3 歴史の断片(ディスカバリー・オブ・トゥルース)
王立図書館。
王都の中央に位置する、権威と知識の殿堂だ。重厚な石造りの外壁は、その内部に保管されている情報の重要性を物語っている。
レイはクロエを伴い、図書館から三棟離れた教会の塔の影に身を潜めていた。夜の図書館は静寂に包まれているが、レイの耳には、その静寂が「作り物」であることが聞こえていた。
「クロエ、どうだ?」
「はい。図書館の壁から特定の魔力の流れを感じます。まるで大きな水の膜が建物を覆っているみたい。内部の音が外に漏れないようにされている」
クロエの【絶対聴覚】は、単なる音波を捉えるだけでなく、その音波に影響を与える魔力の流れ、すなわち音響防御魔法の構造までも解析していた。
〈解析:音響防御魔法の周波数パターン。これは王族の機密情報が外部に漏れるのを防ぐ、標準的な「情報統制術式」だ。ダルク公爵派がこれを操作することは難しい。問題はこの防御膜の中にある「情報そのもの」の厳重な保管状態だ〉
ダルク公爵の陰謀は「王族による禁断の魔法利用」という偽りの歴史を祭事で発表すること。それを打ち砕くには「王族は潔白である」という真の証拠、すなわち「歴史の断片」が必要なのだった。
「その『水の膜』の中で、最も静かで、最も動かない音を探すんだ。誰も触れていない、真実の重さを帯びた音だ」
クロエは目を閉じ、全身の意識を聴覚に集中させた。王都の喧騒をノイズキャンセリングし、図書館の静寂のさらに奥深くへと潜っていく。
一分、二分、三分、レイの隣でクロエの呼吸が乱れ始めた。脳が処理する情報量が限界に達しつつある兆候だ。すぐに「呼吸のパターン調整」の指示を与える。
「吐く息を五秒。吸う息を三秒。意識を『音』ではなく、呼吸の『時間』に向けろ。その時間の流れの中で最も古く、最もゆっくりと進む音を捉えるんだ」
レイの的確な指示で、クロエの呼吸は安定を取り戻した。そして彼女の口から、ついに目的地が紡ぎ出された。
「南棟……四階、第十二書架の奥。微かに乾燥した羊皮紙が、湿度の変化で縮む音がする。ほかの古文書とは違う。意図的に空調の魔導具の影響を受けない場所に隔離されている音だ」
「隔離されている――か。つまり『歴史の断層』だ」
レイは確信した。
ダルク公爵派は邪魔な記録を焼却するのではなく、誰も見つけられない場所に隠すという、より巧妙な情報統制を行っていたのだ。なぜなら歴史は完全に消し去ることができず、むしろ消し去ろうとすると、その痕跡が「真実の存在」を証明してしまうからだ。
レイとクロエは王立図書館の裏手の、使用人専用の搬入口へと移動した。
王立図書館の内部。
レイは警備兵や巡回魔導具のパターンを既に【異能解析】で完全に把握していた。警備は厳重に見えるが、その巡回ルートは人間の怠惰に基づく、予測可能な定型パターンに過ぎない。
「警備兵が曲がる直前の、靴が石畳を擦る音の速度変化を教えろ」
「。三歩後、左に曲がるときの速度、0.2秒低下します」
クロエの情報を元に、レイはまるで亡霊のように図書館の内部を滑る。彼の身体能力は転生時に得た若さと、前世で培った「究極のステルス移動術」の組み合わせで、既に常人の域を超越していた。
南棟四階。第十二書架の奥。
レイはクロエが音で特定した書架の裏側、僅かな隙間から、石壁に刻まれた隠し扉を開けるための魔術刻印を発見した。
〈解析:刻印の魔術構造。極めて単純な音波認証だ。特定の音階を正しいボリュームで、正しいテンポで奏でることで開く。これは秘密を守るためではなく、知っている者しか入れないようにするための儀式だ〉
レイはポケットから小さな笛を取り出した。この笛は【異能解析】で図書館の防御魔法の周波数と完全に同調するように調整したものだ。
「扉の向こうにいる貴族の、脈拍の一拍目を合図に、指示した音階を叩き出せ」
「了解!」
クロエの【絶対聴覚】が扉の向こうにいる情報統制担当者の脈拍を捉える。
トクン!
その一拍目と同時に、レイは笛を吹いた。
ピッ、ポッ、パァ!
