4 祭事の策謀(ディスインフォメーション・フィールド)
満月の夜。
王都の中心にある「神聖の広場」は、数万の市民と貴族で埋め尽くされていた。年に一度の「建国の誓約」を再確認する祭事だ。空には満月が煌々と輝き、その光が広場全体を、厳粛な白銀色に染め上げていた。
レイはクロエを伴い、広場を見下ろす旧市街の教会の鐘楼に身を潜めていた。手には王室禁書庫から持ち出した「建国期の誓約と真実の写し」の巻物を、慎重に魔法で転写した極薄の羊皮紙を持っている。
「クロエ、公爵派の魔導師たちの配置はどうなっている?」
「広場の四隅にある『音響拡散魔術』の魔導器は配置完了していますね。連中は『祭事の音響調整』だと偽っていますが、解析した通り、これは『情報拡散フィールド』です」
クロエの【絶対聴覚】は音響拡散魔導器から漏れる微細な魔力の脈動を捉えていた。
〈解析:ダルク公爵の狙いは物理的な破壊ではなく世論の一斉操作。音響拡散魔術は広場全体を均質な音場に変え、公爵の主張を『不可逆な真実』として国民の脳内に刻み込むための、究極のディスインフォメーション・フィールドとなっている。このフィールドが起動すれば、いかなる反論もノイズとして打ち消されるだろう〉
レイのカウンター作戦は、単純かつ極めて緻密だった。公爵の魔術を物理的に破壊すれば、必然的に【ファントム】の存在が公然のものとなり、エリアル王女の立場を危うくする。
ゆえにレイが目指すのは「公爵の魔術を公爵自身の意図と反するメッセージを流すための媒体として乗っ取る」という究極のステルス・ハッキングだった。
「公爵の魔術の『コアとなる共鳴周波数』と『音場展開時の位相の揺らぎ』をリアルタイムで抽出してくれ。一秒の遅れも許されない」
「了解。来ます、公爵の筆頭秘書官ヴィルヘルムが壇上に上がりました!」
広場の壇上。ヴィルヘルムは厳かな表情で玉座に立つエリアル王女を一瞥し、そして国民に向かって深く頭を下げた。
「今宵この神聖なる祭事において、我々は建国の真の歴史、そして王室の『隠された誓約』の真実に触れることになるでしょう!」
ヴィルヘルムの声が大きくなるに連れ、広場の四隅の魔導器が淡い光を放ち始めた。音響拡散魔術が起動する。クロエはその瞬間に魔導器が作り出す音場の構造を、脳内のスペクトラム解析として瞬時にレイに伝達した。
「周波数$440¥text{Hz}$の五倍音に共鳴点を設定! 位相の揺らぎは$1.5^¥circ$の遅延です!」
「素晴らしい」
レイは懐から小さな銀の円盤を取り出した。図書館の隠し扉を開けるのに使った笛の原理を応用し、【異能解析】によって調整された、「周波数調整器(ハーモニック・アジャスター)」だった。
ヴィルヘルムが公爵が用意した偽の古文書の写しを読み上げ始める。
「真実の歴史はこう記す! 王族は国民の魔力負担を肩代わりしたのではなく、『禁断の魔法を密かに利用し、国民を支配下に置くための血の契約』を結んでいたのだ!」
その声は音響拡散魔術によって増幅され、王都の隅々まで、まるで脳に直接語りかけるように響き渡った。広場の市民たちの間に動揺と恐怖、そして裏切られた怒りの感情が瞬く間に広がっていく。
〈解析:国民の感情ベクトル「怒り」が臨界点に到達するまで残り12秒。この間に反証を流さなければ、世論は不可逆的に公爵の手に落ちる〉
「怒りの波紋が音場を乱し始めました!」
クロエが叫ぶ。レイは銀の円盤のスイッチを入れた。円盤から人間の耳には聞こえない、極めて微細な超音波振動が発生する。
「この周波数調整器で公爵の音響拡散魔術の周波数に『完全な逆位相の超音波』を僅かに乗せる。公爵の魔術を無効化するのではなく、奴の魔術を極めて僅かに不安定な状態にするための工作だ」
レイはクロエに指示した。
「不安定になった音場を【絶対聴覚】で『エリアル王女の声の周波数』と完全に同調させろ! 王女の声を公爵のスピーカーから流す!」
クロエは目を閉じ、全身の魔力を、聴覚から得た情報解析に注ぎ込んだ。彼女の脳内で公爵の魔術の複雑な波形が解析され、王女の清らかで強い声の周波数と完璧に重ね合わされる。
