第24話 2人の休日

――菜々


 六月の風は、少しだけ潮の匂いがした。

 商店街を抜けた先のバス停で、汐が私を待っていた。

 白いシャツにデニム。

 いつもの魚屋エプロン姿とはぜんぜん違う。


「おはよう、菜々」

「おはよう。なんか今日、いつもより爽やか」

「……褒めてる?」

「もちろん」

「菜々もかわいい。夏っぽい」

「う、うるさい」


 そう言いながらも、顔が熱くなる。

 恋人になってから、まだ数日。

 どうしてこんなにドキドキするんだろう。



 バスに揺られて四十分。

 港町につくと、潮風とカモメの声が出迎えてくれた。

 屋台の店からは焼きトウモロコシや浜焼きの香り。

 空は青くて、海はきらきら光っていた。


「すごい、いい天気!」

「魚屋としては、魚が乾きそう」

「そこ! もうちょっとロマンチックなこと言おう?」

「じゃあ……菜々が眩しくて海がかすむ」

「は!?!? な、なにそれ!」

「ロマンチックなこと」

「慣れてないくせに!」

「勉強中」


 汐が照れながら笑う。

 風に髪が揺れて、少しだけ潮の香りが混ざる。

 私はその横顔を見ながら、

 “この人を好きになってよかった”って思った。



 港の市場を歩くと、野菜と魚の屋台がずらりと並んでいた。

 魚が光って、トマトが真っ赤で、

 まるで二人の職場が並んでるみたい。


「ほら、見て汐! このトマト、めっちゃ甘そう!」

「こっちの鯵、鮮度いい」

「魚の目の輝き見てテンション上がる人、あんまりいないよ」

「菜々もトマト見てテンション上がってる」

「それはそう!」

「似た者同士」

「……そうかもね」


 自然と笑って、視線が合った。

 潮風が通り抜けて、

 いつもの商店街よりも近く感じる。



 昼は港の食堂で、ふたりで定食を頼んだ。

 鯛の漬け丼と、野菜のかき揚げ。

 店の人が「恋人さん?」と聞いて、

 ふたりして同時に「いえっ!」と声を重ねた。


 ……間。


 店内が一瞬静かになり、

 次の瞬間、汐が小さく笑い出した。

 私もつられて笑ってしまう。


「隠せてないね」

「うん……ばれてるね」

「まぁ、いいか」

「うん」


 湯気の向こうで、

 汐の笑顔がやさしくぼやけて見えた。



 午後は浜辺を歩いた。

 裸足で砂に足を埋めて、波打ち際をゆっくり歩く。


「海、冷たい!」

「ほら、言った」

「でも気持ちいい」

「菜々、足跡つけすぎ」

「ほら、汐も!」

「……ほら」

 並んで残る足跡が、ふたつ。


「こうやって見ると、まるで……」

「夫婦?」

「ちょ、ちょっと早い!」

「じゃあ、パートナー」

「……うん、それなら」


 照れながらも、

 “夫婦”って言葉が心のどこかであたたかく響いた。



 帰り道。

 夕陽が沈みかけて、街全体がオレンジ色に染まっていた。

 バスを待つベンチで、汐が小さくあくびをした。


「楽しかったね」

「うん。……また行きたい」

「今度はどこ行く?」

「菜々の行きたいところ」

「じゃあ、夏祭り!」

「浴衣?」

「もちろん」

「……浴衣姿の菜々、危険」

「な、なにそれ!」

「惚れ直す」

「っっ……ばか」


 沈む夕陽の中、

 ふたりの影が重なった。

 潮風がゆるく吹いて、

 遠くでカモメが鳴いた。



 家に戻ると、トロが玄関で待っていた。


「トロー! ただいま!」

「にゃあ」

「ごめんね、お留守番ありがとう」

「菜々、魚みたいな匂いしてる」

「それ汐でしょ!」

「……たぶん」


 笑い声が部屋に広がる。

 窓の外には、まだ少しだけ海の光が残っていた。

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