろうこんぱい)した顔で壁に寄りかかっている。
リーネは、盾と槍を手放さないまま、玄関の扉を見つめていた。 彼女が老執事に託した「功績報告」の使者は、夜明けと同時に紋衛庁へ向かった。
やがて、馬車の車輪の音が、屋敷の前で止まった。 (ギィ、……) 僕は、思わず身を強張らせたが、すぐに、あの重く引きずるような「鋳造所の音」とは違う、もっと規律正しい「紋衛庁の音」だと気づいた。
「――監察官エイラ様、ご到着です」
老執事の声が響く。
リーネの屋敷に、監察官エイラが、数名の武装した部下を連れて入ってきた。彼女は、濃紺の実務服に、一筋の乱れもなく立っていた。 その視線が、玄関ホールで無力化された痕跡、廊下に転がる折れた槍(賞金稼ぎのもの)、そして物置部屋で縛られている二人の捕虜を、順番に「検分」していく。
「……盾騎士リーネ」
エイラは、手に持った資料束の角を、トン、と揃えた。
「あなたの報告通り、『襲撃』は事実と確認した。……『撃退』し、捕虜二名を確保。見事な『布陣』だ」
「……はっ」
リーネが、硬い声で答える。
「ユウ」
エイラは、僕を見た。
「あなたが、指揮(タクト)を?」
「……はい。僕の《響き手》で、敵の『流れ』を読んで、配置を決めました」
「……そうか」
エイラは、それ以上僕を評価することなく、捕虜の前にしゃがみ込んだ。
「……議会の紋章入りの手配書。確認した」
エイラは、リーネが捕虜から奪った手配書を、改めて光にかざす。
「……これほどの『証拠』を、よく手に入れた」
「尋問を始める」
エイラは、部下に命じた。
「記録の準備を。リーネ、ユウ。あなたたちも、証人として同席しなさい」
エイラの尋問は、彼女の服装と同じくらい、冷徹で、無駄がなかった。
「……名乗る必要はない。問いにだけ答えろ。一つ。依頼主は誰だ」
「……知るかよ。俺たちは、ギルド経由で仕事を受けただけだ」
捕虜の一人が、吐き捨てる。
エイラは、表情を変えなかった。
「二つ。ギルドに、この『手配書』を渡したのは誰だ」
「……」
「三つ。この手配書に『議会』の紋章がある理由を、どう説明された」
捕虜の男は、エイラの三つ目の質問に、わずかに目が泳いだ。
「……議会の、どの筋かなんて、俺たちは知らねえ。ただ、『上』からの仕事で、金払いがいいと……」
「『上』、ね」
エイラは、資料束から別の書類を取り出した。
「あなたたちが所属する賞金稼ぎギルドは、表向きは中立だが、その金の流れは、特定の『運搬業者』ギルドを経由している。……違うか?」
「……っ!」
捕虜の顔色が変わった。
「……なんで、それを……」
「その『運搬業者』が、あなたたちに実働部隊の手配を指示した。そうですね?」 「……」
「……答えない、か」
エイラは、立ち上がった。
「……まあ、いい。あなたたちの『仕事』の手配師が、いつも腰に『錆びた鈴』をぶら下げている連中だということは、こちらで確認が取れている」
チリン、と。
僕の頭の中で、幻聴が鳴った。 鋳造所の、あの「選別」と「出荷」の合図。 衛兵が鳴らしていた、あの、錆びた鉄の鈴の音。
「……!」
僕は、思わず自分の首筋を押さえた。 古い油の匂いと、金属の冷たい感触が、皮膚の下に蘇る。
僕の異変に、エイラとリーネが、同時に気づいた。
「……ユウ?」
「……どうやら」
エイラは、僕の反応を見て、冷ややかに続けた。
「あなたたちを『運搬』してきた業者と、賞金稼ぎを『手配』した業者は、同じらしい」
〈銀砂同盟〉と、〈空冠国〉の議会。 その二つを繋ぐ、黒い「流れ」。 僕を商品として管理していた「過去」が、僕を「賞金首」として狙う「現在」と、ここで繋がった。
「……尋問は、ここまでとする」
エイラは、部下に捕虜を連行するよう命じた。