「同調完了。$440¥text{Hz}$、位相差ゼロで王女の声を乗せます!」
その瞬間、広場に響いていたヴィルヘルムの音声が一瞬歪む。そしてその歪みの後に、静かで、しかし凛としたエリアル王女の声が、音響拡散魔術のスピーカーから王都中に響き渡った。
「国民の皆様! 静かに耳を傾けなさい!」
ヴィルヘルムはパニックに陥った。
「馬鹿な! 音響調整の魔導器から、なぜ王女の声が聞こえる!」
王女は玉座から身動き一つしていない。彼女の声はレイが操作した魔術を通して、まるで神託のように直接国民の心に語りかけていた。
レイは羊皮紙の内容をクロエに読み上げるように指示した。クロエの完璧な発音と音量調整能力は、この情報拡散に最適だったのである。
「王族は国民を支配下に置くためではなく、王族の血と魔力を用いて禁断の魔法を封印し、永遠に国民の魔力負担を肩代わりする自己犠牲の誓約を結んだ」
クロエの読み上げる真実の歴史は、公爵の嘘が作り出した音場を瞬時に浄化していく。国民の動揺は怒りから驚愕、そして感動へと変化していった。王族の真の歴史は国民の心に強く響いたのだ。
鐘楼の影。
レイの背後に漆黒の外套を纏った人物――ヴェラ・ノースが立っていた。彼女は広場で起きたすべてを冷徹な目で監視していた。
「信じられない……公爵の魔術を触れることなく乗っ取ったわね。しかも王女の音声をその場にいることなく完璧に同調させた。クロエという少女の能力と、あなたの解析が融合した結果ね」
「ヴィルヘルムは音響防御と拡散魔術の位相という、最も基本的な構造を軽視していた。位相のズレは情報戦において『致命的な脆弱性』となる」
広場では動揺したヴィルヘルムが警備兵に指示を出すが既に遅かった。国民は公爵派の主張よりも、突如として響き渡った「自己犠牲の誓約」という、感動的な真実に心を奪われていた。
「レイ・マンチェスター、これでダルク公爵の謀略は完全に失敗ね。歴史の権威を盾に王権を崩壊させようとしたが、逆に王権の『神聖性』を国民に再認識させる結果となった」
ヴェラはレイの情報戦の緻密さに改めて驚愕していた。彼女はレイに対して、ある重要な情報を渡す。
「公爵は今、公的な敗北を喫した。しかし彼の『深層心理』は権力構造そのものへの執着を失ってはいない。次なる一手は必ず『直接的な脅威の排除』になる」
「つまり【ファントム】の排除ですか?」
レイはその可能性を予測していた。
〈解析:ダルク公爵のプロファイル再計算。行動予測の精度:99%。公的活動での失敗が続いたため、次なる行動は非公然活動、すなわち暗殺へと移行する。ターゲットは俺、そして俺を信頼し始めたエリアル王女〉
「『影の眼』の非公式情報によると、公爵は王国の裏社会で活動する『黒翼(ブラックウィング)』という暗殺集団に接触を試みている。彼らは魔法と剣術を扱うプロフェッショナルよ。あなたの解析能力が物理的な戦闘で通用するかどうかは未知数ね」
ヴェラはレイに小さな魔導ブレスレットを差し出した。
「これは緊急時の魔力通信器。私があなたを監視するため、そして、あなたを守るためのものよ。ダルク公爵の暗殺作戦が始動すれば、おそらく私が最初に察知するだろう。その時、あなたに王女の『影』として、王国の『深層心理』の番人として、物理的な防衛という新たな任務を与えるわ」
レイはブレスレットを受け取った。ヴェラが自身を完全に信頼したわけではないが、必要不可欠な協力者として認めたことを理解した。
「ありがとうございます、ヴェラ殿。王国の安定のため、その劇薬を最後まで活用させて頂きます」
レイはクロエと共に鐘楼を後にした。
夜の闇の中、レイの頭の中では次の作戦が既に構築され始めていた。情報戦から暗殺者を相手にする防衛戦へ――【異能解析】は肉体の限界を超えた究極の自己強化と、暗殺者の思考を先読みする行動予測アルゴリズム構築へと、そのステージを移行させようとしていた。
レイの異世界スパイ活動は、新たな、そして最も危険な局面に突入した。
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