特定の音階が図書館の音響防御魔法に完璧に同調し、扉の魔術刻印に吸い込まれていく。かちりという静かな音と共に、石壁がゆっくりと奥へとスライドした。
レイとクロエが足を踏み入れたのは、厳重に管理された王室禁書庫の別室だった。部屋の中央には黒曜石の台座があり、その上に一冊の古文書が安置されていた。
「これだ」
レイは古文書に手を伸ばす。その表紙には旧アステラ語で「建国期の誓約と真実の写し」と記されていた。古文書を開き【異能解析】を最大レベルで起動する。
〈解析開始:古文書の筆跡パターン、羊皮紙の年代測定、記述された歴史的事実と公爵派の主張との「論理的矛盾点」の洗い出し。すべての情報が秒速で脳内を駆け巡る)
公爵派が主張する「王族が国民に隠れて禁断の魔法を利用した」という歴史は真っ赤な嘘だった。
古文書に記されていた真実は「闇の時代」の際、王族は禁断の魔法を封印するために、自身の血と魔力を用いて、永遠に国民の魔力負担を肩代わりするという、自己犠牲の誓約を結んでいたのだ。そして王族が代々継承する魔力は、その誓約を維持するための代償であり、決して国民を支配するための力ではない。
「ダルク公爵は王族の『犠牲の物語』を『裏切りの物語』へと書き換えようとしていた」
レイはダルク公爵の持つ「権力構造そのものへの執着」という深層心理を改めて認識した。国民の感情を操作するためなら、神聖な歴史さえも平気で歪める。
古文書を閉じようとした瞬間。
ゴツン!
背後の隠し扉が力強く閉まる音が響いた。同時に部屋の魔導ランプが、漆黒の外套の人物を照らし出した。
「さすがね、レイ・マンチェスター。いえ、ファントムと呼んだほうがいいかしら?」
冷たく知性を感じさせる声。
その人物は王室諜報機関「影の眼」の幹部、ヴェラ・ノースその人だった。
「図書館の警備システムを欺き、王室の禁書庫にまで侵入する。あなたの能力は、やはり異常だわ」
ヴェラはレイの行動をすべて見ていたことを示唆する。彼女の背後からは微かな魔力の気配が感じられ、この部屋が、彼女の「魔法による監視下」にあったことを物語っていた。
クロエは緊張でレイの背中に隠れた。彼女の【絶対聴覚】はヴェラの周囲の空気の微細な振動から、彼女が即座に戦闘態勢に入れる状態にあることを伝えていた。
レイは冷静だった。ヴェラが単なる敵ではないことを既に解析している。
〈解析:ヴェラ・ノースのプロファイル。忠誠心:アステラ王室、特にエリアル王女への忠誠心は極めて高い。感情のベクトル:俺に対する警戒心と興味が拮抗しているが敵意は低い。彼女の出現は「公爵派への情報流出を防ぐため」であり、俺を排除するためではない〉
レイはヴェラに対し、ゆっくりと古文書を掲げた。
「ヴェラ・ノース殿。王族直属の『影の眼』幹部であるあなたなら、この古文書の価値は理解できるはずだ」
「それがあなたを正当化する理由になると?」
「正当化ではない。これは『情報戦の核心』だ。ダルク公爵は満月の夜の祭事を利用し、この王国を根底から崩壊させる謀略を企てている。彼は王族の『自己犠牲の誓約』を『国民を欺く禁断の魔法』として公表しようとしている」
レイは真の歴史を簡潔に説明した。
ヴェラはレイの言葉に初めて驚愕の表情を浮かべた。公爵派がなにかを企んでいることは知っていたが、それが王国の建国神話の根幹にまで及ぶとは予測していなかった。
「ふむ……信じられないわね。あなたがそこまでの深層まで解析しているのなら、私の『影の眼』のネットワークは、あなたに完全に遅れを取っていることになる」
レイはヴェラの心理的な揺らぎを見逃さなかった。
「私を排除しても公爵の謀略は止まらない。あなたに私を排除する時間的余裕はないはずだ。ヴェラ殿。私はエリアル王女の影、コードネーム【ファントム】。私たちの目的は『王国の安定』で一致している」
ヴェラに選択の自由ではなく、あくまで協力の必要性を提示する。
「私を信じるか信じないかではない。私を利用するかしないかだ。私を利用すれば『影の眼』が知らない、公爵の深層心理、次の一手がすべて予測可能となる」
ヴェラはレイの目を見つめた。その瞳は深淵のように、すべての情報を吸い込んでいるかのようだった。やがて外套の頭巾を下ろした。
「レイ・マンチェスター。あなたという存在は王国の常識を破壊する劇薬だ。しかし今の王国に必要なのは、優雅な毒ではなく、即効性のある劇薬かもしれない」
彼女はレイから古文書を受け取った。
「私はあなたの正体、能力、そして今回の禁書庫侵入について一切口外しない。さらには『影の眼』の非公式な情報ルートを、あなたが利用できる形で開かれるようにしましょう」
「ありがとうございます」
レイの頭の中で情報戦の新たな局面が展開した。これでクロエの【絶対聴覚】に加え、王国の公的情報ネットワークを間接的に手に入れたことになる。
ダルク公爵の謀略の実行日まで――あと三日。満月は迫っている。
「祭事の会場となる『神聖の広場』で公爵派の魔導師たちが『音響拡散魔術』の設置を行っている音を捉えるんだ。それが公爵の『偽りの歴史』を一瞬で王都中に拡散させるための準備だ」
「お任せください!」
クロエの返答は自信に満ちていた。彼女の「耳」は既に王国の命運を分ける戦いの最前線となっていた。
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