5 暗殺者のプロファイル(ブラックウィング・コード)
旧市街の時計職人のアトリエ。
祭事での情報戦が終結した夜から、レイはほとんど眠っていなかった。頭の中では次の戦いのための緻密なシミュレーションが休みなく繰り返されている。
レイの眼前にはヴェラ・ノースから提供された情報に基づき、【異能解析】で再構築されたデータが、魔力の粒子として空間に展開されていた。それはダルク公爵が雇った暗殺集団「黒翼(ブラックウィング)」のプロファイル・コードだ。
「情報戦の次は物理的な排除か――ダルク公爵の行動パターンは常に『勝利の確実性』を最優先する。ゆえに雇う暗殺者は『確実性』を担保するための、洗練されたプロフェッショナルであるはずだ」
レイは空中を漂うプロファイル・データに指を触れる。
〈解析開始:暗殺集団「黒翼」の行動パターン、戦闘履歴、心理的傾向。情報源はヴェラの「影の眼」ネットワーク。情報の信頼度:85%〉
《メンバー構成とプロファイル》
リーダー:シグルド(コードネーム:ファルクス)
戦闘スタイル: 身体強化魔術と無属性剣術の融合。近接戦闘に特化。
心理的傾向: プライドが高く自身のスピードと完璧な隠密性に絶対的な自信を持つ。
過去の失敗事例:なし。
解析による脆弱性: 完璧な隠密性を追求するため環境のノイズに対する耐性が極端に低い。予測不可能な要素を嫌悪する。
後衛:リリス(コードネーム:ネビュラ)
戦闘スタイル: 遠距離からの狙撃と幻影・錯乱魔法。
心理的傾向: 極度の視覚依存。視界が確保できれば優位性を保てるが、視界が遮られると極端にパニックに陥る傾向。
解析による脆弱性: 幻影魔法の維持に微細な魔力ノイズを周囲に発生させる。クロエの【絶対聴覚】で探知可能。
レイはプロファイルを数理的に処理し、行動予測「アルゴリズム:ブラックウィング・コード」を構築した。
「連中はエリアル王女の別邸周辺の警備パターンを詳細に調査し、最も警備が手薄になる『深夜2時30分』に侵入を試みる。これはシグルドの『完璧な作戦』というプライドに基づく、最も予測しやすい行動だ」
物理的な戦闘力でレイとクロエはプロの暗殺者に到底及ばない。前世の特殊訓練の記憶があっても、この世界の武術には慣れていない。
「ゆえに戦場は『物理空間』を避ける。戦場は連中の『知覚と判断』の中だ」
レイの計画は極めて情報戦に特化したものだった。
《カウンター暗殺作戦:情報汚染と感覚破壊》
「クロエ。君の【絶対聴覚】が今回の作戦の中心となる。君の任務は連中の『知覚の基盤』を破壊することだ」
「具体的にはなにを?」
「シグルドは『ノイズ』を嫌悪し、リリスは『視覚』に依存する。我々の作戦は連中が最も頼る感覚を、連中にとっての『情報災害』に変えることだ」
ターゲット1:シグルド(ファルクス)
『ノイズ汚染』
レイはヴェラから提供された別邸の警備魔導器の仕様書を解析する。
「別邸の防衛システムには、外部からの侵入を警告するための音波センサーがある。そのセンサーの周波数帯域を公爵派の魔導師が調整した音響拡散魔術の『逆位相』に少しだけズラす」
レイは小さな魔導石のチップに、特定の位相遅延コードを書き込んだ。
「深夜2時30分、シグルドがセンサーに触れる直前。君の【絶対聴覚】で彼が起こす微かな空気の振動を捉え、その情報を用いてこのチップを起動させる」
「結果?」
「チップが起動すれば音波センサーはシグルドの微かな足音を『増幅された数千倍の音』として感知する。そしてその音波はシグルド自身の脳内に『予期せぬ激しいノイズ』として叩き込まれる。奴は自身の絶対的な隠密性が崩壊したと錯覚しパニックに陥るはずだ」
ターゲット2:リリス(ネビュラ)
『視覚情報汚染』
「リリスは遠隔から狙撃魔法を仕掛けるため、高所の視界の良い場所に潜伏するだろう。君は彼女が幻影魔法を維持するために発する『魔力ノイズ』を追跡し、その潜伏場所を特定する」
レイは別邸の庭に配置されている「霧発生装置」の魔術刻印を指差した。これは庭園の湿度管理に使う普通の魔導具だ。
「リリスが潜伏場所に到達した瞬間、霧発生装置の出力を限界値まで引き上げる。これにより別邸の庭全体が『濃密な魔力の霧』で覆われる」
「普通の霧では彼女の幻影魔法を突破できないのではありませんか?」
「普通の霧ではない。この霧にはヴェラ殿から提供された『光魔術の残滓』が混ぜてある。リリスの幻影魔法は光の屈折を利用したものだ。彼女の視界は自らの魔法が生み出す光の乱反射によって、完全に汚染され狙撃が不可能になる」
暗殺者が最も頼る「知覚」を「最大の敵」に変えるという、レイの究極のカウンター・プロファイリング作戦だった。
深夜2時30分。
王都は漆黒の闇に包まれていた。エリアル王女の別邸周辺には、レイとクロエ以外に、誰もいないように見える。しかしレイの【異能解析】は別邸の南側の石壁に微かな空気の歪み、すなわちシグルドの「究極の隠密移動」の痕跡を捉えていた。
「来るぞ」
レイは静かに告げた。クロエは目を閉じて全身の聴覚をシグルド一点に集中させた。
《解析:シグルド。移動速度:毎秒$15¥text{m}$。別邸の石壁までの距離:$50¥text{m}$。残り時間:$3.3$秒。呼吸パターン:極めて安定。彼の心理は成功の確信にある》
「石壁に触れる0.1秒前。シグルドの靴の底が土の上の小石を微かに踏み潰しました!」
カシュン!