「監察官!」
リーネが、慌てて声を上げた。
「その捕虜は、私の家が確保した『功績』です!」
「分かっている」
エイラは、リーネに向き直った。
「だから、ここからが『取引』だ」
彼女は、僕とリーネを、物置部屋から、日の当たる客間へと導いた。
「……盾騎士リーネ。今回のあなたの『功績』は、紋衛庁が正式に受理する。捕虜の証言と、議会の紋章入りの手配書。これは、議会に対する強力な『監査材料』となる」
「その見返りとして」
エイラは、リーネの目を見た。
「紋衛庁の権限で、あなたの『家』が抱える議会への『負債』の一部を、凍結するよう手配しよう」
「……!」
リーネが、息を飲んだ。それは、彼女の家が潰される寸前だった、その「借金」が、止まることを意味していた。
「……ただし」
エイラは、今度は僕を見た。
「その『取引』には、条件がある」
「……条件」
「ユウ。あなたには、表向き、この家で『保護』され続けてもらう。……だが、実質は『囮(おとり)』だ」
「……囮、ですか」
「そうだ。議会と『運搬業者』は、必ず第二、第三の刺客を送ってくる。私たちは、その『流れ』を利用する」
エイラは、客間の窓から、中央の街並みを見下ろした。
「あなたは、このリーネの家から出て、市井(しせい)の『仕事』を手伝いなさい」 「……え?」
「街の、小さな事件でいい。盗難、喧嘩の仲裁、水路の掃除。何でもいい。あなたの《響き手》の力を使って、リーネと共に『評判』を稼げ」
「……それが、どうして『囮』に?」
「『功績は家に。評判は国を動かす』」
エイラは、この国の標語を、冷たく口にした。
「あなたがリーネと共に『評判』を集めれば、議会は焦る。あなたという『奴隷上がりの調査対象』が、リーネ家の『功績』として、市民に認められ始めるからだ」
「そうなれば」
とエイラは続けた。
「敵は、こんなボロ屋敷への『夜襲』などという、手ぬるい手は使わなくなる。……もっと公(おおやけ)の場で、あなたたちを『潰し』に来る」
「その、公の場で、敵の『尻尾』を掴む。……それが、私の『仕事』だ」
それは、あまりにも危険な「取引」だった。 僕の《タクト》の力を使って、わざと敵の目の前で目立ち、僕とリーネの家を、議会という巨大な敵の「的」にしろ、と言っているのだ。
リーネは、唇を噛んでいた。 家の「債務凍結」は、魅力的すぎる餌だ。 だが、その代償は、ユウを危険に晒すこと。
僕は、リーネの前に進み出た。
「……エイラ監察官」
「……何だ」
「その『取引』、受けます」
「……ユウ!?」
リーネが、驚いて僕を見た。
僕は、エイラをまっすぐに見据えた。
「僕は、リーネさんに『借り』がある。この家を、僕のせいで危険に晒した。……それに、カザンさんたち三人を、『労働力』としてでも、ここに置いてくれた」 「……」
「僕が『囮』になることで、リーネさんの『借金』が止まるなら。……僕の『仕事』として、それをやります」
エイラは、僕の目を数秒見つめた後、ふ、と息を吐いた。 それは、彼女が僕たちの前で初めて見せた、ごくわずかな「人間的」な反応だった。
彼女は、僕の答えに満足したようだった。
「盾騎士リーネ。このユウの『監督』、引き続き、厳命する。……そして」
彼女は、リーネに一枚の紋章入りの通行証を渡した。
「この少年を、街の『産紋術師(さんもんじゅつし)』のところへ連れて行け。……『セラ』という女だ」
「セラ……? あの、紋衛庁きっての変人と言われてる……」
「そうだ。あの女なら、あなたのその《響き手》と、あの金色の『聖域結界』の『正体』を、解明できるかもしれん」
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