拾得者による後書き(最終稿)
ノートの記録は、百日目で途切れている。
最後の一行はこうだ。
「湯を止めたのに、水が止まらない。」
そこから先のインクは滲み、文字の形を保っていない。
ページの下半分には、乾いていない跡が残っている。
まるで書かれた後も、しばらく“濡れていた”ように見える。
発見場所は、大学の旧学生寮の浴室。
解体作業の途中、床下の貯水槽のような空間から見つかった。
ノートは封をしたように折り畳まれており、
紙の間には小さな気泡が閉じ込められていた。
調査の結果、この寮では数年前に男子学生の死亡事故が記録されている。
転倒後に意識を失い、浴室内で溺死。
その後、建物は閉鎖されている。
ノートに記された日付は、事故から“ちょうど百日後”の暦と一致していた。
本文を読み返すと、いくつかの矛盾が見つかる。
混むはずの食堂がいつも空いていること。
誰とも会話が成立していないこと。
授業の記録が現実の開講日と合っていないこと。
そして毎日欠かさず書かれた同じ言葉――
「今日も風呂は長め。」
それは単なる習慣ではなく、
“沈み続ける時間”の記録だったのかもしれない。
私はこのノートを、怪談としてではなく、
ひとつの生活の痕跡として残す。
ここに記された百日は、
誰かが確かに「そこにいた」という証拠だ。
だが、もしあなたが最初から読み返すなら、
どうか覚えていてほしい。
この日記の“第一日目”からすでに、
彼は――水の底にいたのだ。
『水の底の百日』 灯ル @Kairu-Tomoru
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