レイはシグルドの微かな足音の情報と同時に、銀の円盤(周波数調整器)を起動させた。円盤に書き込まれた位相遅延コードが、別邸の音波センサーに流れ込む。刹那――別邸の音波センサーはシグルドの微かな足音を、巨大な鉄の塊が地面に落下したかのような轟音として増幅した。
ドゴォォォォォン!
実際の物理的な音は発生していない。しかし音波センサーは壊れたように光り、そのフィードバックが、シグルドの隠密性の自尊心を直撃した。脳内に「俺の究極のステルスがこんなにも簡単にバレた」という情報が激しいノイズとして叩き込まれる。彼の行動予測パターンは一瞬で完璧な作戦の崩壊へと切り替わった。
「馬鹿な! 警備兵に気付かれたのか?」
シグルドはパニックのあまり、即座に石壁を飛び越え、別邸の庭園に強行突入した。彼の得意とする「静かなる暗殺」のコードは完全に破壊された。
「次はリリスだ! シグルドのパニック行動に遠隔から狙撃で対応しようと必ず動く!」
「魔力ノイズを追跡します。見つけました! 別邸から北東、約$200¥text{m}$離れた時計塔の屋上です!」
クロエの合図と同時にレイは別邸庭園の霧発生装置に魔力を注入する。庭園全体が瞬く間に濃密な霧に包まれた。この霧は通常の霧とは異なり、リリスの幻影魔法の屈折率と完全に干渉するように調整されている。
時計塔の屋上。リリスは狙撃魔法の詠唱を始めようとしたが、眼下の別邸の庭が突如として光の奔流が渦巻く、混沌とした視界に変わったことに気付き動揺した。
「なによ、この霧! 魔法の残滓が屈折率を狂わせている。幻影が張れない!」
彼女の得意な遠隔狙撃は視界情報が汚染されたことで完全に封じられた。ターゲットは既に「戦闘不能」へとプロファイルされる。レイはヴェラからもらった魔力通信器を起動した。
「ファントムより緊急通信。別邸庭園に暗殺者二名が侵入。彼らの知覚基盤は既に崩壊。戦闘能力はプロの暗殺者から『一般の暴漢レベル』まで低下しています」
ヴェラの声が通信器から響いた。
「あらそう、ほんの数秒だったわね。私が用意していた『影の眼』の待機部隊を暴漢対応として現場に送り込むわ。公爵との繋がりを悟られない形で捕縛する」
レイは別邸の庭園でパニックに陥ったシグルドが濃霧の中で無意味に剣を振り回し、リリスが遠くの時計塔で焦燥感に駆られている様子を【異能解析】で静かに見守っていた。
暗殺者たちによる物理的な脅威は、レイの心理と情報の防壁によって、剣を交えることなく完全に無力化された。暗殺者のプロファイルを解析し、その「脳内にある情報処理の優先順位」を乱す。それがこの世界の暗殺者を相手にする最も有効なカウンター暗殺コードだ。
レイの戦いは常に「敵が持つ世界観」そのものを破壊することにあった。
作戦終了後、エリアル王女の別邸。
ヴェラ・ノースは捕縛された暗殺者の報告を受けたあとレイの隠れ家を訪れる。
「公爵は暗殺者が『情報汚染』によって無力化されたとは夢にも思わないでしょうね。彼らは単に『予想外の警備の強さ』と『不運』によって失敗したと認識するはずだわ」
ヴェラはレイに対して、もはや敬意に近い感情を抱いていた。
「レイ・マンチェスター。あなたは私の知る限り、この王国で最も危険で、そして最も頼りになる存在よ。今回の暗殺事件は公爵の最後の公的な反撃になるでしょうね」
「果たしてそうでしょうか?」
レイは顎に手を当てた。
「公爵の『権力への執着』という深層心理はまだ活動しています。公的な策謀で敗北を喫しましたが、彼の最終目的は、王国の『構造そのもの』の掌握です」
レイは黒翼のプロファイル情報の中にあった一つの小さな情報を指摘する。
「この暗殺集団『黒翼』は王国の裏社会で活動していますが、その資金源の一部が王国最古の金融ギルドを経由している。これは公爵が自身の敗北に備えて、王国の経済システム全体を人質にする準備を進めている証拠です」
ヴェラはレイの微細な情報から巨大な予測を立てる能力に息を呑んだ。
「王国の経済システムを人質に? 具体的にはなにをするつもりなのかしら?」
「おそらく王国の通貨の信用度を根底から揺るがす『金融恐慌』です。ダルク公爵の真の目的は王位継承戦の勝利ではなく、王国というシステムを一度破壊し、自身が『再構築者』として絶対的な権力を握ることだ」
レイは静かに結論づけた。
「次の戦場は王都の裏路地でも祭事の広場でもない。王国の信用と金銭が渦巻く、最も見え難い領域です」
ヴェラはレイの言葉に初めて恐怖を感じた。それは物理的な力への恐怖ではなく、王国の未来が一人の男の『執着』によって、まるで数式のように解体されようとしている情報戦の深淵への恐怖だった。
「あなたの解析を信じるわ。次なる作戦はなにを?」
レイはクロエの頭を優しく撫で王都の騒音の中に耳を傾けた。
「王国の信用を破壊しようとするなら、私たちは信用そのものを生み出す新たな経済システムを構築し、公爵の裏をかく必要がありますね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます