番外編 そのころトロは、、

 にゃあ。

 朝から、通りがいつもよりうるさい。

 人間たちが箱を運んだり、旗を立てたり、

 なんだか忙しそう。


 どうやら今日は「春の市」ってやつらしい。

 魚屋の汐と八百屋の菜々も、朝からそわそわしていた。


「今年は一緒に出そうか」

「うん! 魚屋×八百屋コラボだよ!」

「……名前長くない?」

「いいの! 春限定・桜鯛と春野菜の屋台!」

「まるでテレビの特集みたいだな」

「目指せ完売〜!」


 ふたりは息ぴったりで準備を始めた。

 屋台の上には、氷に乗った桜鯛がキラキラ光っている。

 汐が包丁で鯛を薄く切り、

 菜々がその横で春野菜を次々に天ぷらにしていく。


 じゅわっと油の音。

 しゅっしゅっと包丁の音。

 それに混ざるふたりの笑い声。

 うん、悪くない朝だ。



 通りには人がどんどん増えていく。

 桜の花びらが風にのって屋台まで届いた。


「魚屋と八百屋の屋台、珍しいねぇ!」

「いい匂い〜!」


 人間たちが次々に並びはじめる。

 わたしは屋台の下でこっそり観察。


「汐、天ぷらの順番は?」

「菜々、まずは蕗のとう、次にタラの芽」

「了解!」

「でも油温ちょっと高い」

「うるさい魚屋!」

「プロ意識」

「出たよそれ!」


 言い合いながらも、ちゃんと手は動いてる。

 汐が鯛を切りながら、菜々の様子を横目で見てる。

 菜々も笑いながら、汐の出汁を味見している。


 まったく、どっちが料理人でどっちが助手かわからない。

 でも、見ているこっちはちょっと誇らしい。

 わたしの家の人たち、けっこういいコンビなんだ。



 昼になると、お客さんが一気に押し寄せた。


「桜鯛の昆布締め、三人前!」

「春野菜の天ぷら、追加!」


 ふたりが同時に返事をする。

 手がぶつかって、「あ、ごめん」「大丈夫」が何度も聞こえた。


 そのたびに笑って、またすぐ手を動かす。

 呼吸が合ってる。まるでひとつの体みたい。


 通りすがりのおばあちゃんが言った。

「ほんとに仲のいい二人ねぇ」

「えっ!? そ、そんなっ!」

 菜々が焦って声を上げる。

「……まぁ、悪くはない」

「なにそれ!?」

「協力体制」

「もう〜っ!」


 わたしは屋台の下で転がりながら笑った。

 この二人は本当に面白い。



 忙しい時間が終わったあと、

 ふたりは肩を並べて、少し遅い休憩を取った。

 夕方の光が通りをやわらかく照らしている。


「汐、これ食べて」

「なに?」

「さっき揚げた天ぷら。ほら、タラの芽」

「お、うまい。サクサク」

「でしょ。魚屋の鯛と合わせたら最強なんだから」

「……そうかも」


 そう言って、汐が笑った。

 その笑顔を見て、菜々の顔も少しだけ赤くなる。

 わたしは見逃さない。

 猫は恋の匂いに敏感なのだ。



 日が暮れはじめたころ、

 風が少し冷たくなった。


 ふたりは並んでベンチに座って、

 苺大福を半分こして食べていた。


「ほっぺに粉ついてるよ」

「え、どこ?」

「ここ」


 菜々の指先が汐の頬に触れた。

 汐が少し黙って、それから同じように菜々の頬を触った。


 風が止まって、花びらがひらひらと落ちる。

 距離が、ゆっくり近づく。


 にゃあ。

 (お、これは……)


 わたしはこっそり顔を背けた。

 でも、耳はピクピク動いてる。

 静かな空気、やさしい匂い、

 それがすべてを教えてくれる。


 ――うん、たぶん今、キスした。



 風が戻ってきて、桜がまた舞う。

 二人の笑い声が混ざって、

 屋台の裏で聞いているわたしの心もなんだか温かくなる。


 あ、そうだ。

 さっきの鯛の切れ端、まだ残ってたっけ。


 そっと屋台の下にもぐりこんで、

 小さな切れ端を見つけてくわえた。


「トロ!? こら!」

「にゃーー!」


 全速力で逃げながら、

 背中に花びらが一枚落ちてきた。

 桜鯛の香りと、春野菜の匂い。

 ああ、今日の通りはおいしい匂いでいっぱいだ。



 魚屋と八百屋の屋台。

 人間たちは恋をして、

 猫は魚をくわえて、

 春は、やっぱり悪くない。

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